第6話「マネージャーという役割」

「あなたがあたしたちのマネージャー?」

「はい、そうです。新垣あらがきと申します。これからよろしくお願い致します」

「私は入沢いりさわアルミと申します。こちらこそよろしくお願い致します」

「あたしは宙川ひろかわミルキ! よろしくね、マネージャーっち!」

「はい。……ええと、あなたが黒星くろぼしフカミさんですね?」

「うん」

「慣れないぶんご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、何卒よろしくお願い致します」


 僕は深く頭を下げた。


 でも、彼女の反応は薄い。


「…………」

「ほらほら、フカミっち。ちゃんとよろしくって言わないと!」

「そうよ、フカミ。これからお世話になるんだから」

「……そうだね。あのさ、マネージャー」

「はい、なんでしょう?」


 フカミは言いにくそうに、口を結んでいる。彼女の口からどんな言葉が発せられるのか、僕には想像がつかなかった。


「あたし……その、持病を持ってるの。だから……こっちの方がマネージャーに迷惑をかけるかもしれないの」

「そうなのですか。よろしければ、その病気というのは?」

「……ごめん。あんまり言いたくない」


 深刻そうに顔を背ける。


 僕は「いえいえ」と両手を振った。


「言いたくなければ大丈夫です。個人のプライバシーですからね。いつでも構わないので、話してもいいと思った時に話してくれれば。内容を把握していれば、もしかしたら僕でも力になれるかもしれないので」

「……ほんと?」

「本当です」

「じゃあ、約束してくれる? この先あたしが……ううん、あたしたちが何か困ったことがあったら力になって」


 フカミの言葉はどこか悲痛な響きを持っていた。


 僕は面食らいつつも、「もちろんです」と答える。するとフカミはほっとして、それから小指を差し出した。


「約束だよ」

「はい、約束します」


 僕はフカミの細い小指を握り返した。


 それが僕とフカミたちとの初めての出会いだった。


 いつか見た光景。


 かつての僕が三人と顔合わせをしているのを、もう一人の――つまり、今の僕が――遠巻きに眺めている。


 かつての僕はまだ、フカミのことについて何も知らなかった。フカミだけじゃなく、アルミのこともミルキのことも。プロフィールに目を通してあっても、それだけで彼女たちのそれぞれの事情をうかがい知ることは極めて難しい。


 そんなの当たり前のことなのに。


「約束……か」


 僕は布団の上でつぶやき、腕を額に載せた。


「まだまだだな。力になれるだなんて」


 僕はまだ何も知らない。


 三人と深く関わり合っていく内に、僕は自分の実力不足を思い知る。今の発言はどうだったか、この対応は正解なのか、いつも手探りだ。僕はこの仕事に向いているのだろうかと考えてしまう時すらある。


 けれど、それを口に出してはいけない。


 マネージャーとして、彼女たちに不安を抱かせてはいけない。


「難しいな、マネージャーって……」


 そう言いつつも僕は枕元の手帳とスマホに手を伸ばしていた。


     〇


「そう、フカミたちと……」

「はい、そうなんです。初めて会った時の夢を見まして」


 レッスン場の入り口の傍ら、僕はコーチに自分から話を持ちかけていた。相談というよりは単に、話を聞いてほしかったのかもしれない。


「フカミに持病か。まぁ、なんとなくは察してるけれど」

「すみません、細かいことは話せないのです」

「いいのよ。当然のことだから。私もフカミたちだけじゃなくて、他のアイドルのコーチもやっているから。それぞれの事情に深入りするつもりはないわ」

「恐縮です」


 僕は軽く一礼した。


 コーチは緩く腕を組んで、「それにしても」


「昔の自分を見た夢か……けっこう辛いわね」

「はい」

「自分の不甲斐なさとか未熟さとかがよくわかるのよね」

「その通りです。コーチにもそういう時があるんですね」


 コーチは目を弓なりにして、苦笑した。


「誰にでもそういう時ってあると思うわ。夢じゃなくて、ふとした時に過去を思い出した時にね。ああ、あれはこうすればよかった。こう言えばよかったって後悔だらけよ。アイドルを指導する立場になってからはなおさら」

