第2話

 今日も雨が降っている。梅雨入りは夏の到来を予感させる。だが、学校の途中に長い坂があるため、素直に歓迎しようという気には中々なれない。雨粒を傘で遮りながら、最寄り駅に向かう。


 駅に到着。群れ成す学生に混じり、電車に乗る。座る気にはなれず、乗車口の脇に立った。携帯電話を弄ろうと伸ばした手は引っ込めた。テストの結果を思い出したのだ。以前、親にはもう少し頑張ろうと言われ、俺は頑張りますと答えている。結果の返却から大分経過したが、頑張れているという実感は薄く、こうして時々、誤魔化しの行動を取っていた。


 車内は騒がしい。音楽を聴きたいところだが、事情があり、やめた。というのも、三十日目のプレゼントは曲で、いつの間にか携帯電話にインストールされていた。付随していた説明書によると、その曲は一度限りしか再生できないようで、聴いた者の人格を素晴らしいものに変える効果があるそうだ。


 題して、『性格矯正 by the music!』。……いやいや。なんつーもんを仕込んでくれたんだ。一般ピープルにこんなもの贈ってきちゃ駄目でしょ。なんか所有者として責任が重い。重すぎるくらいだ。


 とまあ、こんな風に重圧を感じていると、地元駅に到着した。駅のホームで見覚えのある顔を見掛ける。相手の男子学生も似たような感想を持ったのか、俺たちは向かい合う。


「もしかして羽鳥か?」

「そう言うおまえは飯田だな」


 思わぬ旧友との再会に笑みがこぼれる。面影の残る様子を見て、懐かしい気持ちになった。それは飯田も同じようだ。


「三年ぶりか。うわー、おまえ変わんないなあ。元気にしてたか?」


 飯田の家は近所なので、一緒に帰った。道中は思い出話に花を咲かせる。不思議なもので、普段は小学校の頃の記憶なんて全く顧みないというのに、人と話しているうちにかつての情景がありありと浮かんできた。


 帰宅後、浮ついた心も落ち着き、それどころか気分は奈落までノンストップ落下を果たしていた。だってそうだろう! 良い思い出に浸れば浸るほど、今との落差に苦しむことになる。寂しい! 何故だか今は無性に寂しい!




 翌週の月曜日。登校時、俺は小学校時代の友人である貝塚を見掛けた。中学は別々のところに通ったが、高校で再会した。思い切って声を掛け、先日の出来事、つまり飯田に会ったという話をする。当初、貝塚は明るい表情だったが、飯田を話題に出した途端、その顔に影が差す。


 飯田とは同じ中学に通っていた貝塚の反応は俺に疑問を抱かせた。何かあったのかと質問すると、「いいや。俺は特に何も」と言われる。


 話をよく聞いてみると、どうにも飯田は嫌な人間だったそうだ。クラスの中心部に居る一方、不良グループとも繋がりを持ち、クラスの気に入らない人物を排斥していた。彼自身は直接的な暴力は振るわなかったものの、その誘導は露骨で、排斥に参加しなかった者にも懲罰めいた事をしていたと言う。更に不登校児の生産だけに飽き足らず、万引きなど窃盗の噂もあった。というのも、手癖の悪い人間との付き合いもあったからだ。小学校からの友人である貝塚に飯田は何もしてこなかったが、嫌悪感を抱かせるには十分だった。


 以上のことを知る貝塚の反応は得心の行くものであるだろう。また、飯田について細かい部分での真偽はともかく、大筋では信用ならない人間だという認識を俺も持つようになった。


「あいつは猫を被るのが上手だ。気を付けろよ」


 貝塚とは教室の前で別れた。俺はすっかり意気消沈し、自分の席に座ってうなだれる。旧友の実態は俺の淡い幻像を脆くも砕き、喜びを悲嘆へと転化させた。喪失感と嫌悪感は綯い交ぜになったまま、俺から元気というものを失わせ、深い虚脱感へと誘う。有り体に言えば、酷く疲れた。


 登校した土屋は俺の様子に気付いたのか、「大丈夫か」と心配してくれた。まさか勝手に抱いた印象を裏切られて失意にあるとは言えず、ゲームアプリのガチャで大敗を喫したと相手には伝えた。


「次に期待だな」

「そうだな。本当に」


 チャイムが鳴り、教員が教室に入ってきた。土屋は「じゃあ」と言って、席に戻っていった。


 失敗しても次に成功すれば良い。実に常識的な判断だ。問題は転覆を可能にするアイテムを有しているということにある。俺の耳に先生の話は全く入っていなかった。




 帰宅後、俺は中学の時に仲良くなった友人に連絡を取っていた。その理由だが、そいつは今、飯田と同じ高校に通っており、現在の彼について話を聞けるかもしれなかったからだ。


