第4話

 青空には一筋の白い線が引かれていた。高度一万メートルを飛行する機械は目に映らず、その軌跡のみを視界で捉えていた。乗客の大半は帰省が目的なのだろうと、窓の外を眺めながら思う。


 八月に入ってから気温は増す一方だが、そうでなくとも外に出る気になれず、俺は冷房の効いた自室で日々を怠惰に過ごしていた。外出なんて夜にコンビニへ行く程度で、飯田とも最近は会っていない。そのためか、夏真っ盛りだというのに肌は青白い。


 時刻は午後を回る。寝起きのぼんやりとした思考はようやく動き始め、半ば事務的に枕元へと手を伸ばした。しかし、いつもの場所にある筈のものが無い。普段と異なる事態を受け、部屋をくまなく捜索するが、目的の封筒は見つからなかった。


 アイテムの贈呈は昨日まで続いていた。つまり、昨日が最終だったということか。日にちで言うと、今日はちょうど百日目にあたる。区切りとしては本日をもって終了とした方が収まりの良い気もするが、それはこっちの都合だろうか。


 そんな風に考えていると、インターホンが鳴った。カメラを確認すると、同年代の少女が映っている。


「はい、羽鳥ですけど」

「私、沖と言います。本日は百日目ということでプレゼントに参りました」


 沖と名乗る少女の発言に動揺していると、じかに会えないか問われたので、俺は咄嗟に「どうぞ」と言って、家に上げることにした。エントランスからこの部屋への到達の合間に俺は自衛用のアイテムを装備し、ついでに身だしなみを整える。そうこうするうち、部屋の前までやって来る。


 リビングに通し、麦茶を出す。沖は落ち着いた様子で「お構いなく」と答えた。彼女の持参した水ようかんを食べながら、話を聞くことに。


「それで、プレゼントというのは?」

「はい。百日目の贈り物、それは私です」


 不可思議なアイテムを送付するだけでは飽き足らず、遂には女と来たか。沖の言葉に面食らった俺は平静を失う中で、必死に情報を整理した。彼女の話によると、この日のために自身の生はあったとか。というのも贈り主は不明だが、その影響力は無視できず、様々な場面で人生をアシストされていたそう。沖は荒唐無稽ながらも状況を把握し、且つ受け入れているようだ。


 また来ます、と沖は言った。連絡先を交換し、手を振って部屋を出る。その背を見ながら、俺は日常の一部として組み込まれていた事柄が終了を遂げたわけではないことに安堵していた。




 駅構内の時計広場。雑踏ひしめく空間に俺はいた。待ち合わせ時刻の数分前になると、沖が現れる。


「それじゃ、行こ」と沖は言う。俺は頷き、彼女と肩を並べて歩き出した。


 彼女の誘いによって、俺は今日ここにいる。人生初のデートに緊張しつつ、彼女主導のデートコースを共に回っていく。


 スポーツやゲームセンターなどの入っているアミューズメント施設。沖は慣れているのか、きょろきょろと周りを見る俺と異なり、的確に楽しめるものへと誘導していた。緊張する俺を気遣うように、常に笑みを絶やさず、何事も楽しむ姿勢。その気遣いを無駄にしないように、俺も必死になって笑顔を取り繕った。


「羽鳥くん、ダーツしよ?」

「うん。おっけー」


 一頻り動いて休憩を挟んだ後、沖はそのような提案をした。俺は同意し、台を借りる。経験はあるか問われ、無いと答えた後、一緒に遊ぶ。暗がりの中、様々な色合いの照明に照らされる彼女の笑みは魅力的なようで、そのとき隣の台を使っていた社会人の男性にも声を掛けられていた。


 マイダーツを持っているという男性は俺と沖の実力を見かねたのか、やり方を教えようと言ってきたが、これがデートであることを考慮して断ることにした。男性は「そっかそっか」と言って、「邪魔して悪いね」と自分のプレイに戻る。


 その後、尿意を催した俺はその場を離れ、トイレに向かった。無事に処理し、台に戻ろうとした俺はそこで楽しそうに会話する二人を見た。俺は足を止め、暗がりに身を潜め、注意深く観察する。どうも沖にダーツの投擲の仕方を教えているようだが、体の距離は近く、嫌がっている素振りは欠片も見られない。いや、より事実に近付くならば、沖は受け入れていた。俺はそこに男女の関係の未発達の段階を見て取った。

 俺は来た道を引き返し、メッセージアプリで沖に長くなることを伝えた。そして屋内の階段脇に立ち、ゲームのアプリケーションを立ち上げる。


 十五分ほどゲームを遊んだ後、「待たせてごめん」と言って、二人の居るところに戻った。甘ったるく、生温い空気を切り裂いてのことだ。


 その後は再び二人で遊んで回り、夕方に解散した。




 デートの翌日。疲れからか何をする気にもなれず、一日中、ベッドの上でテレビを見ていた。バラエティー番組の喧騒は現実逃避の一助となり、様々な事柄を考えずにいられた。


 沖からは定期的に連絡が入る。予定や今なにをしていたかを話題にして、常に意識させられた。しかも、そのことで彼女が無理をしているという印象は抱かない。スムーズな話運びのおかげで、俺はなんなく返答を送ることができた。


