第3話

 照り輝く太陽。その日差しを直下で受け止め、山を登るのはどんな罰ゲームなんだろうか。来年も待ち受けていると思うと正直、ご容赦願いたい。


 汗に苛立ちつつ、顔を上げる。すぐ前に知り合いがいた。後ろ姿とはいえ、見覚えがある。見慣れていたと言ってもいいだろう。


「おーい、松下?」

「んお、羽鳥」


 久しぶりに見た姿は一年の頃よりずっと体格が良くなっていた。運動部での筋トレは着実に身になっているようだ。


「三ヶ月ぶりだな」

「ああ、もうそのくらい経つのか。はえーな。元気か?」


 俺は苦笑いしながら、「それなりにな」と答えた。


「おまえは?」

「俺もそれなりだ。部活もまた忙しくなってきたし。先輩になったら楽になるかと思ったら、全然そんなことなかったぞ」

「へー、そうなのか」

「先輩にこき使われてるときは早く二年になりてーなって思ってたんだけど、なったらなったで面倒が増えた。言われたことだけやってるのって意外と楽なんよ」

「なんだ。戻りたいのか?」


 松下は鼻で笑った。


「まさか。ぜってー嫌だ」


 清々しいほど軽快な拒否だ。体育会系の最下層の苦労を垣間見た。とはいえ、そこから上がったところで悩みは尽きないようだが。


「夏と言えば大会だ。部の調子はどんなもんよ?」


 話題を変えようと質問したところ、返事はすぐには返ってこなかった。


「みんな張り切ってるよ」

「松下?」


 様子がおかしいことに気付き、呼び掛ける。俺が疑問に感じていることに向こうも気付いたのか、松下は言う。


「レギュラー、落ちたんだ。補欠ですらない。だから、たぶん大会には出ない」

「そうなのか」

「今年の一年は粒揃いだからな。上手い奴が試合に出してもらえるのは当然だよな」


 暗い雰囲気を察したのか、一段明るい調子で語る松下。しかし、痛ましさは拭えない。結果に納得できていないことは一目瞭然だった。


 坂を上り切り、校門は近いところにある。


「練習、頑張れよ」

「ああ」


 相手の顔は見られなかった。応援の言葉が薄っぺらいことを自覚していればこそ、それが相手を思いやったものではないことに気付いていた。




 朝の教室。空調の効いた部屋で、俺は机に突っ伏していた。タオルで汗を拭ってから、すぐのことである。周囲の音についてはイヤホンでシャットアウト。流行りのアニメの歌を聴きながら、この時間が過ぎ去るのを待つ。


 これまではクラスで唯一親しいと言っても過言ではない相手、土屋と暇潰しに勤しんでいた。しかし、時の経過とともに人間関係は変わった。


 先日行われた球技大会。クラスの打ち上げに参加した土屋は他のクラスメイト達と話し、仲良くなったようだ。少なくとも、朝の暇潰しを共にする程度には。


 そのことを打ち上げの翌日に思い知った俺は納得の末にこの状態に落ち着いた。土屋に対して裏切りを糾弾することは容易だが、臆面もなく実行するほど厚顔無恥でいることには耐えられないし、責められるほどの仲でもない。それよりも自分も勇気を出して声を掛けることでグループの輪に入れてもらった方が良いのだろうが、怠惰を理由に打ち上げを欠席する程度には協調性の欠けていた俺は自業自得ということで現状を受け入れたのである。


 時々、携帯電話の画面で時間を確認する。俺はなんとなく今朝のことを考えた。


 部活に打ち込む……なんて経験は俺には無い。今は帰宅部。中学は将棋部に所属していたが、その活動は非常に緩く、活動日に指しに来る奴は全くいなかったし、部長に至っては家から持ってきていたマンガを読んでいた。そもそも彼が部長になったのも一番暇だったからなんて理由だった。そんな部で怠慢な態度を改めるように言う者は一人もいない。顧問は全く活動場所に来なかった。だから、大会なんてのは慣例と実績のために出場する程度で、公式戦を毎年一回。他校との練習試合なんて誘うことも、誘われることもなかった。