「そうなのですか」

「そうなのよ。……ここだけの話だけど、指導っていっても私の教え方が絶対の正解というわけではないわ。人によってやり方は違う。声が大切という人もいれば、笑顔とかダンスとかが大切って言う人もいる。当然、全部欠かせない要素だっていう人もいる。わかるでしょう?」

「はい」

「だからこそ迷う時があるの。私の教え方は正しいのかなって。レッスンが終わった後はいつも反省会よ」

「……意外です」

「私だって完璧じゃないのよ」


 ふっと漏らした苦笑に、僕も苦笑で返した。


「あなたは肩に力が入っているみたいね」

「そう見えますか?」

「ええ。どんなにフカミたちのことを思いやっても、決して立ち入りしてはいけない領域というものはあるわ。それはフカミたちに限らず、人とつき合う上でもそうよ。でないと自分も相手も痛い目を見ることになる」


 今の僕には痛い言葉だった。


「その通りだと思います。でも……今のままでいいのだろうかと不安になってしまうんです」


 コーチはじっと僕を見つめ――それから肩に手を置いてくれた。


「やっぱり、あなたは考えすぎね」

「そうなんでしょうか」

「あなたはマネージャーとして立派にやれてるわ。フカミもアルミもミルキも、あなたのことを慕っている。それで十分じゃないのかしら?」

「…………」

「あ、いけない」


 コーチは腕時計を見、「そろそろ休憩が終わるわ」


「もう少し話をしておきたいところだけど……」

「いえ、大丈夫です。お時間を取らせて申し訳ありません」

「いいのよ。……あ、今私が話したことはくれぐれも内緒でね。もちろんあなたの話も、私だけの胸に留めておくわ」

「ありがとうございます」


 じゃ、と言ってコーチはレッスン場に戻っていった。


 僕はその場でぼんやりと、レッスン場の扉を見つめていた。この扉の向こう側ではフカミたちがレッスンに励んでいる。今度のライブに向けて、ひたむきに取り組んでいる。


 目の前のことを、まっすぐに。


 その姿勢は眩しいばかりで、直視するのが正直辛いところもある。


「疲れてるのかな……」


 自嘲の吐息をついてから、僕は両の頬をぱちんと叩いた。それから手帳を取り出し、今後のスケジュールを確認する。


 ライブまで一週間を切っている。


 悩んでいる暇はないのだ、と僕は自分に言い聞かせた。


     〇


「ねぇ、マネージャー」

「はい、なんでしょう?」


 バンを運転する傍ら、フカミが口を開いた。


「なんかいつもと違うね」

「そうですか?」

「うん。何か悩んでるの?」


 ぐっと息を呑み込み――「気のせいですよ」


「ちょっと疲れているのかもしれません。情けないですね。毎日レッスンに励んでいるあなたたちの方がよっぽど大変なのに」

「あたしたちの仕事と、マネージャーの仕事は違うでしょ」


 もっともな発言だ。言い返せない。


「マネージャー。何か悩み事があるなら、あたしたちに言って」

「いや、それは……」

「あたし、いつもマネージャーに感謝してるの。アルミもミルキも。だってマネージャー、いつも言っているじゃない。一人で抱え込むなって。それはマネージャーにだって言えることだよ。一人で抱え込んで潰れちゃったりしたら、あたしたち困っちゃうよ」