 数日後。俺は直接話をするために沖を近場のファミレスに呼んだ。


 先に来ていた俺は案内された席に座り、考えを整理した。時刻は昼のピークを過ぎた頃で、店内は落ち着いていた。程なくして、沖は来た。事前に話をあると伝えておいたが、それを踏まえてなのか、先日とも見劣りしないオシャレな恰好だ。


「ごめん。待ったかな?」

「全然大丈夫だよ」


 沖の注文した飲み物が届くまでは雑談する。というより、沖から話題の提供があり、俺はそれに乗っかっただけだった。飲み物が届いたところで、沖は訊ねる。


「それで、話って? なんか緊張するんだけど」

「ああ、うん。実はさ、沖の所有権を譲ろうと思うんだ」

「え、誰に!? なんで!?」

「落ち着いて。沖にとって、悪い話じゃないと思う」


 驚く沖に、俺は説明を始めた。現在、沖はアイテムとして俺に従属しており、その所有権は俺にあること。その所有権を沖に渡すことで、俺は沖という人間の形を持ったアイテムの所有者を辞めようということ。その理由は一人の人間を背負うことの責任に耐えられないからだと言う。


「理解できないわけじゃないけど。でも、私は今の形でもいいと思うの。責任が重いのは分かるよ? だけど、時間を重ねることで慣れていくし、そうなれば羽鳥くんも責任に見合う男になってるよ」

「それだけじゃないんだ、沖。俺はそういう人間になりたくないから、沖に責任を返したいんだ」


 沖の隣を歩く者。その立場になることへの恐怖がある。


「所有権の移譲は俺の意思で成立する。この場をわざわざ設けたのは俺の自己満足であり、説明責任を果たすものだからと信じるからだ」

「今更、普通の女の子になんて成れないって。道具であることの恩恵を手放すなんて、私は嫌」

「問題ない。沖はアイテムであり、所有者になる。所有権を持つアイテムとして、その特権性自体は失われない」


 懸念を解消するために伝えたところで、俺は所有権を譲渡した。




 会計を済ませ、外に出た俺の体を日差しが照らす。熱気が心地良い。深呼吸を経て、駅へと向かう。


 沖という女性は一般的な意味で、現代の高水準にまとまっていた。その事実は、現代の低水準を生きる俺と比較することで浮き彫りになった。


 高すぎるハードルを越えることは困難だ。俺ではそのハードルを潜ることしかできないというのに、曲がりなりにも所有者である。そのため、所有者と所有物という関係の継続は俺にとって重圧として機能した。


 所有権の移譲。アイテムとして現れた人間の生を解放することは、重荷を下ろす事と同義だと言える。更に口止めを期して、誘導棒型『エピソード区画整理』という記憶の操作を行うアイテムも使った。今後、沖は自分の生を所有するし、俺は責任を負わずに済む。


 この数日の出来事は俺に教訓を悟らせるものとなった。優れたアイテムが真価を発揮するか、埃を被ったままかは扱う人次第ということ。実際、毎日贈られてくるアイテムを十全に活かしきれているだろうか。その問いに俺は否定を答える。俺以外の者なら、更なる危機的状況であれば、アイテムは有用性を帯び、その輝きは暗雲を払いのけることだろう。この確信の根拠は俺の日々にある。すなわち贈られてきたものを確認するや否や、『亜空間型倉庫』に入れている日々に。


 沖は責任をもって自身の生を遂行することだろう。それは死蔵されたアイテム群とは対照的に思える。そして、この推測が俺の所有者としての意識を苛む。だから、自分を落ち着かせようと、アイテムを活かせた記憶を振り返る。そのとき、一番に思い浮かんだ記憶は飯田の一件だった。彼の人格を破壊したことで、多くの人間は救われる筈であるという予想を得た思い出を。


 この思い出と今回の件を比較したとき、俺は或ることに気が付いた。


 飯田の場合は人格を破壊することで、そのままの状態を保つこと、悪人と見做せる人物を放置する罪悪感から逃れ出た。得られたのはそれだけだろうか、と。


 沖は言った。贈り物は自身であると。その後の行動で、俺は『彼女』を貰い受けたと思っていたが、真実貰い受けたのはアイテム所有者の重圧の解放であり、一個の人間と相対する際に生じる苦悩である。


 なら、飯田の人格を破壊したことで、『友人』を得たのではないか。本当のプレゼントはアイテムではなく、彼の人生だったのでは。

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