 そんな人間に松下の気持ちを理解できるだろうか。努力が実を結ばなかったという悔しさと失意を、どうして努力したことのない俺が分かってやれるというんだ。


 もう二度とそんな思いをせずに済むようにと、『肉体増強ドリンコ』を渡すことで彼の問題は解消されるのか? だが、それは同時に多くの問題を生じさせるのではないか。


 踏ん切りの付かない思考を決着させるように、チャイムが鳴った。俺は音楽を止め、イヤホンを外した。




 放課後。帰り道の途中、視界に公園が入る。ベンチには暗い雰囲気を纏った少年が座っていた。俺は自分でも驚くほどスムーズに少年に近付いた。


「隣……座ってもいいか?」


 頷かれたので、「ありがとう」と言ってベンチに腰掛ける。年端もいかない子は沈黙し続ける。


「元気ないな。どうしてだ?」


 これ以上話し掛けられるとは思っていなかったのか、少年は体を縮こまらせた。少し時間を置いた後、「遊びに入れてもらえなかった。サッカーの」と答えた。


 率直に言って、俺は驚いた。サッカーのような団体競技はゲームを成立させるために多くの人数を必要とする。競技性を重視しない、遊びとしてのスポーツで除け者扱いを受けるというのは俺にとって意外なことだった。


「下手だから。足も遅いし、ボールは飛ばないし」


 理由を問うことに躊躇していると、少年の方から明かした。しかし、俺は依然として納得できなかった。多少、運動能力が低いくらいで仲間外れにされるだろうか。当のグループから嫌われているという方が誘われない理由として妥当に思える。少年の理由で考えると、彼自身が余程鈍いか、周囲が卓越しているかでしか成立しない。だが、後者の場合、皆が皆、ゲーム性を理解し、その限りにおいて熟達していることになるが、それはどうも考えにくい。昨今のスポーツ人気を鑑みても、大多数がクラブチームに属しているとは思えなかった。


 俺は鞄にしまっていた布袋から小瓶を取り出した。鞄の中で手早くラベルを剥がし、少年の前に出す。


「これをあげる。エナジードリンクだ。飲めば、少しは元気になる」


 少年は興味深そうに小瓶を見つめるものの、受け取ろうとはしない。


「知らない人から物を貰うのは怖いか?」


 少年はおずおずと頷いた。


「まあ、飲みたくなかったら捨ててくれていいよ。それじゃあ」


 俺はベンチの上に小瓶を置くと、そこから立ち去った。公園を出た後、俺はそっと振り返る。すると、少年が小瓶をズボンのポケットに収めたところを見た。




 終業式の今日。式は一時限目に割り当てられているため、全校生徒は体育館に移動し、そこで校長先生の挨拶や諸注意を聞く。もっとも、大半の生徒は友人と話をするか、携帯電話を弄るかのどちらかだ。


 俺はというと、ただぼんやりとしていた。一見すると校長先生の話を聞いているように映るだろうが、実際のところ、ここまで何を話していたか全く覚えていない。あの人の職務であり、周囲に対する体裁を保つためとはいえ、せっかく用意された訓示を無駄にした事は俺に罪悪感を持たせた。


 それからは今夏の大会やコンクールに参加する生徒を応援する時間だ。生徒の代表者が応援の言葉を贈る。


「暇だな」


 横の席に座っていた土屋が声を掛けてきた。式が始まってからこの方、ひたすらゲームのダンジョンを周回していたようだが。


「そうだな。ゲームはもういいのか?」

「スタミナが尽きた」


 要はゲームを遊ぶための回数券が切れたということだ。その回数券は時間で補充される性質があり、今は待機するほかない。土屋が話しかけてきた理由に納得したところで訊ねる。


「他のやつは?」

「いや、今はいいや。それよりさ、夏休みどうする?」

「どうするって……」


 そこで気付く。質問した土屋の表情は明るい。


「予定って程のものはないな。母方の実家に帰省するくらいか。おまえは?」

「あー、俺は旅行とかには行かないだろうな。多分、クラスの奴らと遊ぶくらい」

「へー。まあ、いいんじゃないか」


 最近、よく話しているグループとの予定だろう。俺自身とは特に親交がないので、詳しく聞かないでおいた。


「ああ、そういえば俺もおまえを見習って、夏休みに短期のアルバイトを入れたんだ。明日から早速労働に勤しむ」

「えっ、マジかあ。なにやんの?」


 問われた俺はレジャー施設のスタッフだと答えた。幸い、土屋は具体的な場所や名前を聞いてこない。


 そのうち、終業式は終わった。教職員の指示に従い、パイプ椅子から立ち上がると、体育館を出る。


 教室に戻る道すがら、俺は夏休みの生活を想像した。帰省の予定も、働く予定もないため、暇を持て余していることだろう。とはいえ、俺のことだ。例年通り、怠惰に過ごすのだろうな。

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