「…………」


 ちょうど赤信号の時だった。


 僕はフカミから見えない角度で唇を噛んでいた。


 フカミの言葉は実にもっともで、本当に何も言い返せない。一方で、フカミの言葉が嬉しいのも事実だった。


 嬉しくて、複雑で、喉に言葉がつっかえている。


「ありがとうございます」


 なんとか声を絞り出し、バンを発進させた。


「僕もまだまだですね。あなたたちに心配をかけさせてしまってはマネージャーとして失格です」

「あたし、マネージャーのこと失格とか情けないとか甲斐性なしとかだなんて思ってないよ」

「いえ、そこまでは言ってませんが……」


 ちらりと横を見ると、フカミは真剣な眼差しでこちらを見返していた。


「マネージャーはマネージャーとしての仕事を一生懸命やってる。だからあたしみたいなのだって、アイドルとして活動できてる。普通なら放っておくよ」

「……放っておいたら、あなたは何をしでかすかわかりませんからね」


 冗談のつもりで言ったのだが、「そうだよね」と返された。


「あたしはお荷物だから。一人じゃ活動できないから。だからアルミもミルキもマネージャーも必要なの。あたしは一人じゃ輝けないの」

「……なぜ、そんなことを言うんですか」

「マネージャーのせい」

「僕ですか……」

「マネージャーが暗いと、こっちまで暗くなっちゃう。泥沼に飛び込みたくなるの」

「汚れますよ。それに今どき、泥沼なんてどこにもありません」

「田舎に行けば見つかるよ。肥溜めとか」

「止めて下さい、想像するだけで恐ろしい」


 ふふ、と笑い声が聞こえた。フカミは小さな拳を口に当てているところだった。


「いつものマネージャーだ。ちょっとだけだけど」

「……そんなにらしくありませんでしたかね、僕」

「うん。……あ、そこの角を曲がらないと」


 僕はうっかり車線変更をするのを忘れ、危うく運転ミスをしそうになった。ぐいっと曲がる形になったので、フカミの小さな体が大きく揺れる。


「す、すみません。大丈夫ですか?」

「このぐらいへーき。こっちこそごめんね、話しかけたりして」

「いえ」


 そこで会話が途切れてしまった。


 フカミの家に着き、彼女がドアを開けると――肩越しに振り返った。


「マネージャー、上がってく?」

「え?」

「あたしでよかったらつき合うよ。あたしもなんか、話したい気分だから」


 突然の申し出に僕は戸惑った。フカミにここまで言われるほど、僕は様子がおかしかったのだろうか。


 フカミの誘いは魅力的だった。僕にはもったいないと思えるほど。このまま彼女の厚意に甘えてしまいたい衝動に駆られそうになって――寸前で思い止まった。


「いえ」と僕はやんわりと首を振った。


「そうしたいのはやまやまなのですが、まだ仕事が残っていまして」

「そっか。そうだよね。ごめんね、マネージャー」

「いえ。でも嬉しいです。フカミさんが僕のことを心配してくれて」

「心配なんてしてないもん」


 ぶぅ、と頬を膨らます。


「マネージャーがマネージャーじゃないと、あたしの調子が狂うんだもん。だからこれはあたしのためなの。そこんところ間違えないで」

「……承知しました」


 フカミは意地悪っぽく微笑んで、「またね、マネージャー」


「はい、また明日」


 ドアが閉まるのを確認してから、僕は踵を返した。


 次の仕事があるのは確かだが、まだ時間に余裕があった。


 仕事を言い訳にして逃げるのは――人としてどうなのだろう。

 

 煮え切らない思いを抱きながら、僕はフカミ宅を後にした。


     〇


「新垣さんではないですか」

 

 いきなり声をかけられ、振り返る。そこには思いがけない人物がいた。


「梅田さん……!?」


 僕はすっかり驚いていた。


 梅田さんは割と遅い時間にも関わらず、ぱりっとしたスーツを着ている。七三分けの髪にも乱れたところはない。そればかりか靴もきっちりと磨いてあるらしく、照明を受けて光沢を放っていた。


「なぜ、ここにいるんですか?」


 僕は今度のライブで使うスタジオに来ていた。関係者と打ち合わせが終わった頃で、そろそろ帰ろうかと考えていた時だ。


「イソラから頼まれたんです。ライブ会場の下調べをしてほしい、と」

「イソラさんから? なぜですか? イソラさんならもっと大きな会場でライブができるじゃないですか」

「私もそう申し上げたのですが……」


 くい、と眼鏡を上げる。不満げに見えるのは気のせいではないだろう。


「どうやらイソラは当日、あなた方のライブに足を運ぶつもりのようです。イソラは方向音痴ですから、きっちりとルートを調べてほしいと。それから控室の場所も押さえてほしいと。さらにはフカミさんが今欲しがっているものをリサーチしてほしいと」

