第9話「ライブという挑戦(後編)

 ライブまであと二十分。


 ステージ裏では関係者たちがせわしく動き回っている。


 フカミは椅子にもたれ、苦しそうに息を吐いていた。ライブが始まるまで熱が下がるかもしれないという僕の希望的観測は、ものの見事に裏切られたわけだ。


 アルミはぶつぶつとつぶやきながら、ステップしつつ立ち回りを確認している。


 ミルキはステージ上にあるキーボードをじっと見つめていた。


 それぞれが緊張の色を隠せていない。無理もない話だった。


「ねぇ、マネージャー」


 僕はフカミの隣に立っていたので、すぐに呼びかけに反応した。とっさに身を屈め、椅子に座っているフカミの目線に合わせる。


「どうかしましたか?」

「マネージャーのせいじゃないよ」


 僕はぐっと息を呑み込んだ。


「一体、なんの話ですか?」

「とぼけないでよ。あたしが一人で帰るなんて言ったからこうなったんでしょ。そもそもマネージャーが来るまで待てばよかったんだよ。だからマネージャーが自分のことを責める必要はないの」

「…………」

「あ、当たりだった?」


 にへ、とフカミは笑みをこぼした。


「……カマをかけたんですか?」

「カマを首にかけたらさすがに死ぬ?」

「当たり前です。そして今のはものの例えです」

「わかってるよ~」


 にへへ、と声を出して笑う。


 僕は困ったように首筋を掻いた。本番前にあまりやってはいけない癖なのだが、どうにも治らない。


 気づけばアルミとミルキが、僕たちの前に立っていた。


「マネージャー、お伝えしたいことがあります」

「……なんでしょうか」


 僕は立ち上がり、覚悟を決めた。


 今回の件、責められても仕方ない。

 

 しかしアルミはまっすぐに頭を下げた。


「今回のライブ、やらせて頂いてありがとうございます」

「ありがとです」


 ミルキも続く。


 僕は呆然としていた。まさかお礼を言われるとは。


「いえ、それは……」

「フカミの言う通りです。今回は私たちのミスなんです。だからマネージャーに非はありません」

「そうそう、ぜーんぜんないんだから」

「しかし……!」

「あたしの捻挫はあたしのミスだもん」

「私も、フカミのことをしっかり見てあげればよかったんです。横着しないで公共機関じゃなくて、タクシーを拾って送ればよかった。だからこれは私のミスなんです」

「そもそもあたしがマネージャーのことを待ってればよかったんだから」


 ごめんなさい、と三人が声を揃える。


 僕はつい、目頭が熱くなった。頭の中で色んな言葉が錯綜して――どれを口に出せばいいのかわからなかった。


 そうこうしている内に、開幕のブザーが鳴った。


「あ……」


 声を上げると同時、フカミが額の冷えピタを剥がした。


「ほんじゃ、マネージャー。行ってくるね」


 よろよろ、とアルミにしがみつく。そしてミルキもアルミに肩を貸してもらい、三人でステージへと向かう。


 三人は肩越しに振り返り――「行ってきます」


 僕はただ、うなずくことしかできなかった。


 彼女たちは満足そうに微笑んだ。今までに見たことがないほど、素敵な笑顔。


 僕は我知らず、手を握りしめていた。


 ここまで来たらもはや成功を祈るしかない。


 どうかうまくいってほしい。


 僕はステージに上がる三人の背中を、ただ見送っていた。


     〇


「みなさーん、こんばんはー!」

『こんばんはー!』

「今日はあたしたちのライブに来てくれてありがとー! みんな、愛してるー!」

『わ――!』

「それとねー、みんなに伝えなくちゃいけないことがあるんだー!」

『なーにー!?』


 フカミがふら~っとステージの中央に立つ。


 まさか、と僕は体をこわばらせた。


「ご覧の通り、今日フカミっちのコンディションがパーフェクトじゃないっていうか、要するにヘッドがヒートしちゃってダンスもソングもコンプリートじゃないっていうか! なので皆に心配をかけちゃうかもしれないけど、フカミっちにはゆっくりやってもらうっていうか! そんなわけで最初から謝っておくね! アイムソーリー!」

