アパートメントにて②

「テオフィロ? 誰の事かしら?」


「とぼけないでください」


「とぼけてないわよ。名前なんていちいち聞いていないもの。でも、あなたが来るってことはあの坊やでしょ。ベルナルドにそっくりの……」


「不用意な発言は控えて下さい」


 アルバートは冷たく言い放つ。

 リヴィアは歯牙にもかけず、わざわざはっきりと言い直した。


「ベルナルドにそっくりの坊やでしょ? あなたが本当にロレンツィ家の血を引いているのかって尋ねられたわ。人目を偲んでやってきたくせに、色気のない会話だと思わない?」


「あなたはなんと答えたんですか」


「ふふふ。知りたい?」


 机の上の煙草に手を伸ばそうとしたリヴィアから箱を取り上げた。


「もう一度言いますが、不用意な発言はやめていただきたい。ロレンツィファミリーの信用が落ちます」


「あら。そんなことで落ちちゃう信用なの? あなたは私が何を言おうが気にしないでしょう」


「ええ、気にしませんよ。例え、僕がベルナルド・ロレンツィの息子じゃないと言われてもね」


 ベルナルドとリヴィアが出会う前、お互いに恋人がいた。

 アルバートは、その恋人との子なのではないかと幼い頃から噂され続けてきたのだから。


「わたしは、あなたがベルナルドの子じゃないとは断言してないわよ。そうかもしれない、と言っただけ。だけど、公にはわたしとベルナルドの子供として発表しているし、グレゴリオ様もそう認めている。――これじゃ不満なのかしら?」


「……いいえ、不満はありませんよ。爺さんがそういう風に僕を育ててくれましたしね。今日はロレンツィ家の人間として、あなたの発言をたしなめに来ただけです」


「あらそう。優しい息子ね」


 こんな母でもアルバートとの血の繋がりはあるのだ。

 不本意だが、リヴィアの周囲には最低限の護衛もつけている。

 その身を案じてのことではない。うっかり人質にとられでもしたら面倒だからだ。だというのに当の本人はアルバートの采配を知ってか知らずか奔放に暮らしている。


「この町で平和に暮らしたければ口には気を付けてください。あなたの命を守ってのは誰かということをお忘れなく」


 用はそれだけです、とアルバートが出ていこうとすると「婚約したんですって?」とからかうように声をかけられた。


「かわいそうな女の子を拾ってきたって聞いたけれど、鳥籠の鳥にでもするつもりかしら。あなたは感情ではなく利害で動く子だから、ファミリーに縛り付けておく相手が見つかって良かったわね」


 ぴたりと足を止めてしまう。

 振り返ったアルバートはリヴィアを睨んだ。


「あなたには関係のないことですよ」

「そうね。あなたはわたしのような女が大嫌いだものね?」

「……」

「だけどね、アルバート。鳥は羽がある限り飛びたくなるものなのよ。閉じ込めれば閉じ込めるほどお空が恋しくなるの。――あなたは自由を許すのかしら、それとも羽をもいでしまうのかしら?」


 無視してアルバートは歩き出す。

 振り返りもせずに扉を閉めた。


(何が、『羽がある限り飛びたくなる』だ)


 リヴィアもベルナルドも自己中心的だ。

 自分の欲望に忠実と言えば聞こえはいいが、割を食うのは周囲の人間。

 テオフィロのことは初見ではむかつきもしたが、結局は受け入れることにしたのも、どこかで負い目を感じていたからかもしれない。テオフィロもある意味、被害者だ。


 それに、ロレンツィ家が捕まろうが壊滅しようが知ったことではないと言うようなリヴィアにリタの事を語られるのは不愉快だ。


リタあの子はあなたとは違う)


 危険な目に合ってもロレンツィ家に残ると言ってくれたリタの事を信じている。

 さんざん騙したアルバートの側にいてくれると言ったのは、上っ面だけしか見ていないような他の女とは違う。


 はじめは都合のいい存在だと思って手に入れたけれど、今はちゃんと。アルバートもリタの事を大切に思っている。


『ファミリーに縛り付けておく相手が見つかって良かったわね』


 だけど、リタがファミリーに馴染んでいくたび、仕事を覚えていくたびに不安になる。

 これまで不遇な暮らしをし続けていたリタがロレンツィ家に残ったのは、雛鳥が親鳥だと思い込むような刷り込みで、いつかアルバートを置いてどこかに飛び立ってしまうのではないかと。


(さっさと結婚してしまえば良かった)


 婚約なんて悠長なことをせずに。

 彼女が世界を広げてしまう前に。


 そうして鳥籠を準備しようとしている自分に気が付くと溜息が出る。

 やはりリヴィアのことは嫌いだ。アルバートが踏んで欲しくない部分を的確に踏んでくる。


『アルバート様は彼女をどうしたいのです?』


 閉じ込めてしまいたい。

 アルバートの事だけを考えて、毎日ただ笑っていてくれればそれだけで。


 その感情が愛なのか、それとも心の奥底ではロレンツィ家の所有物としてコントロールしたいと思っているのかわからない。だって、危険を冒してまで一人の女の子を助けに向かったことなど後にも先にもないのだから。

 どうか前者でありたいと思いながら、アルバートは足早に帰路についた。

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今宵、ロレンツィ家で甘美なる忠誠を【その後のお話】 深見アキ @fukami_a

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