 夜。電話で挨拶もそこそこに、世間話を行う。俺は努めて平静に飯田を話題に出した。


「え、おまえ、あいつと友達なのか?」


 驚きと嫌悪感の入り交じる声。


「まさか。小学校が同じってだけだ。この前、駅で見掛けて、そういえばって思ってな」


「ああ、そうなんだ。まあ、なんつーか、嫌な感じがする奴だ。パシリっぽい奴を笑い者にしている所は見たことあるし。イジメの噂もあるしな」


 安心したように友人は飯田の情報を話していく。数分程度続いた話題だが、その間に俺は飯田の被害者の実名を知るに及んだ。


 不審に思われないように別の話題に切り替えた後、通話を切る。俺は携帯電話に触れながら、使用の是非を問う。


 情報の裏付けは甘い。そんなことは分かっている。ならばどれだけの確認を取れば、人格の改造、累積する過去との切断を許せるようになるだろうか。パシリだという生徒から、イジメに遭った生徒から、捨てられた女性から恨みを聞かされたら、それで罪悪感は消せるのか、正当化は果たせるのか。


 常識に照らせば、現在の人格のまま、更生を促すべきだろう。だが、その促す者は誰だ。説得による達成は困難だ。権威もなしに言い聞かせられたら、今日にまで至っていない。かといって看過は出来ない。俺の手元には現状を変える道具があるのだから。


 飯田という人間を或る意味で殺すことになるが、それは将来の被害者の発生を未然に防ぐ事と同義であり、一人の人間を殺害することで多数の人間を助けられると言える。殺人という愚行を犯しさえすれば、人々の良き未来を確保できるのだ。


 使用の判断はどこまでも俺の価値観に依拠している。俺は選ばなければならない。他の何者にも託すことは出来ない。自己満足のため、独善の遂行を選ぶか、あるがままを認め、現状を維持するか。


 短慮の末に俺は愚かさを容認した。




 七月の或る日の放課後。ファミレスの外に出た俺は飯田とともに家に帰る。雑談する姿に以前までの雰囲気は見られない。晴れやかな笑みを浮かべて話す相手に俺は好印象を持っていた。


「それじゃ、また来週」

「ああ。ボランティア、頑張れよ」


 休日の朝から地域清掃に従事するそうだ。俺は応援し、そのまま分かれ道で別れた。


 飯田とは定期的に会っている。過去の贖罪のため、様々な行動を取ろうとする彼に、俺から相談を持ち掛けた。今の飯田に断るという選択肢は無いようで、二つ返事で受け入れられ、今に至る。相談といっても、話を聞くだけ聞いて、無難な意見を言うだけだが、今のところ文句を言われたことはない。


 俺の旧友に対する印象は多くの人間にとっても同様のものとなり、彼を取り巻く環境は穏健な状態に遷移していった。当初は彼の変化に対して戸惑いを示す者、抵抗する者もいたが、そういった反応は個々人のレベルに留まり、やがては変化に適応したようだった。大半の者にとっては歓迎すべき事態であったし、飯田の変化は彼の交友関係にも影響したことで、対立は避けられたようだ。


 鳴りを潜めた攻撃性とは対照的に、彼の優しさは全面的に明らかとなる。彼は謝罪行脚を開始し、自らが傷付けたもの達に賠償を行った。この賠償というのは必ずしも金銭的なものではなく、基本的には原状回復、社会復帰というような方向性への働きかけとして実現している。被害者の大半は関わること自体を拒否しており、そのことを対象の家族を通じて把握していた飯田は、こういう時に限り、対応を変えているようだ。


 相談の内容は傷付けた人たちにどう接したら良いか、個別的な対処について問うものだった。個人情報をぼかして伝えられた言葉を吟味し、無難な意見を言う以外に俺がした事と言えば、苦難の道を歩む飯田を応援したことくらい。それだって、当たり障りのないもの。第三者からしてみれば、相談の意味はあるのか疑問を持つところだろう。


 もちろん俺にはメリットがある。独善は如何なる結果を出したのか。相談にかこつけて飯田を観察する目的の一つは興味を満たすためだ。それに改造以来、度々浮かんでくるようになった後悔を諫めるためにも。何故なら、飯田と異なり、俺の行為は取り返しがつかない。もしも変化が過ちだとしたら、俺はどうすれば良いのだ。

 一人、溜息を吐く。俺は気怠い体を強引に動かし、家に向かった。

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