第8話「ライブという挑戦(中編)」

 トラブルが起きた。


 まず、ミルキが捻挫してしまった。


 そしてフカミが熱を出した。


「フカミさん、具合はいかがでしょうか?」

「天国のおじいちゃんとおばあちゃんが呼んでる」

「申し訳ありませんが、そのお誘いは断って下さい」


 助手席のフカミはぐったりしている。おそらく――というよりも確実に昨日、無理をしてしまったのだろう。


 やっぱり僕がバンで送ればよかった。

 

 現時刻はお昼。ライブは夕方から。

 

 それまでに少しでも熱が下がればいいと思い、迎えがてら買ってきた冷えピタをフカミの額に貼り、会場に向かっているところである。

 

 赤信号で止まる度、僕はフカミに視線を送った。


「本当にすみません。僕が迎えに行っていれば……」

「それ、何回言うのマネージャー……」


 そもそもあたしが悪いんだから、とフカミは言う。


「やっぱり人混みは最悪だね。空気悪いしうるさいし、幸せそうにキャッキャッと騒いでいるバカップルを見ていると胸糞悪くなるし」

「……今のあなたにこういうことを言うのは心苦しいですが、できれば言葉を選んで頂けるとありがたいです」

「曲がりなりにもアイドルだから?」

「そうです」


 けへっ、とどこかで聞いたことあるような言葉で吐き捨てる。


「やっぱりアイドルなんてロクなもんじゃないよ。こんな時こそ朝まで寝床でグーグーグーしていた方が賢明だよ。昔は熱を出してまで頑張るのが美徳とされていたけどさぁ、いざ自分の立場になってみるとふざけんなって言いようがないよね。熱を出したらコストパフォーマンス下がるし、頭のキレが着弾した亀っぽい怪獣みたいに落ちるし、なんならこのまま眠りに落ちて二度と目が覚めなくてもいいかなぁって思うし」

「色々とツッコミたいところですが、あまり喋らないで下さい……」


 早めにライブ会場に着き、僕はフカミを支えて控室へと赴いた。


 そこには涙目のミルキと、氷嚢を手にしているアルミの姿があった。


「あ、マネージャー」

「マネぇ~ジャぁ~……」


 ミルキは椅子に足を乗せ、氷嚢を当ててもらっている。よりにもよってこのタイミングとは、ある意味神かがっている。


「一体、どうされたのですか?」と僕は尋ねる。


 うう、とミルキは肩を縮こませた。


「うん、昨日……個人で練習してたらやっちゃったの。ターンのキレが気になったから……それでこんなことになっちゃって。ほんとごめんなさい……」

「大丈夫です」


 僕は口を手で隠し、頭の中でライブのシミュレーションをした。


 今のフカミとミルキに無理はさせられないから、どうしてもアルミに頑張ってもらうことになる。

 

 僕の思考を見抜いたのだろう――アルミが真剣な顔つきで「マネージャー」


「フカミの容態はどうですか?」

「まだ熱が下がっていません。夕方までに全快とはいかないと思います」

「であれば、私がやるしかありませんね」


 アルミの言葉は頼もしいが――不安にもなる。二人にリハーサルの時のようなパフォーマンスが期待できない上、振り付けも立ち回りも大幅に変わることになる。今から変更して間に合うものだろうか。


 僕は目をとろんとさせているフカミと、涙をこぼしているミルキとを交互に見た。長らく考え込み――ひとつの結論を口に出してみた。


「こうなればライブは中止にするという手もあります」

「マネージャー!?」

「今のフカミさん、ミルキさんに無理はさせられません。それはアルミさん、あなたにもです」

「私なら大丈夫です! フカミとミルキの分も私が頑張れば……!」


 僕は首を横に振り、「そうではありません」


「今から色々変更するとなると必ずどこかでしわ寄せがきます。ファンを満足させられるパフォーマンスができないとあれば、最初からやらない方が賢明ともいえます。当日になっての中止は痛いですが、僕としてはあなた方を優先するしかないのです」

「ファンのことだって、優先しなくてはいけないはずです!」

「確かにその通りです。もしかしたら今回のことでファンが離れてしまうかもしれない。ただ、あなた方は〈KIRAKIRA〉のアイドルたちであり、同時に〈ワルツ〉のアイドルでもあります。無理をさせて今以上のダメージを負えば、それは必ず長期的に見て良くない傾向に陥ってしまいます」