「あいあむ、そーりー……」


 ぺこり、と頭を下げる。


 すると「大丈夫だよー!」と声が飛んだ。


「フカミちゃん、無理するなよー!」

「気をつけてー!」

「フカミー! 俺の腕でいいなら寝かせてあげるぞー!」

「わーい、うれしーい……」


 ファンからの声にひらひらと手を振る。


 最初からカミングアウトするか。


 確かにそれもひとつの手だが――同時に諸刃の剣だ。ファンに心配をかけさせてしまう上に、水を差すことにもなりかねない。


 しかし、そこはミルキ。見事な手腕(?)でむしろ盛り上げた。


「ついでに言えば、あたしも捻挫してるのー! ファンのみんなが大好きだから、ちょっと無理をしちゃったー! ごめんねー!」

「いいよー!」

「大丈夫かー!」

「大丈夫―! だから今回はキーボードなのー! 珍しいでしょー! あたしのとっておきのテク、見せてあげるからー!」

『わー!』

「ついでにいえばアルミっちも、昨日の夜に鮭を焦がしたのー!」

「ミルキ、それは言わない約束でしょ!」

『わー!』


 ファンは盛り上がっている。もはやなんでもいいのだろうか。


 しかし、ここまで手札を公開とは。感服する外ない。


 ミルキはマイクを持ち、声を張り上げる。


「じゃ、そろそろスタートするね! みんなご存じ、あたしたちの代表作の『頑張るなんて言葉はきらい』!」


 曲が流れる。

 フカミがマイクを握り、アルミがスタンバイに入る。

 すうっとフカミは息を吸い込んだ。


 頑張るなんて 言葉きらい

 なんて 他人任せなの

 無責任 ああ無責任 

 無責任な言葉 だいきらい


 次にアルミにバトンタッチ。

 スピーディーなダンスに移行する。


 でもでも 私には わかってるの

 あなたが 私を 想ってること

 だから そんな言葉を 使わないで

 頑張れなんて 言わないで


 次はキーボードを叩くミルキ。


 WOW WOW 私たちは止まらない

 水差しなんて いらないから

 頑張る 頑張る だから何?

 根性論 時代遅れなの


 三人がマイクを同時に口元に当てる。


 私たち 根性ありません

 頑張れと言われても できません

 無理をして 体壊したら

 どこの誰 責任取るの


 頑張る 頑張れ だいきらい

 だいきらい なんだけれど

 それでも 何も 言われないより

 ましじゃないかな そうなのかな


 ライトが彼女たちの顔を照りつける。

 ファンたちもヒートアップしている。

 ここからはもう独壇場。


 あなたに 見ててほしいから

 夢見るわたし 言葉選んで

 頑張れなんて 言わないで

 じゃあ何を 言えばいいかって?

 そんなの 自分で 考えて! (WOW!)


 誰もが〈KIRAKIRA〉から目を離せない。ここから一歩も逃がさない。

 大丈夫だ、と僕は僕に言い聞かせた。彼女たちならやれる。ライブが始まった以上、もう止まらないし止められない。


 間奏が入り、ミルキがそれに合わせてキーボードを打つ。


 そしてふらりと倒れかけたフカミをアルミが支えてあげる。フカミの顔が赤くなっているけれど、おそらくファンにはライブに熱が入っているように映っているのかもしれない。


 僕は遅まきながら気づいた。フカミの熱もミルキの捻挫も、ライブを盛り上げるために利用していることを。


「まったく……敵わないな」

 僕は額に手を当て、深々と息を吐いた。


 頑張るなんて 言葉きらい

 だいきらい なんだけれど

 でもでも 私にはわかってるの

 あなたが 私を 想ってること(WOW!)


