その日の昼、私は屋上でそいつと空を見上げた

『お嬢ちゃん、ワイと結婚してくれんか?』


 女の頭の中には朝の言葉が繰り返し響いていた。


『お嬢ちゃん、ワイと結婚…』


 それは壊れたラジカセのように何度も何度も繰り返し頭の中に響いていた。


『お嬢ちゃん…』


「あーもー!うっさい!何でアイツの言葉がこんなに気になるのよ!」


「わおっ!?…あイタっ!ななな、なんや急に!」


 執拗に繰り返されるその声に思わず叫んだ女の前に上半身ニジマスの自称・人魚の男が落ちてきた。


「うわっ!?ちょっ、急になに!?」


「なにちゃうねん!あんさんなして急に大声出すねん!せっかくが気持ちよう昼寝しとったのに驚いて落下してもうたやないか!」


 男は女に文句を言った。


「あ…ああ、ごめん。……いやいや!なんで私が謝らなきゃならないのよ!学校の屋上で、それも空の上で昼寝してるやつがいるなんて誰も思わないわよ!つかアンタはじゃなくて変態のでしょ!」


 女は相変わらず下半身丸出しの半人半魚はんじんはんぎょの男に対して逆ギレした。


「ちょいちょいちょいちょいちょいちょい!あんさん今バケモンちゅーたな!?ワイに向けてバケモンゆーたな!?あんさんはワイがだからバケモンゆーんか!?え?え?どうなんや?え?」


「え…いや…あの……」


 女は男に何も言えなかった。


「おうおう!どーせワイはバケモンや!あんさんのゆーとおりや!あんさんもワイのことやないと思てんのやろ!」


「ちょ…ちょっと、どうしたの?そんなに怒らなくてもよくない?バケモノって言ったのは謝るからさ。私が悪かったから。ね?」


「ええ、ええ…無理に謝んなくてもええよ…どうせあんさんもワイのことと思てんやろ?ええよ、わかっとるさかい…ワイが他の人魚と異質ちゃうってことくらいわかっとるよ……」


(あ…)


 女は気がついた。

 この男の心を…

 この男の苦悩を…


「ごめんなさい……私……私……」


「…なんや?あんさん泣いとるんか?」


 女は泣いていた。

 男のことを想い、女は泣いていた。


「ごめんなさい…私……私は絶対言っちゃいけないことを…ごめんなさい……」


「………もういいよ。キミのその涙でオレは救われた。キミのその涙のお陰でオレが今までずっといだいてきた全てのことがどうでもよくなった」


 そう言った男の口調は胡散臭い関西弁ではなくなっていた。


「オレは他のみんなと見た目が異質ちがうってだけで差別されて、ずっとひとりぼっちだった。だからオレは道化を演じて自分を偽ってきた。そんなオレのために泣いてくれる女の子がいた。オレのために綺麗な涙を流してくれる女の子がいた。それだけで十分だよ」


「………私も…」


 女は呟いた。


「私もずっとひとりぼっちだった…」


「だろうな…」


 男は女の言葉にした。


「ふふふ…だろうなって…それはちょっと酷くないかな…ふふ」


 女は静かに笑いながらそう言った。


「あ、いや…オレがそうだったからキミもそうなのだろうと思ったんだ。…ごめん、悪いこと言っちゃったね」


「いいよ謝らなくて。わかってるから。私は私がだって」


 女は自分が異質いしつだと言った。


「そう…私はみんなと異質ちがう……」


 女はそう言って空を見上げた。

 女につられるように男も空を見上げた。

 二人は黙って空を見ていた。

 他に誰もいない屋上で二人は一緒に空を見た。


「空ってさ…みんな同じなのかな?」


「どうした?急に」


 不意に女が言った。


「だからさ…こうしてアンタと私が見ている空ってなのかな?」


「…さあな。少なくともオレは今キミと一緒に空を見上げている。だと思う。例えオレの見ている空がキミと違っても、今ここでオレとキミが一緒に空を見上げていること、それはオレとキミも変わらないとオレは思う」


「そっか…」


「そうだよ」


 女と男は再び黙って空を見上げた。

 そして、暫くの沈黙の後で女が再び口を開いた。


「ねえ、人魚さん?」


「人魚さんなんて言い方はやめてくれよ。アンタでいいよ」


 女は男をアンタではなく人魚さんと呼んだ。


「ううん。人魚さんは人魚さんだよ。…人魚さん、私をどこか誰もいないところへ連れていってくれないかな?」


 そう言った女の声は震えていた。

 男は何も言わなかった。


「私さ、もう疲れちゃった…みんなが私を視るあのがもう嫌になっちゃった…みんなが私を視るあの眼が………だから私は死のうとしたの…」


 男は何も言わなかった。

 男は何も言わずに震える声で話す女の話を聞いていた。


「でも人魚さんに止められた…下半身丸出しの変な人魚さんが出てきて私を止めた…本当に何もかも嫌になって死のうとしていたんだけど、人魚さんに会って何もかもどうでもよくなった…それで今日学校に来てみたんだ…でも………でもやっぱり辛いよ人魚さん…学校のみんなの眼…来る途中ですれ違った人達の眼…みんなが私をを視る様な眼で視て、私をバケモノ扱いして…私のことを触れちゃいけないモノみたいに無視して…やっぱりこんなの耐えられないよ人魚さん………ごめんなさい…私は…私だけは人魚さんの痛みがわかっていたはずなのに…それなのにさっき私は…私は………」


 女は泣いていた。

 空を見上げたまま涙を流していた。


「…それはもういいって言っただろ?だからもう泣くのをやめてくれ。キミのそのに涙は似合わないよ」


 男はそう言って女に近づき、そっと女の涙を指で拭った。


「人魚さん…」


「泣いていたら空の色もわからないだろう?ほら、一緒に行こう。海の様に青いあの空へ…」


 男は女を見つめ、女の手を握りながらそう言った。

 女は男の手を握り返した。

 握り返した女の指には指環が付けられていた。

 それは、男の贈った海色の石が嵌められた銀色の指環だった。


 上半身が魚のと、大きな瞳を持つは互いに手を取り合って海色の空へと消えた…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空飛ぶ人魚と女子高生 (加筆版) 貴音真 @ukas-uyK_noemuY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