冬に咲く勇気
深瀬空乃
冬に咲く勇気
早咲きの桜が咲いている。
すっかり陽の落ちた冬の夜、自身の通う高校の門の近くまでやってきて、
桜と言えば卒業式だ。まだ二月に入ってすぐだというのに、沙菜は自分がもう高校を卒業したかのような気分になった。進路が決まっているせいもあるだろうけれど。卒業式に桜が咲いたらいいね、と話していた友達のことを思い出して、沙菜はふと目を細める。彼女とは今日も会ったけれど、学校に行かない間もわざわざ話をするほど仲がいいわけでもない。教室という狭い世界がなくなれば、途切れる縁も多いものだ、と考えるようになったのは最近だ。
──アイツとの縁もなくなってしまうのだろうか。
沙菜は、冬休みの間にばっさりと切り落とした髪を耳にかけた。今日は部活の後輩たちのところに顔を出していたせいでこんな時間になってしまったけれど、いつもはもっと早くに帰る。部活を引退してからはずっと、あるひとりの男子と一緒に駅まで行くのだ。
隣の席になってから何かと話すようになった水嶋と沙菜は、好きなアーティストが同じで話が合った。ありきたりな理由だけれど、沙菜にとってそれはなによりの青春で、大切な時間。馬が合ったからと、話しながら駅まで歩く帰り道が好きだった。
別に約束をしているわけではないけれど、その習慣は二学期はじめごろから毎日続いていた。ホームルームが終わってから、たいてい沙菜のほうが道草を食って少し遅くなる。それでも彼はたいてい、律義に校門前で待っているのだ。今日は部活に顔出してから帰るとあらかじめことわっておいたものの、一緒に帰りたかったという気持ちはぬぐえない。
LINEをしてみようか、と沙菜はぼんやり桜を眺めた。うすら寒い風が、沙菜の浅葱色のマフラーをなびかせる。かじかむ指先にぬるい息を吹きかけて、それからそっとスマホを取り出した。ずいぶん前に、数学の先生が呼んでいたよ、という旨を送っただけのトーク画面に、雑談の色はない。
メッセージのやりとりが苦手なのかもしれないと思えば、なんでもないことを送るのは気が引けた。話が弾むのは教室や、ほどよい距離の帰り道ばかりで、彼とは制服を着ずに会ったことがない程度の仲だ。いつもさらりと車道側を歩いてくれる水嶋を見上げる時間はいとおしかったけれど、メッセージでまでわざわざ話すこともない。このまま、次の登校日までなんの話もせずに、ただ待つのがいつもの距離感だった。
それでいいの、と心がささやく。なんでもない友だちのように、進路の先で思い出になってしまうような関係のままでいいの、とうったえる。楽しかった半年間、なんてことばで片付けられてしまうような、穏やかなままで。
春は別れの季節というけれど、高校は冬に終わるようなものだと思う。制服に袖を通す回数は片手で数えられるほどに減って、彼と話せる機会さえ何度あるかはわからない。
そういえば水嶋は、いつもあの桜の木の下で待っていた。町一番の高台にあるこの高校の桜は、向こうに広がる住宅街の夜景を透かして、きらきらと光っている。綺麗な景色だ、と思った。これを見たら、水島はなんて言うのだろう、とも。
ゆっくりと終わってく高校生活をいろどるように、夜桜が沙菜の背を押した。
別に写真が上手なほうではないけれど、この景色の写真を撮ろう。そして水嶋に送ってみよう。嫌がりはしないと思うけれど、面倒くさそうだったらさっさと会話を切ればいいのだ。たった一歩の勇気がどれだけ未来に響くのか、それは分からないけれど。
そうしてスマホを構えた沙菜が、シャッター音を鳴らして桜を撮ったとき、ピロリ、とLINEの通知が鳴った。水嶋からだ。
──『外で待ってる』。
まばたきをした沙菜の向こうで、驚いたような声がする。ふとそっちを向けば、いつもの桜の木の下から、ひょこりと水嶋が顔を出した。まさか沙菜がそこにいるとは思わなかったのか、照れたような驚いたような顔をして頬を染めた水嶋が気まずそうに手を振る。沙菜が来るまで寒空の下で待っていたのだろうか。それとも彼もどこかに顔を出していたのだろうか。それにしたって随分と待たなければいけないはずなのにそこにいる水嶋を見て、沙菜は思い切り笑った。
たったひとつの勇気だけでも、未来は思ったよりずっと幸福になるらしい。とりあえず今日の帰り道で、メッセージが苦手なのかどうかだけでも聞いてみよう。ほんの少し、学校の外でも、仲良くなれたらいい。終わらない日々を作れたらいい。
「おまたせ、水嶋」
「俺が勝手に待ってただけだけど……大丈夫? 引いてない?」
「これくらいじゃ引かないし。……むしろ嬉しいくらい」
沙菜がそう言えば、水嶋は照れたようにマフラーを引き上げると、口元を隠した。
冬に咲く勇気 深瀬空乃 @W-Sorano
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