第5話

 首筋を伝う汗をタオルで拭う。夕方頃だというのに日は高く、まだまだ暑い。学校が再開して数日。夏休みが恋しくてたまらなかった。教室に設置されている冷房のおかげで授業中は耐えられるが、登下校時は陽射しに焼かれる事になるからだ。だが、そう思うのは残暑だけが理由ではない。単に登校自体にプラスの感情を持てていないのだ。そのくらいのこと、自分とクラスメイトを比較すれば明白だ。


 それに、最近物騒な事が起こったがあったため、校内は緊張感と高揚感に包まれていた。市内で殺人事件が確認されたのだ。ワイドショーでは国内で頻発する一連の殺人事件と関係が紐付けられている。教員らは大慌てで注意喚起していた。被害者の中には学生も混じっているためだ。


 家に帰り着くと、すぐに自室でくつろいだ。ベッドに寝転がり、脱力状態で携帯電話を弄った。ネット・サーフィンを楽しんでいた俺はふと今朝もらったアイテムの事を思い出した。体を起こし、意識を『亜空間型倉庫』に向ける。アクセス権を有する人間の意思の働きかけにより、眼前に空間の歪みが生じた。波紋が小さく広がると、内部より封筒が排出された。


 封筒の中身を確認すると、説明用紙と一本のビデオテープが同封されていた。ビデオテープを脇に置き、説明用紙を確認する。紙には祝いの言葉と日数、『連続殺人事件の事実』というタイトルの下、巷を賑わす事件の詳細なデータが記されていた。そこには犯行時刻や凶器、被害者のみならず、事件を起こした者のパーソナル・データが事細かに載せられていた。


 説明用紙を一読したところで、ビデオテープに目を向ける。それを掴み、居間に向かう。ビデオデッキにテープを入れ、リモコンの再生ボタンを押す。


 テレビ画面に映像が映る。外灯の少ない夜道に、二人の人影が映る。一方は道端に倒れ、もう一人は相手を見下ろしている。視点が近付く。見下ろしていた男子は手にナイフを持っていた。その刀身からは血液が滴っている。男子の体は霧に覆われたように揺らいでいた。顔が見えたところで、その姿は透明になっていく。後に残されたものを映し、そこで映像は途切れた。


 俺は溜息を吐いた。説明用紙には事実と記されている。となれば、件の映像は本当に起こった出来事なのだろう。




 明日に備え、ベッドに入った。真っ暗な部屋。今日見知った事柄を反芻した後、早く寝ようと息を吐き、体の位置を調整しようとしたときだった。


 体が動かない。正確には、首から下の部位を動かせない。体の感覚は残っていたが、自身への命令権が剥奪されたようだ。


 俺は部屋を見回した。部屋の暗さに順応した目は扉の傍に立つ者を認めた。どうにか輪郭を捉えた程度で、相手の様子については分からない。


「せっかくだ。語らおう」


 唐突に、相手は言った。背丈や声音から相手の性別は男だと考えられる。


「一体、何を」

「たとえばこの部屋。アイテムを持つ者とは到底思えないほどに無防備だ。住処であり、生活の拠点を改造しない理由は無い筈なのに、おまえはそうしなかった。そのことについて、なにか理由でもあるのか?」

「そうしたくても、生憎、拠点用アイテムを持っていなかった」

「なるほどな」


 男は素直に信じたようだ。俺の返事に嘘が無いことを判別するアイテムでも有るのだろうか。


「殺人者の特定。そんなアイテム、俺は持っていない。条件を設定することで、特定の人物を発見するアイテムについてもだ。つまり、おまえが俺のことを知ったという時点で、お互いに所有するアイテムが異なるということが推測できる」


 となると、相手は自分の住居を改造するアイテムを持っているのかもしれない。


「此処に居る理由も、それで説明が付くか」

「ああ。範囲は関係ない。アイテムの一つに、俺の犯行を知った人間を自動的に検知するものがある。羽鳥、おまえが俺を知るということは、俺がおまえを知るということだ。互いに知覚できる以上、勝敗は速攻で決まると言っていい。この状況が生まれた理由の一つには、おまえの愚鈍さが関係している」

「そうかもな」と俺は相槌を打った。


 同年代の殺人鬼。それも、アイテムを駆使した上での行動。二重の衝撃を受けた俺は驚きつつも、対処しないといけないと考えていた。だが、すぐに対処しなかった。犯人特定後、俺は夕飯を食べ、風呂に入り、学校の課題を終わらせ、テレビゲームで遊んでいた。


 対処は殺人を伴う。殺人以上に楽できる簡単な方法が思いつかなかった。しかし、殺人を躊躇する気持ちがあったのも事実だ。そうして、問題を先送りにした結果が今に繋がっていることに納得できている。




