第32話 ハッピー・イースター


 ジュゥ……ジジ……


 ベーコンの焼ける匂いが漂っている。

 ブルックリンスタイルのマンションの一室。間取りが広く、ダイニング・ルームのキッチンはバーを意識した作りになっており、カウンター・テーブルが設置されている。壁側はアルコールのボトルを置くためのスペースが設けられていて、種類豊富な数のボトルが綺麗に並べられていた。


 うねる長い黒髪をルーズに結い、大柄の男は朝食を準備している。

 男は薄いベーコンを焦げる寸前まで焼き、手元の皿の上はベーコンばかりが山積みだった。


「ふ…ぁ……」


 あくびをしながら、ジェニットがダイニング・ルームへやってくる。バーチェアに腰を下ろすと、頬杖をついてまたあくびをした。


「あいつは? まだ起きねーのか?」


「んー……もう来るゼぃ。」


 男はキッチン台の下から踏み台を引き出した。

 リビングの扉が開かれたと同時に、男の背が急速に縮む——。


 スキャランは踏み台の上に上がると、作った朝食をテーブルへ並べていった。


「おはよう。」


 朝の挨拶をして、ジルはジェニットの隣に座る。「いただきます。」と言ってから、目の前に出されたてんこ盛りのカリカリベーコンに手を伸ばした。


「なぁ、ブラウニーは? コーヒーはまだ?」


 フォークを握りしめながら、ジェニットはキッチンに立つ小さなシェフに催促する。

 すると、ピラミッドのように積み上げられたブラウニーが彼女の前にどんっと出された。次にコーヒーが出てくると、ジェニットは満足げに上唇をぺろりと舐める。


 ふたりの食事を用意し終えたスキャランはカウンター側に座り、彼女らと向き合いながら食事を始める。彼の朝食は牛ステーキ。


「おふたりさんは、今日のパーティーに参加するのか?」


 食事をとりながらジェニットが尋ねた。

 イースターの今日、マシュー・ラボでパーティーが行われる予定だった。スキャラン、ジル、ジェニットは、それに招待されている。

 悪魔がキリストの復活際を祝うなど魔界に知れたら笑い者にされるだろうが、そのへんをジェニットは気にしない。祭事の雰囲気が好きな彼女は、勿論パーティーへ行くつもりでいた。


「こいつが行かねーって言うから、俺も行かねぇよ。」


「はっ……ふたりとも、仲がよろしいことで。じゃあ、オレだけで行ってくるゼ。」


 ———その時、ジルの携帯に着信が入る。

 かけてきたのがマシューである事を確認すると、彼女は電話に出た。

 たぶん、パーティーへ来ないかという誘いだろう。招待は毎度断っているジルだが、向こうも毎度ねばってくる。少しでいいから、顔を出してくれないかと。


「……はい。」


 この電話もきっといつものやつだと思ったが、ジルの予想は外れるのだった。


「———なに? ……ラボにあげたのか?」


 電話を切った後、ジルは速やかに椅子から立ち上がった。

 そんな彼女を、ふたりは揃って見上げる。

 通話中のジルの口調はやや苛立っているようだった。表情が心なしか不機嫌なように見えるが、何かあったのか。


「パーティーへは私も行くことにする。ごちそうさま、先に出るよ。」


 早口でそう言いながら、ジルはそそくさとベランダの窓を開ける。翼を広げ、外へと飛び立っていった。




 ♦︎♦︎♦︎




 今日のマシュー・ラボは、パステル・カラーに彩られていた。

 そこら中にイースターエッグやウサギのぬいぐるみが並べられ、風船がたくさん浮かんでいる。子供部屋のように。


 リビングのテーブルにはパンやケーキ、肉料理が並んでおり、フランチェスカは溢れるほどクリームが乗せられたカップケーキを夢中に頬張っていた。


(なんて甘さだ! このふわふわのクリーム、まるで雲を食べているみたいだ)

「むぐむぐ、もぐ……」


 いつもの彼女なら肉が目に入った時点で真っ直ぐそちらへ手を伸ばすが、隣に並ぶ見たこともないカラフルなお菓子たちを見て、彼女の手は好奇心へと吸い寄せられた。

 口にしてみればなんと、未知の美味しさ……気づけば彼女は、その罪な甘さの虜となっていたのだ。


 "これ ダックワーズって言うの"


 アイリスが追加で持ってきたお菓子に、フランチェスカは早速手を伸ばす……それもまた、堪らない甘さであった。


「もぐもぐ……これ、アイリスが作ったのか?」


 "そうよ お菓子はわたし 料理の方は マシューが作ったの"


「そうか……あいつも、むぐ……洒落た料理を作るな。ローストビーフにかかっているソースが……もぐもぐ、無駄に美味かった……もぐもぐ……。」


 "美味しいわよね 彼の料理! わたしより美味しく作るのよ"


「君は俺より、お菓子を美味しく作るだろう?」


 マシューはダックワーズをつまみ、アイリスの前で食べてみせた。彼女の肩を抱き寄せ、額にキスをする。


「俺が食事を作って、君がデザートを作る……完璧な連携だ。……おっと、おでこにクリームをつけてしまった! 今、とってあげるよ……チュッチュッチュッ、んーまままままっ———!」


 愛情はこもっているが、〝キスの雨が降り注ぐ〟とか、そんなロマンチックな表現は似合わない。マシンガンのような口付けだった。

 はじめは照れ臭そうに、されるがままのアイリスだったが、フランがいるから……と、そっとマシューを離す。

 フランチェスカはというと、ふたりの仲睦まじい様子を優しい目で見守りながら菓子を味わっていた。こういうのは別に、嫌いじゃない。幸せそうにしている誰かを見ていると、彼女のこころは和むのだ。


「もぐもぐ……そうだな、ふたりは結婚しても……もぐ、上手くいきそうだ……もぐもぐ……」


 するとマシューとアイリスは顔を見合わせ、ふたりは嬉しそうに笑い合った。そんな、ピンク色の雰囲気を漂わせるふたりの横に、突如として人影が現れる———。

 音もなく急に現れたその気配に、マシューが「わっ……?!」と声を上げて飛び上がった。




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