「……相変わらずですね」

「お互い苦労しますね」

「あ、はい。そうですね……」


 梅田さんはしばらく立ったまま僕を見――それから「ふむ」と握り拳をあごに添えた。


「少し、いいでしょうか?」

「はい? あ、大丈夫です」

「では、外で話しましょう。ここでは人の目がありますから」


 僕はそれに同意し、梅田さんの後に続くようにスタジオから出た。


 ビルの脇の細い路地に入り、梅田さんは自動販売機にお金を入れた。ガコン、ガコンと立て続けに音がして、僕は怪訝そうに目を開閉する。


 梅田さんは僕に向けて、アップルティーと烏龍茶を差し出してきた。


「どちらが好きですか?」

「あ、えと、烏龍茶で」

「わかりました。どうぞ」

「あ、あの……代金を」

「いえ、結構です。労いのつもりだと思って受け取って下さい」


 そう言われてしまっては素直に受け取るしかない。


 僕と梅田さんはそれぞれの飲み物に口をつけ、なんとなく無言でいた。梅田さんのようなタイプと二人きりで沈黙になると、とても気まずい。


 梅田さんはどうなのだろう。


 横顔を窺ってみるが、表情は一向に変わらない。


 すると――梅田さんが口を開いた。


「フカミさんのことですが」

「あ、はい」

「この前はサインをありがとうございます、と伝えておいてくれますか?」

「あ、それはもう。……あの、良かったらアルミさんとミルキさんのももらっておきましょうか?」

「いえ、大丈夫です。二人には折を見てお願いするつもりなので」


 二人からもサインをもらうつもりなのか。


 ちびり、と烏龍茶に口をつけたところで。


「新垣さん」

「はい、なんでしょうか?」

「イソラのこと、どう思いますか?」


 思ってもみない質問に、僕は面食らう。


 専属マネージャーの前で悪く言ったりするのはあれなので、当たり障りのないように答えてみた。


「ええと、すごく活動的だと思います。いくつもの雑誌に載せてもらって、映画にも出演できて。ライブだって絶好調だと聞いています。非の打ち所がないというか、とても敵わないなぁと思います」

「敵わない……あなたのアイドルが、ですか?」

「あ、いえ。そんなつもりで言ったわけでは」


 梅田さんはくい、と眼鏡を押し上げた。


「確かにあなたの担当しているアイドルと私の担当しているアイドルとでは、知名度が抜群に違います」

「はぁ」

「ですが、それでアイドルの価値が決まるものではない。そうでしょう?」

「……その通りです」


 梅田さんは何を言いたいのだろう。


 僕の戸惑いをよそに、梅田さんは続ける。


「イソラが雑誌に載せてもらっているのも、映画に出演したのも、イソラ本人や私の力だけではなく、事務所の力によるところが大きいのです。だからそんな風に評価して頂いても、私はあまり嬉しいとは思いません。おそらくイソラも私と同じように感じていると思います」

「そう、なんですか」


 どこか熱のこもった口調に僕は内心驚いた。


 彼は眼鏡に指をつけたまま――つぶやくように言った。


「私の夢は、イソラが私を必要としなくなることです」

「え?」

「イソラはその気になれば、もっと広い世界に羽ばたくことができます。私や事務所の力がなくてもね」

「それは……ええと、フリーになるってことですか?」

「最終的にはそうなるでしょうね。ただ、今はまだ早い。イソラには更なる経験を積んでもらい、それから単独でやっていければと考えています」

「でも、イソラさんはこの話を?」

「いえ。本人には話していません」

「じゃあ、あなたとイソラさんとの意向が食い違っていたとしたらどうなるんですか? もしかしたらイソラさんはあなたと仕事がしたいって思っているかも……」

「そうだとしたら、どれだけいいことか」


 ふっ、とようやく梅田さんが口元をほころばせる。彼のこんな顔を見るのは、初めてのことだった。


「でもね、私では力不足なのですよ。事務所におんぶにだっこです。イソラほどのバイタリティーのあるアイドルをマネージメントするというのは、想像以上に大変だ。厄介と言い換えてもいいのかもしれない」