「…………」

「今、考えなくてはいけないのは可能かどうかです。中止にするなら早い方がいい。……というわけで、ミルキさん」

「は、はい!」

「今のコンディションでできることは?」

「……ダンスは無理です。手を振ったり、歌を歌うぐらいなら」

「楽器の演奏は?」


「え?」とミルキは目を丸くした。


「タンバリンでもドラムでもなんでもいいです。使える楽器はありますか?」

「え、えーと。吹奏楽とかはしたことないけれど、キーボードとドラムならちょっとかじったことが」

「十分です。……フカミさん」

「はぁい……」

「今、あなたができそうなことはありますか?」

「全部やれるよ。ダンスも歌も。ちょっとしんどいけど」

「そうですか。ただ、無理はいけません。激しいダンスは控えてもらいます。そして歌と楽器はミルキさんに担当してもらいましょう。そしてダンスはアルミさんに」

「は、はい! あの、マネージャー……」


 おずおずと尋ねてくるアルミに、「なんでしょうか?」


「先ほどの話の流れだと、中止にするという感じに聞こえたのですが」

「それは最悪のパターンです。ですが、最善のパターンが潰えたわけではありません。それぞれが今できることを模索し、可能ならばやり遂げてもらいます。無理のない範囲で、という条件がつきますが」

「そう、ですか……」


 アルミはどこかほっとした様子だった。そしてミルキも。


 フカミは朦朧としながらも、うっすらと微笑みを浮かべている。


 僕は再びライブのシミュレーションをした。ダンスのメインはアルミ。フカミはスローペースの曲で踊る。そして歌と楽器はミルキが担当。振付も歌も変えない。構成上アルミがソロになるケースが多いが、アルミならばこなせるはずだ。


 そのことを三人に伝えると、意を決したように顔を見合わせた。


「やるしかないわね」

「うん。こんなことで負けてらんないよ」

「う~い~……」


 三人の決意を目の当たりにし、僕はうなずいた。


「まずは一度、リハをやってもらいます。ただし一曲だけ。その出来次第で、やるかどうかを決めます」

「……はい」

「いけるよ、マネージャーっち」

「えいえいおー……」

「では、早速取りかかりましょう。時間がありません」

「はい!」


 アルミが言うと同時、びしっと立ち上がる。「立てる?」とミルキに尋ね、彼女に肩を貸した。


 僕はフカミを椅子から立ち上がらせ、ぐにゃりとした彼女の体をしっかりと両手で支える。


「大丈夫だよ、歩ける~……」

「いいえ、せめてステージまで送らせて下さい」

「……マネージャーってさ」

「はい?」

「案外、押しが強いよねぇ」


 フカミの意外な言葉に、僕は苦笑した。


「そうでなければマネージャーは務まりませんよ」


     〇


 時刻は夕方――


 ライブ会場となるビルの手前にはファンが並んで待っており、開場時間になるとぞろぞろと入っていった。常連が多いのか、こういう場所に慣れているのか、受付で手続きに戸惑っている人はほとんどいなかった。


 ついにこの時が来たか。


 あのような形でフカミたちを元気づけたとはいえ、僕の胸中には不安が立ち込めている。


 ライブが成功するか否か。


 ファンたちを満足させられるか。


 そして――フカミたちが無事にやり遂げられるか。


 フカミたちのトラブルについては、社長にはあえて報告しなかった。おそらく根性論でなんとか乗り切れと言い出すだろうと思ったからだ。責任問題になるだろうが、僕の独断ということにしておけばいい。


 結果的に僕が発破をかけたのだから。


 リハーサルではなんとかやり切れた。


 基本的にアルミが立ち回りを担当、ミルキは怪我した足が見えない位置でキーボードと歌を担当してもらい、フカミはスローペースの曲でゆったりとやってもらう。

この中で一番危ういのはフカミだった。


 一向に熱が下がらず、歌詞も途切れ途切れになりかけている。大きく息を吸うのが苦しいらしく、ダンスにもキレがなかった。


 正直に言えばリハーサルをやる前から中止にしたかった。


 それは最悪のパターンだと、自分でもわかっている。


 けれど僕は――フカミに無理をしてほしくなかった。


 僕の判断ミスで彼女はダメージを負った。だから、ライブを中止にしようなんて発想が出てしまったのだろう。つまり僕は僕のミスを覆い隠すためにフカミたちを利用したのである。

 

 なんともひどいマネージャーだ。


 やるにしてもやらないにしても、どちらにしろフカミたちに無理を強いるのだから。


 けれど彼女たちはやろうとしている。トラブルがあってもやり通そうとしている。


 その姿勢は立派だ。


 悲しくなるぐらいに。


 なら、僕も腹をくくるしかない。


 判断ミスがどうとか言ってられない。フカミだけじゃなく、アルミにもミルキにも謝るのは後だ。


 今はライブを成功させること。


 これが僕たちの仕事なのだから。

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