第5話 2/12 育児の日

6:18-6:50


前から考えてたワンオペ育児SFのネタ

終末と育児


鬱ネタ

鬱すぎるので少しだけ救いいれる(逆に辛くない?)






(起)


 一ヵ月後、世界が滅びることを妻はまだ知らない。


「ねえあなた、今日は半分まで寝返りできそうだったのよ」


 妻が弾んだ声で話しかけてくる。

 今、彼女は生まれたばかりの赤ん坊のことで頭がいっぱいなのだ。

 自分の夫が、世界を救う為に奔走しているなどとは考えてもいないだろう。ただいつものように、仕事へ行っていると思っている。


「……ふーん……」

「ふーんって……」

「そりゃ、寝返りぐらいそろそろし始めるだろ」


 世界が滅びそうなことに比べれば、当たり前のことだった。

 最初は寝返り、次にハイハイ、赤子が出来るようになる順番は大体が決まっている。


「……そうね」


 妻は疲れている僕を気遣ってか、それ以上は何も言わなかった。

 その腕に抱かれている赤ん坊は気持ちよさそうに眠っている。何も知らないで呑気なものだ。 いや、逆に知らない方がいい。だから報道に漏れないように必死に情報統制しているところなのだ。やれやれ。僕も知らない側でいられればよかった。




(承)


 終末回避の為の仕事は、順調とは言えなかった。


「ねえ……少しはこの子の面倒を見てあげて。少しだっこするだけでいいから」

「疲れてるんだ」

「もう、忘れられても知らないんだから」


 冗談めいて妻は笑った。

 ほんの少し忘れられるぐらい、いいさ。どうせ何年か後(があれば、だけれど)忘れたことも忘れてるんだ。

 あと十日。それまでになんとかしなければ世界は滅ぶ。

 万が一滅びたら君の顔も見られなくなるな、と思って妻の顔を改めて見た。

 おや、と思った。

 妻はこんなに老けた顔をしていただろうか。髪もぼさぼさで、風呂もあまり入っていないのかもしれない。赤ん坊が心配なのはわかるけど、少しは自分のこともやっていいのに。




(転)


 結果だけ言えば、世界は滅びないことになった。

 言うのは簡単だ。そこに僕たちのどんな苦労があったかも知らないで。けれど、まあよかったとは言っておこう。

 僕は泣いた。上司も部下も、同僚も泣いた。多分事態を知っている全員が泣いただろう。

 喜びと、達成感。

 あまりに大きなそれに包まれた僕はしばらく虚脱して、職場で呆けていた。


「……帰るか……」


 妻に全部話そう。

 そして十分な休息をとったら、赤ん坊を思い切り抱き上げて。




(結)


 家に帰ると、部屋は真っ暗だった。

 赤ん坊が泣いている。

 妻は寝ているのだろうか。こんなに大きな声で子どもが泣いているのに?


「おーい、寝てるの?」


 声を掛けながら、電気をつける。

 僕は、言葉か出なくなった。

 クローゼットの端に、妻が掛かっていた。


「あ、あ……」


 その顔には血の気がない。その下肢は排泄物で汚れていた。推理小説か何かで読んだ知識が頭をよぎる。手遅れだ、と。

 嘘だろう。一ヵ月のことだ。確かにこの一ヵ月、妻を大事にしていたとは言えない。だけど一ヵ月。たかだかそれだけ。それだけだったのに。

 赤ん坊が泣いている。僕はそれを止めるすべもわからない。首は座っているのか。首が座るまでは横に抱かなきゃだめよ、と出産直後に助産師に教わったことをそのまま僕に言いつける妻の顔がよぎる。その時彼女は笑顔だったろうか、必死な顔だっただろうか。

 たしか試供品のミルクなんかをもらっていたはず。場所もわからない。おむつかも。それもわからない。

 わからない、なにもわからない。


 一ヵ月後、世界は滅びなかった。

 滅びない世界で、赤ん坊の泣き声と、永遠に失われた愛だけが残った。

 最後には、愛だったのかさえも、わからないけれど。

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朝活短編集2021 末野みのり @matsunomi_nori

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