第7話「ライブという挑戦(前編)」

『頑張るなんて言葉はきらい』


 これが僕の担当しているアイドルグループ〈KIRAKIRA〉のデビュー曲だ。なんともリアクションに困るタイトルである。


 ちなみにこの曲はフカミに合わせて作ったものらしい。ああ、道理で……と納得すると同時にフカミってそんなにやる気がないように見られているのだろうかと、頭を悩ませることもあった。

 

 本人にやる気がないわけじゃない。

 

 ただ、見えにくいというか。やる気を出してはいけないというか。やる気になったらなったで、それはそれで困るというか。

 

 なんとも歯切れが悪いが、事実フカミがやる気を出して良い方向に転がった試しはあまりない。そもそもフカミ自身がやる気を出すために頓服薬とんぷくやくという名のドーピングを試みるのだから、その結果は推して知るべし。

 

 ここでフカミの服用している薬について少し説明したい。

 

 こううつやくと精神安定剤が数種類。頭痛時、また耳鳴りなどの不調時のため、さらには気分の落ち込みを改善するための頓服薬。

 

 そしてフカミは二週間に一回、必ずメンタルクリニックに通っている。そのことを知っているのは僕と同グループのアルミとミルキ、そして社長とごく限られた社員のみだ。


 フカミがうつ病を患っていることを前面に押し出さないのは、ひとえに社長の意向によるところが大きい。やはり人に夢と希望を与えるアイドルたるもの、ネガティブな面を見せるのは精神衛生上好ましくないという判断からだ。


 社長は悪い人ではない。


 ただ、根っからの体育会系なのである。

 

 小規模とはいえ会社のトップに登り詰めた人だ。バイタリティーは相当なもので、影響力もすさまじい。

 

 どのくらいすさまじいかというと――


「やぁ、新垣くん! 今日もしけた顔をしているな!」

 

 小ぢんまりとした社長室に入るなりの第一声がこれである。さらに社長はできもしないのに指を鳴らそうとしてから、にかっと歯を光らせる。無駄に白い。

 

 僕は二、三秒の間目をつぶってから、「……おはようございます」


「ああ、おはよう! 私としたことがこの言葉を失念してしまっていたな。よくないよくない、朝の挨拶は何よりも大事だからな!」

「時間的には『こんにちは』が正しいかと思われますが」


 そうツッコミを入れたのは、社長の隣に立つ――秘書の氷見ひみさんである。無表情がウリの人で、誰であろうと容赦なく言葉のムチでしばくと評判だ。僕も我が身が惜しいので、社長……というよりは、氷見さんにかなり気をつけている。


 ただ、社長は意にも介さない。


「固いことを言うなぁ、氷見くん! そんなだから婚期が遅れるのだぞ!」

「思いっきりセクハラ発言です。なお、今の言葉はレコーダーに記録してあります。そして社長のこれまでの発言についても手書きの日記帳に一言一句くまなく書き記してありますので、今の内から覚悟をしておいて下さい」

「…………や、やだなぁ氷見くん。ただの冗談じゃないか」

「冗談? その言葉が人を――どれだけ無神経に女性を傷つけるのかを承知の上で仰っているのでしょうか。であればしかるべきところに――」

「私が悪かった」


 とうとう社長が頭を下げた。これでここのパワーバランスがどうなっているのか、はっきりとうかがえるというものである。


「ま、まぁ、とりあえずだ!」


 気を取り直したように社長が胸を張る。大学時代にバスケットボールをやっていたそうで、無駄に体が大きい。なんでも成長期には一年で二十センチ伸びたとか、聞いてもないのに聞かされた。


「いよいよ明日は〈KIRAKIRA(キラキラ)〉のライブだな! 首尾はどうかね?」

「はい、それは大丈夫だと思います」

「やだなぁ、新垣くん! そこは『大丈夫です!』と言い切ってくれないと! 『思います』ではなんだか頼りないぞ!」

「はぁ」

「いいかね? そもそもアイドルのマネージャーとは……」


 僕は社長の話を聞いているふりをした。


 以前に氷見さんから『社長の言葉は真に受けず、三分の一以下に聞いておけばいいから』と言われたためだ。


 実際、社長の言葉はおそらく次のようなものだろう。

 

 アイドルとは汗と根性とひたむきさの結晶である。

 

