なごり雪に溶ける君へ

多賀 夢(元・みきてぃ)

なごり雪に溶ける君へ

 2月半ばの夜の公園は、凍てつくほど寒かった。

 しかし私が固まっていたのは、微かに震えていたのは、絶対にそのせいじゃない。

「マキ、だよな?」

 突然の目の前に現れたのは、ぼろぼろの衣服に血を滲ませ、土気色の顔をした大柄な男。ハロウィンの時期ならゾンビのコスプレだと納得するが、あれから4か月以上経っている。つまりは。

(お、おお、おばけええぇぇぇぇぇぇぇぇ!?)

 もう声が出ない。脳ではなく体の方が、逃げるか戦うかで喧嘩している。

「ごめん、驚かせたよな? 俺だよ、リュウ。ほら、高校で同じクラスだった」

「へ?リュウ?――リュウ!?」

 リュウの事は覚えていた。……だって一年前に、同級生のカズから連絡があったから。『車をぶつけて死んだ』と。



「まあ、ここ座りなよ」

 ベンチの座面を手で払い、座って隣を手で叩く。おずおずといった感じで、リュウが隣に座る。

「お前、怖くないの?」

「そりゃ、おばけは怖いけど。中身はリュウじゃん」

「えっと、俺、言いづらいんだけど、実は――」

「死んでるんでしょ。知ってる」

 リュウは口をパクパクし、それから上を見て何か言っていた。首をひねり、頭をかいて、諦めたように正面に向き直った。

「それで。愛媛くんだりから、埼玉まで何しに来たの」

「そうだよ! お前、最初愛知の大学行くって言ってたのにさ!カズに聞いたら上京したっていうし、そこで結婚したと思ったら、離婚して埼玉に行ったって聞いたし!」

「それはいいから。何をしに来たのって聞いてんの」

「あー。それ言わせる?」

 リュウはうつむき、もじもじと落ち着きなく腰をずらしている。私はポケットから、カイロ替わりにしていた缶コーヒーを出した。ぬるくなったそれを飲みながら、推察した結果が外れているように祈る。が。

「好きだったって、伝え、たくて」

(ビンゴかい)

 冬雲に阻まれて見えない夜空を思い浮かべ、きっとそこにあるであろうオリオン座を見つめる。神よ、私に死人を振れと申すか。私は鬼かよ。

「あー。その、なんだ。確かに私は今フリーだけど、霊と付き合う勇気は……」

「あ、いいんだ! そうじゃないから」

 顔がまた土気色になっている。あと、心なしか出血量が増えているような。

「俺さ、なんか成仏できなんだよね。ここに来るまでに、葬式とか病院とか寄ったりしたけど、大抵が奇麗な格好で上に行くんだ。でも俺は、何故かいけないんだよ」

 リュウが辛そうな顔をすると、傷が増えて血がにじんだ。服が弾けるように千切れ、何かに煤けて汚れていく。

 つまりこれは、事故直後の姿とかそういうのじゃない。リュウの『魂』が苦しんだ痕だ。

「だから心残りが原因かなって思って、思い当たる所全部当たったけどさ。――なっかなか難しいなあ、俺やっぱ、頭悪いんかなあ」

 笑って流そうとするリュウの胸が割け、そこからどす黒い血が伝う。私は耐えきれずリュウに抱きつき、腕に思いっきり力を入れた。

「あんたね、ここに来るまでどれだけ傷ついてきたの! あんたバカなの!?」

 リュウが何を見て、何に苦しんだのかは知らない。だけど生きていたら耐えられないほどの傷を負い、それでも彷徨う姿は辛すぎる。

「これ以上傷つかないでよ! 昔っからそうじゃん、輪の中心にいたくせに、周りと馴染もうとしなかったじゃん! 辛い事がたくさんあったはずなのに、本音を一度も明かしてくれなかったじゃん!」

 リュウは、高校生なのに一人暮らしをしていた。家がお金持ちだからだと思っていたけれど、本当は家がらみの複雑な事情があったのだと後から知った。それが元で精神を病んだことも、跡取りから外されたことも、地元のどこにも居場所がなかったことも、全部全部、カズを含めた同級生からリュウの死後に聞いた事だ。


 その同級生たちだって、笑っているリュウしか覚えていなかった。


「引かれようがなんだろうが、思ったことを言っていいんだよ! 泣いたっていいし、逃げたっていいんだよ! して欲しいと思ったら、突飛な事だってお願いすればいいんだよ! 私が好きなら好きって言えばよかったんだよ、言ったところで、私はあんたから離れたりしなかった!」

「それは分かんないだろ――」

「分かる! 私も、家に居場所がない人間だったもの! 殴られて、罵られて、出て行けって言われるの耐えてたもの!」

 私の家は金持ちではない。だけど弟の出来が良かったせいで、比較され、馬鹿にされ、女のくせに生意気だと毎日どこか殴られていた。私がそれに耐えられたのは、周りに言って慰めて貰ったから。更に普通の家と言う物を知り、自分の家を見限る覚悟ができたから。

「自分と同じ境遇の人間を、突き放せる人間なんて、いる?」

 気が付いたら、私は大泣きしていた。私の胸も、彼と同じようにズキズキ痛んだ。頬に冷たいしずくを感じた。見上げると、リュウの涙と2,3片の雪が混ざって私に降りてくる。

 この涙が温かいうちに、こうやって抱きしめればよかった。そう思うと、私の悲しさは更に強く苦しくなって、喚くように泣き続けた。



「おい、起きろよ。おーい」

 大きな声が遠くから聞こえて、私はゆっくり目を覚ました。が、そこで仰天した。

「積もってるやん!」

 雪が、うっすらと積もっていた。夜明け前の薄明りで、辺りが真っ白になっているのが分かる。あっぶね、私公園で凍死する所だったわ。

「あれ、リュウ?」

 辺りを見渡しても誰もいない。妙な気配がして上を見たら――いた。浮いている。少しずつ上昇している。

「キレイになっちゃって」

 アイドルが着そうな、真っ白なスーツ。色白な肌に紅をさしたような頬と唇は、昔からだ。翼が付けばそのまま天使のような姿の周りを、綿のような雪が舞っている。

 ――美しい。これがあいつの、本当の姿だったんだ。

「なあ! マキ!」

「何!」

「俺、あの世行けるみたい!」

「そうだな!」

 リュウの顔は、見たことがないほど晴れやかだった。お葬式には出なかったから、これが私にとっての本当のお別れか。なのになんだろうな、悲しいのに清々しいや。

「マキさあ、突飛なお願いでも、してもイイって言ったよな!」

「うん」

「次生まれるなら、お前の子供になってもいいかな!」

 私は固まった。私、病気の関係で子供ができないんだよね。

「子供は厳しいかもー!」

「知らねえ! 絶対俺、お前の子になってやるから!」

 だから無理だと言おうとしたけど、リュウの姿は白い光に包まれ、羽が散るように霧散した。


 リュウの魂を隠すように、雪が深々と降りしきる。私はしばらく空を見上げていたが、寒さに震えて我に返った。

「なごり雪には、1か月早いだろ」

 リュウを産むのは正直無理だ。だけどなぜか、また会える気がしてならなかった。

 その時、リュウは雪の公園で大泣きしたことを覚えているだろうか。覚えていたら面白いな。その時は、こう言ってあげよう。


『君の本当の魂は、雪のように真っ白で、天使のように美しいんだから。今度こそ大切にしようよ、私も守るからね』

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なごり雪に溶ける君へ 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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