 アルミが一気に飛び跳ねる。

 同時にフカミとミルキも、拳を突き上げる。そのアクションにファンも合わせ、サイリウムが彼女たちのステージをさらに照らす。

 成功だな、と僕は思った。

 ステージ上で輝く彼女たちは、ファンを――そして僕をも圧倒していた。


     〇


 三十分のライブは無事に終わりを迎えた。

 それからの特典会もフカミたちは笑顔を崩さず、やり通してみせた。

 そして――フカミたちが控室に戻った時。


「フカミぃ!!」


 控室の中からマスクをつけた白星イソラが飛び出し、真っ先にフカミに抱きついた。


 フカミは「うげええ」とアイドルらしからぬ声で呻き、イソラにされるがままになった。頭を撫でられ、頬ずりされ、耳たぶを噛まれ、次にはフカミの胸元にもわきわきと手を伸ばそうとして――さすがに僕は止めた。


「イソラさん、そこまでにしておいて下さい……」

「もう、今日のステージも最高だったわフカミ! お疲れ様!」

「聞いてませんね」

「おっつかれ~……離して……」

「嫌よ、離さない! せっかくフカミを堪能する時が来たもの! お邪魔虫の梅田もいないし、思う存分いじり回せるというものよ!」

「まぁまぁ、イソラさん……」


 僕とアルミとミルキはすっかりドン引きしていた。なんとか引き離したいが、相手は大手プロダクションのアイドルだ。下手なことはできない。

「……フカミ?」

「ん、何?」

「熱があるわね。ライブでヒートアップしていたのかと思ったけれど……もしかして?」

「あ、うん。ちょっとね」

「…………」


 イソラはフカミを離し、僕に詰め寄った。


「ちょっと、新垣さん。どういうこと? フカミに無理をさせたの?」

「……その通りです」

「フカミの体調管理はあなたの役割じゃないの? それなのに今のフカミをステージに上げるなんて――」

「違うよ、イソラ」


 フカミが割って入り、イソラをやんわりと押しのけた。


「あたしがマネージャーに無理を言ったの。やらせてくれって」

「……ミルキさんの捻挫も本当のことなの?」


 ミルキの足首に目を向ける。

 彼女は「てへ」と舌を出した。


「ほんとのことでーす。だからキーボードやってたの」

「……新垣さん」


 いよいよ声に怒りの色があらわになる。


 しかし、アルミが先手を打った。


「イソラさん。今回は私たちが無理を言ったんです。そもそもフカミが熱を出したのも、ミルキが捻挫をしたのも、私たちのミスなんです」

「でも……!」

「イソラさんが怒るのはもっともだと思います。でも、マネージャーを責めないであげて下さい。マネージャーは最悪のパターンとして、中止することも考えていました。けれど、私たちがライブを全うできるよう、最善のパターンも考えてくれました。だから私たち、むしろ感謝しているんです」

「…………」


 イソラはまだ納得がいってないようだった。


「……新垣さん、何か言うことはあるのかしら?」

「そう、ですね。彼女たちが言うことがすべてです」

「謝る気はない、と?」

「正直に言えば迷っていました。でも、彼女たちの言葉とライブを見て、気持ちの決心がつきました。僕がここで謝れば、彼女たちの決意に水を差すことになる。イソラさんには申し訳ない気持ちもありますが、僕としてはみんなの意志を尊重したいです」