 マネージャーとはアイドルを支える柱でなくてはならない。

 

 ゆえに二人三脚で事に当たる必要がある。


 それには何よりも体力と根性。そして夢を叶えるという強い意志。

 

 それでこそアイドル。それでこそマネージャー。


「ゆえに私は――(以下略)」

「社長。もうその辺りにされてはいかがでしょうか。長いです」


 氷見さんから容赦なく斬り捨てられ、しょんぼりと肩を落とす。いい歳こいてこんなリアクションするのだから、こちらとしても扱いに困る。


 こほん、と咳払い。


「あー、新垣くん。ちょっと聞きたいことがあるのだがね」

「はい、なんでしょうか」

「……フカミくんのことなんだがね」


 そのことを聞かれるのは想定済みだったので、僕は驚かなかった。


「フカミさんがどうかしましたか?」

「うん。実際のところ、彼女の調子はどうだね? 何かあったりはしないかな? ほれ、再発とかなんだとか……季節の変わり目は気持ちが落ち込みやすいというし、何かしら大きな出来事があった時に影響を受けやすいというじゃないか」

「大丈夫ですよ、僕がいますから」


 この言葉には社長どころか、氷見さんも驚いたようだ。


 でも、僕はこの言葉だけは嘘偽りなく言える。

 

 社長は明らかに慌てた様子で、「あ、新垣くん!」

「君に限ってまさかとは思うが……その、フカミくんとは……!」

「ただのアイドルとマネージャーです。それ以上でも以下でもありません」

「あ、そうなの……」

「それ以上だったらあなたが困ることになりますよ、社長」

 

 氷見さんからのさらなる仕打ち。そして遠回しに僕にも釘を刺してある。お見事。

 

 こほ、こほん、と再び咳払い。


「あー、なんだ。私はフカミくんのそういうところに疎くてね。ひと口にその、うつ病と言われてもピンとこないんだ」

「それはしょうがないと思います。理解の度合いは人によりますから」

「うん。だが……社長としてはそれでいいのだろうかと思ってね。社員……いや、アイドルの抱えている事情は人それぞれだし、重さも人それぞれなのだろうが、最初から理解がないのは社長としてどうかというか……」


 この社長にしては珍しく歯切れが悪いのは、フカミとの初対面を引きずっているのだろう。先刻の調子でフカミにしつこく根性論を語ったためにすっかり嫌われてしまい、そして氷見さんから言葉責めを味わったという出来事がある。


 ただ、僕はこの社長が嫌いではない。


 ただ、ちょっとうっとうしいだけで。


「大丈夫ですよ、社長。フカミもわかっていますから」

「そうかね?」

「ええ、フカミ自身も自分の抱えているものが人から百パーセント理解してもらえるとは思っていません。そもそもうつ病自体が理解を得にくい病気です。医者がどれだけ声を上げても届かない人には届かないし、理解できない人は一生理解できませんから」

「……それは遠回しに私のことを皮肉ってるのかな……?」

「いえいえ、社長は社長なりに理解しようとしていると僕は考えています。ならばその気持ちに応えるのが僕たちの役割です。なので、社長にはどーんと構えていてほしいと思っています。社長はそれがお得意でしょう?」


 要するに何もしなくていい、ということである。


 しかし、この社長は良い意味で単純だった。


 きらきらと目を輝かせ、「そうだな!」


「私としたことが、らしくないな! そう、社長たるものドーンと構えていなくてはな! 戦隊もので名乗りを上げる時のバックの爆発のように! そうだ、それでこそ社長というものだ! 大器は収まるべきときに収まり、事の推移を眺めておればいいのだ!」


 どことなく武将っぽい言い回しだが、僕も氷見さんもツッコまなかった。


 熱っぽく語っていた社長はふと天井を見上げ、「む?」


「そういえば、なんの話だったかな?」

「ライブの話でしたね。仕上がりはどうとか」

「そう、そのライブだ!」


 どん、と拳をデスクに叩きつける。


「今度のライブにはあの〈セガノ〉も視察に来るらしい! 君も知っているだろう?」

「白星イソラさんが所属しているプロダクションですね」

「そう、あの〈セガノ〉が私たち〈ワルツ〉の動向に注目しているのだ! うちはまだまだ小さいが、将来有望! 〈セガノ〉ほどの大手が動いているとあれば、他のプロダクションも黙ってはいられまい!」