「それは言いすぎでは?」


 僕はつい、言い返してしまった。梅田さんの言葉をそのまま受け取れば、アイドルのマネージャーという仕事は厄介というようにも聞こえたから。


「失礼」と梅田さんは言った。


「でもね、本心なのですよ。日々の業務に追われている内に、ふと考えてしまうのです。自分はきちんとやれているのだろうか、周りから求められていることを果たせているのだろうかとね」

「……わかります」

「イソラは大器です。いずれそう遠くない内に私も事務所も手の及ばないところまで行ってしまう。そう考えたら私の存在などあってもなくてもいいのではないか。そう思うこともあります。だからこそ、あなた方がうらやましい」

「うらやましい? 僕たちがですか?」


「ええ」と梅田さんは僕を見た。


「あなた方はチームとして立派に機能している。私はただの添え物です。その違いはやがて目に見える形ではっきりと表れるでしょう。正直に申し上げれば、私はあなた方のことを脅威だと思っています」

「…………」

「もし、事務所が同じだったらどうでしょうか? イソラと私、そしてあなた方。出発地点が同じだとしたら、その差はどこで出てくるか」

「……仮定の話をしてもしょうがないじゃないですか」

「ごもっともですね。……新垣さん」

「はい」

「あなたはもう少し、自信を持つべきですね」


 ペットボトルを持つ手が止まった。


 梅田さんは続ける。


「口で言うほど簡単ではないことは承知しています。ただ、よく考えてみてほしいのです。アイドルにとって一番大事なものは何か、そしてアイドルを支えるマネージャーにとって一番大事なものは何かということを」

「一番、大事なもの……」

「そうです。言い出しておいて恐縮ですが、あえて説明はしません。それは各々が自ら気づくことで価値があるものだと私はそう考えていますから」

「そう、ですね」


 僕はようやく、梅田さんの真意がわかり始めていた。おそらくではあるが、彼は彼なりに僕を励ましているのかもしれない。


 梅田さんは眼鏡の奥で目を細めた。


「私はね、イソラを見ていると眩しくてしょうがないのです」

「そうですね、わかります」

「イソラがステージに立つと、その圧倒的な存在感とパフォーマンスに震えてきます。身近な存在がステージで輝く瞬間、まるで自分が小さなものに思えてくる。……これは邪推ですが、あなたにもそういう時があるのではありませんか?」

「……はい。その通りです。なぜわかるんですか?」


 梅田さんは口元をほころばせた。苦笑したのだと一瞬遅れて理解した。


「私とあなたは同類だからかもしれない」

「同類……」

「不快に思われたなら失礼。でもね、あなたを見ているとなぜかそう思ってしまうのです。あなたがフカミさんたちを見る目――他のマネージャーとは違い、眩しそうに見つめているその目。彼女たちに親身に近づきながらも、どこか一線を置いている。私の目にはそう映っていました。これも邪推ですが」

「いえ、合っています」


 僕は梅田さんの観察眼に舌を巻いていた。そこまで積極的に接したことはないはずだが、そこまでわかるものなのだろうか。


 同類、と頭の中で繰り返す。


 同じだからこそ、梅田さんは僕のことを見抜いたのだろうか。


「長々とすみません」


 梅田さんは僕に向き直り、深く一礼した。


「突然、ぶしつけなことを申し上げ、たいへん失礼しました」

「いえ、そんなことはないです。頭を上げて下さい!」

「いえ、それでは私の気持ちが収まらないのです」


 僕は再び困惑し――手元のペットボトルの存在に気づいた。たぶん、これは梅田さんなりの非礼の詫びのつもりだったのだろう。あらかじめ品物を用意しておくことで、相手の気を許してしまう。プロの仕事である。