「ん……」

「ただ、僕の不手際は認めざるを得ないところです。結果的にとはいえ、フカミさんたちに無理をさせてしまった。だから二度とそういうことがないように、気をつけます」

「型通りの文句ね。でも……」

「イソラ」


 彼女の名を呼んだのはフカミだった。


「これ以上、マネージャーを責めないであげて。あたしのこと好きにしていいから」

 すると、イソラは肩をぶるぶると震わせ――「フカミぃ」

「あたしよりも新垣さんの方が大事なのぉ? そりゃまぁ、フカミを好きにできるのは嬉しいんだけどぉ。あれこれいじり回したいんだけどぉ」

「マネージャーもイソラもどっちも大事だよ。だからこんなの見たくないの。あと、前から言いたかったんだけど……ちょっとキモいよ」

「ぐぬぅ」


 イソラは僕にびしっと指さし、「新垣さん!」


「は、はい!」

「今の言葉忘れないわよ! またフカミに無理をさせたら〈セガノ〉の全力を以って、あなたの会社を潰すから!」

「それは勘弁して下さい」


 本当にシャレにならない。〈セガノ〉が本気になれば、オオカミの吹く息のごとく僕たち藁の会社は吹っ飛んでしまう。


「フカミ!」

「今度は何さ~……」

「くれぐれもお大事にね! あと、アルミさん、あなたのジャンプ素敵だったわよ! ミルキさんも捻挫しているのに最高のパフォーマンスだったわよ! スカウトしたいぐらい! これは本当だから!」

「はぁ、ありがとうございます」

「ありがとです……」

「じゃあ、またね!」


 そう言うや、扉を開けて控室から出ていく。


 僕たちは一斉にはぁっと息をついた。


「嵐のごとき人ですね……」

「ちょっと苦手かもー」

「マネージャー、ウェットティッシュある? あいつ、さりげなくあたしを舐めてた。つーかマジでほんとキモい」

「ああ、それは……まぁ、あんまりそういうことは言わないであげておきましょう。今すぐ用意しますので、ちょっと待っていて下さい」


 僕たちは適当にばらけた。三人ともすぐさま椅子につき、同じように天井を仰いでいる。さすがに今度は疲れてしまったようだ。中でもフカミは重症のようだったので、ウェットティッシュと冷えピタを用意する。


「三人とも、お疲れ様でした」

「お疲れ様です」

「おっつー」

「おっつー……」


 僕はフカミに冷えピタを貼ってあげた。すると彼女は目を閉じ、「ああ~……」と銭湯に浸かる親父のような声を上げる。次にウェットティッシュを手渡すと、素早く顔を拭いていた。そんなに嫌だったのだろうか。


「マネぇ~ジャぁ~……」

「はい、なんでしょうか?」

「ありがとうねぇ~……」

 僕は目を丸くし――「いえ」と首を振った。

「お礼を言われることじゃないです。僕は――」

「もういいんですよ、マネージャー」


 遮ったのはアルミだった。「そうだよー」とミルキも続く。


「今回のは色々とアクシデントばかりでしたが、マネージャーが最善を尽くしてくれたおかげで私たちはいつにないパフォーマンスができました。ちょっと不謹慎かもしれませんが、面白かったです」

「あたしもー」

「あたしもぉ~……」


 つい、目元が熱くなる。


 なんとか手で誤魔化そうとしたが、ミルキにすぐに見抜かれた。


「あっ、マネージャーが泣いてる」

「泣いてません」

「泣いているんですね」

「だから、泣いてません」

「あたしの胸で泣いていいよぉ~」

「セクハラになるじゃないですか、やめて下さい」


 三人とも、声を揃えて笑う。今日のアクシデントなど笑い話だったように。


 強い子たちだ、と僕は思った。


 そして頼もしい。

 

 彼女たちならきっと〈セガノ〉を相手にしても立ち向かっていけるだろう。そう遠くない内に、白星イソラとも肩を並べて戦えるかもしれない。


 その時に僕は一緒にいてあげられるだろうか。


 もしそうだとしたら、どれだけ誇り高く思えるだろう。


 僕は三人がわいわいとやっているのを、しばらく見守っていた。

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僕の担当しているアイドルは病んでいる。 寿 丸 @kotobuki222

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