〈セガノ〉というよりはイソラの意向だと思うのだが、ここは黙っておくことにした。


 社長はわざわざデスクから僕の前に来て、がしっと肩を掴んだ。


「というわけで新垣くん、頼んだよ! ぜひとも〈セガノ〉の度肝を抜くようなライブをマネージメントしてほしい!」

「はい、わかりました」


 口調だけでなく手にも熱がこもっている。


 今の社長の発言は僕としても望むところだった。フカミ、アルミ、ミルキの三人が最高のパフォーマンスを発揮できるようにするのが僕の仕事だからだ。〈セガノ〉が本当に僕たち〈ワルツ〉に注目しているのかはやや不明瞭だが、この際問題ではない。


 社長はようやく僕を離し、ぱんと手を打った。


「新垣くん、私はね。君も〈KIRAKIRA〉ももっと広い世界に飛び立てると思っているんだ」


 僕は一瞬どきりとした。


 先日の梅田さんの発言を思い出したからだ。


「〈KIRAKIRA〉が今以上のステージに上がれば、当然〈ワルツ〉の評判もうなぎ登り! 〈ワルツ〉がさらに有名になれば、〈KIRAKIRA〉の武道館ライブも夢ではない! これぞまさに相乗効果! どう思うかね、新垣くん! 氷見くん!」

「はぁ。とても素晴らしいと思います」

「新垣さんと同意見です」


 僕と氷見さんは生返事をしたが、社長は気づいていないようだった。


 僕は予定があるとばかりに腕時計を見た。


「すみません、社長。そろそろ……」

「む、そうか。長々とつき合わせて悪かったな!」

「いえいえ、社長の激励で気合が入りました」

「ほんとかしら」


 氷見さんがちくりと小声でつぶやいたが、僕は聞こえないふりをした。


「それでは、失礼します」


 僕は一礼し、社長室から出た。


 ビルの階段を下りながらスマホのチェックをする。まずはフカミたちからの連絡を確認した。きっちりと報告してくれるのはいつもアルミだ。


〈お疲れ様です。ライブに向けてのリハーサル、無事に終了しました。仕上がりは上々といったところです〉


 次にミルキ。


〈おっつかれー! いやぁ、いよいよ明日だね! トゥモローだね! なんかもう今から緊張する!〉


 そしてフカミは……


〈疲れた〉


 そして黄色いクマのスタンプ。目の下にくまがあり(ダジャレのつもりなのだろうか?)、目も充血している。一体どこからこんなものを見つけてきたのか。そしてこのスタンプの製作者は何を思ってこれを作ったのだろうか。

 

 さておき、僕は彼女たちに返信する。


〈三人ともお疲れ様でした。あとは本番に向けてしっかり体を休めて下さい〉

〈承知しました〉

〈りょーかーい!〉

〈帰りたい〉


 僕はビルから出、バンに乗り込んだ。これから彼女たちを迎えに行こうとして――スマホが震える。今度はフカミからの連絡だった。


〈マネージャー、この後なんか予定あるの?〉

〈そうですね。関係者と打ち合わせとかしないといけませんし〉

〈となると、あたしを連れ帰るの遅くなりそうだね〉

〈まぁ、そうですね。お待たせすることになるので申し訳ありませんが〉


 そして――次のフカミのメッセージは僕を驚かせた。


〈あたし、一人で帰るよ〉

〈え? いや、それは……〉

〈子供扱いしないで。アルミとミルキもいるもん。途中までだけど、二人がいるならなんとかなるから〉

〈そうですか……わかりました。くれぐれもお気をつけて下さい〉


 再び、黄色いクマ。親指が下向きなので物騒この上ない。というか、人に向けて使っていいものではない。


「うーん。まぁ、アルミさんとミルキさんもいるなら大丈夫か」


 フカミを一人で帰らせるのは確かに不安でもあるのだが、彼女自身からこうして言い出してくれたことは嬉しくもある。人混み、電車やバスが苦手なフカミがこうして頑張っているのだ。


 僕も頑張らないといけない。


「よし、負けてられないな」


 ハンドルを握る手に力を込める。


 正直言って社長の激励よりも、フカミの自発的な行動の方が気合が入った。

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