最終話 お帰りとただいま

 もうこの家には戻れない。ここは雨宮がバアルと共に過ごす場所。たった今からそうなった。

 不思議なものだ。あれだけ、爺ちゃんとの思い出のこの地を手放したくなかったのに、今はこれでよいと自然に思える。

 既にこの施設を利用する者たちへの仕込みは全て済ませている。具体的には、指を鳴らすと記憶の改竄が発動するようセットされており、たった今それを行使したところだ。

 もっとも、鬼沼やバアルのように記憶の改竄をすると今後の俺の行動に支障をきたすと判断した者達は、この件を説明した上で改竄していない。

 改竄した記憶の内容は二つ。

 一つ、俺の存在をホッピーという仮面の英雄にすり替えること。

 ホッピーは阿修羅王であり、この屋敷とダンジョンを管理し、魔界やイノセンス、冒険者機構、超常事件対策局たちに力を貸している。そんな存在として再構成した。

 二つ目が、雨宮が現在、イノセンスの主要メンバーの一人であるという認識。

 この二つを矛盾なく繋ぎ合わたのだ。

 これなら今後、イノセンスの主要メンバーがこの遺跡を使うことも支障がないし、雨宮がこの家を介してバアルと会う事も可能だ。

 ほとんどない荷物を我が愛車に積み終わると、玄関先の前に佇むセバスとメイドのミトラ。


「後は頼むぞ」

「我らがしゅの御望みのままに」


 セバスとミトラは恭しくも、俺に頭を下げてくる。

 俺は口端をあげつつも、愛車に乗り込み走り出す。



 朝日を受けて朱鷺色に輝く駅前通りのベンチに腰を掛け、ボンヤリと空に浮かぶ太陽を見上げていた。

今はまだ7月の始め。昼間は大分蒸し暑くなってきているが、今のこの早い時間帯だと、涼しくて気持ちがいい。

 

 別に気を落とす必要はない。藤村秋人が死んだわけじゃないんだ。

 妹の朱里との関係は、依然としてあるし、この日のためにカドクシ電気で面接を受けて内定をもらっているから職もある。

 逆に社畜の生活から一転、伝統も誇りもあるやりがいもある一流企業に転職でてきてホクホクだろう。これで十分な余暇もとれるし、高給取りの一流企業の正社員だ。お見合いでもすれば、嫁さんの一人や二人見つけること可能だぜ。まあ、ホッピーや阿修羅王としての仕事もあるから、以前と全く同じとはいえないがな。


「ん?」


 膝のジーパンにポタリと落ちる雫。

 あれ? おかしいな。まだこんなに汗だくになるほど熱くはないはずなんだけど。

 顔を触れると、大粒の涙がポロポロと流れ出ていた。


「そうか……それはそうだよな」


 この一年弱、あんな騒々しい奴らと一緒にいたんだ。爺ちゃんが死んでから、ずっと基本一人で生きてきた俺にとって、全てを捨ててでも俺を守ろうとしてくれるあいつらはまさに家族そのものだった。

 まさか、家族を失う悲しみをこんなに早く味わうことになるとは。実に滑稽だ。これも散々他者の命を奪ってきた俺への神からの罰ってやつかもしれん。


(クロノ、俺はこれでよかったんだよな)


 そんな二度と訪れない替えのきかない生活を犠牲にしても、俺は雨宮梓の幸せを望む。未来であいつが笑っていることをひたすら渇望する。

 だけど――だけどな、流石にこれは辛いし、こたえるよ……だから、クロノ、少しだけ俺に弱音を吐かせてくれ。

 留めなく出る涙を右袖で拭いても、まるで涙腺がぶっ壊れたように、次から次へとみっともなく流れ出る。


「なんじゃ、らしくもなく泣いておるのか?」


 眼前からのあきれ果てた声に、顔を上げると長いニーソックスに、黒色のワンピースを着用した長い黒髪に黒色のリボンをした少女が両手を小さな腰に当てつつも、底意地の悪い笑みを浮かべて仁王立ちしていた。

 この鋭い目つきに、幼い容姿と小柄な体躯。こいつはいつぞやの暴力中学生、能見黒華のうみくろかか。


「中学生、今日は平日だ。さっさと準備しないと遅刻するぞ?」


 必死に袖で涙を拭いて誤魔化しつつも、大人として適切なアドバイスをしてやる。


わらわは、中学生じゃない、高校生じゃっ!!」


 案の定、飛んでくる右回し蹴りを左腕で受け切る。

 阿呆、そんな丈の短いスカートでそんな大技かましたら――。


「だから、それやるとパンツ丸見えになるんだって」


 俺の有難い指摘に、忽ち頬を紅に染めていき、俺から一歩下がってスカートを押えて睨みつけ、


「この野獣ケダモノぉぉ!」


 大声を上げてくる。

 だから、人聞きの悪いことをいうなって! 人目につくだろうが!