 男は言う。


「互いにアイテムが異なることが分かった。だが、アイテムを得て、おまえは何をした?」

「どうして殺人をしないのか、不思議か?」

「そういうわけじゃない。ただ増えた選択肢から、自分にとって都合の良いものを選択しているようには見えない。今回のことがなければ、俺はずっと気付かないでいただろう。そのくらい、おまえは目立たなかった」


 振り返れば、確かに自分は派手なことをしてこなかった。アイテムを使っても、彼のように出来事が露見することはなく、社会的な影響は極小規模に留まるものだった。


 なぜ自分はアイテムを大っぴらに使わなかったのか。もっと言えば、どうして俺は自分の欲望を満たすためにがむしゃらに行動しなかったのだろうか。


「有り体に表現すると、結局は平穏な日々に満足していたから、だろうな」

「意味が分からない。アイテムがあれば色々な事ができるのにか」

「その通りだ。もちろん、俺だって最初は浮かれていた。だから、自分の目的のためにアイテムを使ったこともある。けど、それが良くなかった。アイテムを使用するに際し、俺には覚悟がなかった。覚悟が足りなかったんだ。後悔だよ。俺は人殺しに耐えられなかった」


 自責の念に囚われた。飯田を殺すべきではなかった。たとえ、その行動によって多くの人間を救えたところで、俺は救われない。しかし、使わないでいるという忍耐とて課せるものではなかった。


「俺は人殺しを後悔している。だが、殺さなかったとしても後悔していただろう。つまり、俺は使用に関する覚悟がないだけじゃない。所有に関する覚悟すら足りていなかった。自分の欲望のためにアイテムを使うということをしないのは、使った結果が酷かったからだ。取り返しがつかないこと、責任を取れないことを積極的に行うだけの気力は無かった」


 失敗を重ね、アイテムの使用に消極的となる。ならば、日々に満足しているという言葉は痩せ我慢として受け取れるだろう。アイテムは結果を約束する。重ねた結果を失敗と捉える俺はアイテムの所有者には不向きだろう。


「弱いな。憐れと言い換えてもいい。自分でもよく理解しているように、おまえはアイテムを持つべきではなかった。その方が、おまえのためだった」


 吐露した気持ちから惨状を把握したのか、男はそう言った。


 ただ所有しているだけでも困難を抱える。彼の言う通り、俺はアイテムとは無縁でいるべきだった。




 体は依然として動かない。だが、俺は藻掻くこともしなかった。


「言い分は理解した。アイテムを率先して使用しなくなったのはメリットが薄まったから。最終的に現状を受け入れたのも、アイテムを自分の意志と責任で扱うことを避けたからだな」


「そのことだが、少し誤解がある。俺は日々の生活に満足しているが、試行錯誤の末に獲得した感情ではない。アイテムをもらう以前と以後とでは深度が異なるだろうが、それでも一定のレベルで良しとしていた。おまえはどうだ。日々をどう感じていた?」


 俺は暗闇の中に見える輪郭へ問いかけた。


「つまらない。繰り返される出来事に心底、嫌気が刺していたよ。退屈過ぎて、息が詰まるくらいだった。アイテムを使う理由は十分にあった」


 そのモチベーションが俺にはなかった。互いの違いはそこにある。俺は相手ほど状況に否定的でないため、アイテムの使用までには至らなかった。それは使わない理由を補強する出来事があったからだ。俺はそのことを語ることにした。


「俺が初めてもらったアイテムはメダルだ。何の変哲もない金属製の贈り物。特に機能はなく、日々を劇的なものにはしない。だけど、それで十分だったんだ。俺はメダルをもらい、そのことで満足した」


「たかがメダルで?」


「俺にとって、一枚の金属板は特別な意味を持つものだった。日常を受け入れさせてくれるきっかけになった。なにせ友人と呼べる相手はいないし、部活動に打ち込んだわけでもない。勉強に注力するわけでも、アルバイトに精を出すわけでもなかった。学生として真っ当な日々を送っているとは言い難い日々。そんなだから、俺だってアイテムを私利私欲に使う可能性はあった。そうではなかったのは、メダルがあったからだ」


 初日のアイテムがメダルでなかったら。何かしら便利な道具だったら、俺は躊躇なく使用したことだろう。たとえ日々を良しとしていても、アイテムの使用を控える程ではない。メダルのおかげで欲望が緩和されていた中でも人殺しは実行したのだから、そうでなかったらと思うと背筋が寒くなる。


 日々を良くしようという向上心が薄まったことで、結果的に惨事は回避できたというわけだ。


「そんなもので満足できるなんてな。理解できない感覚だ」

「俺は名誉を欲した。おまえは何だろうな」


 男は答えない。

 会話が終わったことを理解した。


「俺の生は今日で終わる。明日を生きるのはおまえだ」


 と、俺は言った。

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バースデイ 間 孝一 @nemesisf3kds2t5h4h

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