「ごめんなさい」

「あの店を、『stray sheep』を君に任せたい」


「え」


「カウンセリングに訪れる人は

 心に悩みを抱えた人のほんの一割にも満たない。

 それに、カウンセラーだけで

 対処するには人手が足りない上に、ハードルも高い。

 だから、『種』で救える人がいるなら救いたい。

 これは私のエゴだ。


 けれど、君は言ってくれたな。

『その行為で救われる人がいるなら、

 それはエゴなんかじゃないですよ』


 君が私に色んなことを教えてくれたから、

 今私がこうしてカウンセラーをしていられる。

 だから、どうかお願いだ、

 あの店を君に継いでほしい。

 君じゃないとダメなんだ、君以外には頼みたくない」



 そんな昔のことをどうして覚えているのだろう。

 それに、滅茶苦茶すぎるのに、

 断れないと思ってしまう。



「それは、僕が『種』を扱う、

 ということですか?」


「そうだよ。君に、『心の樹』も含めて

『種』を育ててほしい」



 彼女は僕に何を求めているのだろう。



「料理も出しますよね」


「もちろんだ。

 そのためには、調理師免許も必要だが――」



 そう言えば彼女は知らないのか。

 久しぶりに再会したのだから、

 至極当たり前のことだけれども。



「言い忘れていましたね。

 僕は調理系の学校を卒業したので、

 調理師免許は持っていますよ。

 後は、実務経験を積むだけです」


「じゃあ――」



 彼女の言葉を待たず、食い気味に答える。



「はい、受けますよ、その話。

 あの店は僕にとっても大切なものなので。

 働き始めてもうすぐ二年になります。

 だから、せめて二年が経つまで、

 待っていてくださいね」


「勿論だよ」



 彼女は温かな笑顔を見せてくれた。

 そして、柔そうな手が封筒を差し出す。



「土地の貸し出しと

 店の経営に関わる書類が入っている。

 後でこれに目を通して、サインしてほしい」


「分かりました」



 頷き、それを受け取ると、

 さらに彼女は鍵を手渡してきた。



「これは?」


「店の鍵だよ。

 久しぶりに見に行ってくれないか。

 掃除も滞っているから、

 少しばかり店内の清掃をしてくれると助かるんだが」



 軽く雑用を押しつけられてしまったが、

 あの店は思い出の店だ。

 久々に足を踏み入れたら、

 思い起こすこともあるだろう。



「いいですよ、それじゃあまた」


「待ってくれ」



 彼女が僕の服の袖を掴んだ。



「連絡先を交換してほしい」



 自信なさげにスマホを見せ、

 僕を引き留める縁さんが

 萌えポイントにヒットした。



「勿論ですよ」



 そして、改めて僕は清掃のために

 あの店へと足を向けた。


 店はとても静かで少しばかり暗かったけれど、

 それでもどこか物思いに

 耽ってしまうものがあった。


 掃除を頼まれたがその前に、

 彼女から渡された封筒の中身を確認しようと、

 封筒を開けてみる。

 中には、彼女が言ったように

 土地使用の名義や店の経営者に関わる

 書類なんかが封入されていた。

 しかし、中身はそれだけではなかった。



 三つ折りに畳まれた白くて、

 薄っぺらい一枚の紙が同封されていた。

 店の営業再開の手続き用紙か何かかと思いきや、

 それは茶色の印字に手書きの文字が記されており、

 裏から黒いインクが透けて見える。


 破れそうに柔い紙をそっと開き、

 僕は呆然とその紙を見つめた。

 そして、ポツリ、独白を呟いて。



「どうして、こんな回りくどい……馬鹿だなあ」



 僕は鞄の中からボールペンと印鑑を取り出し、

 空白を埋めるように記入して、捺印する。


 この婚姻届のせいで、

 掃除どころではなくなってしまった。

 その紙を三つ折りに畳み直し

 ポケットに仕舞い込む。


 それから僕は掃除を後回しにして、

 彼の墓へと向かった。



 お供えなんか用意する余裕もなく、

 さきほど墓参りをしたばかりで

 その必要もないように思われた。


 目の前には心の実がついたままの枝が

 無邪気に笑っている。

 僕がこれからすることなんて、露知らず。



「僕は、縁さんのことが好きです。

 とうにいの好きな人だって気づいた頃にはもう、

 惹かれていました。


 以前告白されて、今日、

 婚姻届が同封されていました。

 回りくどくて、不器用ですよね。

 でも、嫌いになんてなれないくらいに大好きなんです。


 だからこそ、

 この想いに蓋をしようと思います」



 昼のドラマなんかでよく、

 墓は隠し事をするために利用されている。


 墓石の下に隠すような真似はしないが、

 一生の秘密をとうにいと共有しようと思う。

 墓石の周辺に散りばめられている石を退け、

 その石で少しだけ土を掘り起こした。

 土を掘り起こしてできた窪みに

 三つ折りのそれを埋め、退けた石を被せて隠す。


 永遠に叶わないよう誰にも、

 縁さんにさえも伝えないまま土に還すんだ。

 ただ、とうにいにだけは伝えておくね。


 喉の奥から絞り出すように、想いを乗せて。

 僕は彼にとても大事な告白をする。



「好きになってごめんなさい。

 とうにいの好きな人は取らないよ。

 だけど、どうか許さないでいて。

 そして、僕の心を表したその紙を

 この世から消し去ってください」



 両手を合わせ、懇願するように祈りを捧げた。


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僕の海馬を君に贈りたい 碧瀬空 @minaduki_51

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