「あのな、あえて見せてきたのはお前だろ」

「だ、誰も見せてなどおらんわっ!!」


 林檎のように全身を赤くして叫ぶ黒華に、深いため息を吐く

 だが、こいつのお陰でみっともなく流れていた涙が止まった。こんな中学生でもいれば、それなりに役に立つものだ。


「学生は学校にいけよ」

「ふん、妾の登校は明日からじゃ。数日前までずっと眠っておったからの。家族も学校も今日まで病院から出るなと煩いのよ」


 黒華は背後の巨体な建物を刺す。あー、そうか、そういやここって総合病院だったな。


「というか、お前、思いっきり外出してんじゃん!」

「そりゃまあ、会いに行こうと思っていた奴が目の前におると知ればな」


 会いに行く? そういうや、GOSYUゴーシュのオーク襲撃の際、正体をばらされたくなければ、あとで話を聞かせろと脅迫されていたような。色々あって、すっかり忘れてた。


「わかった。あの件はあとでゆっくり説明してやる。だから、今は一人にしてくれ」


 まっ、一人になれば余計へこむんだろうけどな。流石に暴力中学生に慰めてもらうほど俺も落ちちゃいない。


「うむ、それはもう不要なのじゃ」


 先ほどとは一転、ご機嫌な様子で俺のベンチの隣に座る黒華。


「ちょっと、黒華さん?」

「なんじゃ?」

「もっと空いてるんだし、離れて座れよ」


 わざわざ、俺に密着して据わる必要がどこにある? これじゃあ、マジで女子中学生と援助交際しているオッサンの図式だ。このままじゃ、間違いなく警察のご厄介になることだろう。


(うー、何が、俺はお前を探し出すぜ、じゃ。微塵も気づきもせんではないかっ!)


 ボソッと小さな声で愚痴をこぼすと黒華は、立ち上がりやはり腰に両手をあてて前かがみになるとベンチに座る俺を見下ろす。


「やめじゃ。このまま落ち込むそなたが気付くまで二人での逃避行も面白いかとも思っておったが、ウジウジ塞ぎこんでるそなたなどこちらから願い下げじゃ」

「だから俺は今一人で考えたいと」


 黒華は意味不明なことを宣うと、スマホの画面を俺に向けて突き出してくる。


「あのヘビ男が、このメールをそなたに見せろじゃと」

 

 不機嫌そうにそっぽを向きつつも、俺に童女が好みそうな装飾のされたスマホを渡してきた。


「ヘビ男? お前、外見だけじゃなくて中身も童女趣味なのな」

「ほっとけなのじゃ!」


 再度俺に蹴りを入れようとするが、思いとどまりスカートを押えて叫び声を上げる。

うむうむ、多少は成長したようで何よりだ。

 黒華のスマホに移されたメールに目を落とす。


『旦那、失礼しやす。鬼沼です』


 ヤバい、条件反射でメールを閉じてしまった。だって、マジであいつからメールって、いつも厄介ごとだらけだもんな。

 無論、鬼沼に記憶の改竄など恐ろしくてできない。あとで何されるかわからんし。従って奴は依然として俺を知っている。

 現実逃避をしても無駄だろう。意を決して、読み続ける。


『諸般の事情により、数時間前の【万物支配(精神)】の効果はキャンセルさせていただきやした。後始末、大変でしょうが頑張ってくだせぇ。

 追伸――【万物支配(精神)】の権能は、旦那には相応しくないように思えやす』

「は? いやまて!」


 咄嗟に自身のスマホを開けると、雨宮からの長文メールが届いていた。

 その内容は――。


「ははは……」


 乾いた声を上げる俺に、黒華は俺の右手を掴むと引っ張り立たせる。そして俺に一歩近づき顎を上げると、俺に人差し指を向け、


「いくらマイエンジェルといえど、そなたはやらんぞ。そなたは、妾のものじゃしの!!」


 声を張り上げて宣言をする。


(マジかよ……)


 流石俺も、ようやく事の顛末が見えてきた。というか、こいつの言動みれば一目瞭然だったな。

 この独特な口調に、大層な一人称、そして何よりマイエンジェルとの言葉。


「大分、縮んだな」


 鼻の奥がツーンと痛み、視界が滲むのを自覚しながら、率直な感想を述べる。


「ふん! そなたのようなロリコン変態には、妾の姿の方が嬉しかろう?」


 黒華は、前かがみなると悪女としか思えぬ笑みを浮かべる。


「誰がロリコンだ! 人聞きが悪すぎんぞ!」

「なら、嫌いかの?」

「いんや」


 俺は目をつぶって顔を左右に振ると、黒華の小さな体を抱きしめる。


「もちろん、好きさ」


 忽ち顔を頬がみるみる熟しトマトのように紅潮し、黒華は俺の背に両手を伸ばしてきた。


「妾も大好きじゃぞ」


 お互い抱き合いながら、


「お帰り、馬鹿猫」

「ただいま、野獣」


 そんな俺達らしい挨拶を交わした。



                         完


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社畜ですが、種族進化して最強へと至ります 力水 @T-retry

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