 僕はすっかり恐縮してしまい、何度か同じことを繰り返し言った。それでやっと梅田さんは頭を上げてくれた。


 それから再び、沈黙の空気が流れる。


 梅田さんはスーツの内ポケットから手帳を取り出し、中身を確認した。


「次のライブまでもう間もありませんね。仕上がりはいかがですか?」

「はい、大丈夫だと思います。あの三人ならきっと素晴らしいパフォーマンスを披露してくれると、僕は信じています」

「それでいいです。信じなければ何も始まりませんからね」


 梅田さんは僕の前を通りすぎていった。この話はこれで終わりらしい。


「新垣さん」

「はい」

「先ほど飲み物をご用意しましたので。それで貸し借りはありません。誠に勝手ですが、ご了承頂ければ幸いです」

「あ、はい……」

「では、これにて」


 そう言い残し、梅田さんは立ち去った。


 終始梅田さんのペースに呑まれてしまった。さすが、白星イソラのマネージャーをやっているだけのことはある。イソラの活躍は事務所によるところが大きいと謙遜しているが、僕はきっと梅田さんの力添えがあってのことだろうと確信していた。


「すごいな……」


 フカミもアルミもミルキも。イソラも梅田さんも。


 彼女たちの存在は間違いなく、僕に影響を及ぼしている。それならば反対はどうなのだろう。僕は彼女たちに何かしらプラスの影響を与えられているだろうか。


 深く考えようとして――結局、止めた。


 僕の仕事は悶々と考えることではない。


 僕の役割はアイドルのマネージャー。


 ならばやるべきことは他にあるはずだ。


     〇


「ねぇ、マネージャー」

「はい、なんでしょう」

「電線に引っかかったら普通は死ぬよね?」

「はぁ。たぶん」

「あたし、不思議に思ってることがあるの。『電信柱の上で、スズメがいち、に、サンバ』って歌詞があるよね。なんでスズメは感電しないんだろうって不思議に思ってるの」

「はぁ、そうなんですか」

「感電って痛いよね?」

「たぶん。冬の静電気でも痛いと感じますし」

「そっか。……この線でもダメかなぁ」


 どの線ならいいのか尋ねたかったが、追及するのは控えた。


 フカミは助手席に座って、ぼんやりと窓の向こうを眺めている。今朝は自分で起き上がれたらしく、体調も悪くないようだ。やる気なさそうな目は相変わらずだけど、頓服薬を飲むほど気合を入れるつもりもないのでひと安心。


 僕はゆったりと構え、バンを運転した。とりあえずは安全運転。もしも事故ってフカミに傷をつけたりしたら洒落にならない。

 そう考えていた矢先に――「マネージャー」


「はい、なんですか?」

「やっと、いつものマネージャーに戻った」


 フカミは窓を見たまま、そう言った。


 僕はちらりと彼女の顔を見たけれど、こちらを向く気配はない。ただ、フカミの頬にちょっとだけ朱が差している。


 赤信号で止まる。


 僕はとんとんとハンドルを指で叩き、シートに頭をぽすっと乗せた。数秒考えてから、僕は口を開いた。


「心配おかけしてすみません」

「別に心配してないもん」


 信号が青になり、僕はバンを走らせた。


「ねぇ、マネージャー」

「はい、なんですか?」

「首、かゆくない?」


 突然のフカミの発言に、僕は目を丸くした。イライラやストレスがあった時につい首筋を掻いてしまう癖のこと、フカミは気づいていたのか。


 まったく、敵わない。


 そういえば昨夜からずっと、首筋を掻いていなかったことを僕は思い出していた。


「いいえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「別に礼を言われることじゃないもん」


 フカミは相変わらず僕を見ようともしない。


 僕は口を笑みの形にし――いつもよりゆったりめのスピードでスタジオへと向かった。

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