第5話工作を行い、気勢を削ぐべし。

 天草あまくさ諸島しょとうの大矢野島某所。

 老人は香が焚かれたいおりで独り、切歯せっし扼腕やくわんしていた。

 常人や矮小な男一人の手で消せるはずがないと踏んでいた。阿蘭陀おらんだで学んだ術に日ノ本の呪術を混ぜ込んだ謹製きんせいの術。

 虚太郎と対峙していた、島原城にかけていた術が、溜め込んでいた怨念無念諸共に、根元からごっそりと消えたのを感じた為である。


「あの男。……何処のものか知らんが、やるでは無いか。計画を早めねばならんか」


 そうちた瞬間に、戸の外から声を掛けられる。


もり宗意軒そういけん様。……ジェロニモが戻りました」


「あい、分かった。今行く」


 怒りを奥底に仕舞い込み、笑顔を貼り付けながら庵から出ると、ジェロニモの元へと杖をつきながら向かう。





「ジェロニモよ、救いは順調かの?」


 宗意軒は座り、白湯さゆを一飲みしながら、若者に声を掛ける。


「はっ。でうすの御名を讃える信徒しんとは増えております。迷える者にすべからく救いの手を、という考えに賛同する者も増えてきました」


 ジェロニモと呼ばれた男は片膝をつき、総髪そうはつ御簾みすの様にらし、頭を下げたままに答える。


「ならばよい。衆生救済しゅじょうきゅうさいの日も近い、ジェロニモよ、救世主となる為にはげむのだ」


 そう言いながら、わんの白湯を飲み干す森宗意軒。

 空となった椀を置いた瞬間。――破裂音がとどろく。


「何事じゃ!」


 森宗意軒は老体に似合わない速さで立ち上がり、大声を出す。

 すぐさまに男が一人、森宗意軒達のいる部屋へと駆け込んでくる。


「大変です! ……おおぬさの畑が燃えております!」


 息も絶え絶えになりながらも、報告する男。


「ジェロニモよ! 一刻も早く、火を消しに行くのじゃ! アレは我等の生命線ぞ!」


 血相を変える森宗意軒。

 しかし、ジェロニモは、それよりも速くに行動を開始していた。手早く大太刀おおたちを片手に持ちながら、矢の如き勢いで畑へと駆けて行く。





 大麻おおぬさの七つ葉が揺れ、花穂はなほが樹脂を流す様は、涙を流す芸妓げいこの如く。

 しかし、それに容赦をするほど甘くはない虚太郎。

 畑に点々と置いた火薬が爆ぜ、さらに火の勢いを増させる。


「風魔忍法。魂変こんへん火男ひおとこ


 頭巾ずきんを剥ぎ取り、上を向いている虚太郎の口がふいごのように先細りになりながら、高く高くなっていく。

 ちろりと口の先から赤々とした火が漏れる。


「燃えろ」


 かまどの火を吹く様に、火焔を口から一気に吹き出す虚太郎。

 大麻の畑が燃えゆく。火薬が爆ぜる。


「こんなところか。……魂変は疲れるから困る」


 そう言ちた時にはふいごのような口は元に戻り、火の灯りにより、蒼い瞳を煌めかせていた。

 剥ぎ取っていた頭巾を戻そうと、手を掛けた。


「イエェーぁぁ!」


 耳をつんざくような叫び声。――猿叫えんきょう

 火の壁を避け迂回するわけでも無く。

 ただ真っ直ぐに火の海を渡り、駆ける、着物は焦げ、顔は煤だらけになった男。

 虚太郎うろたろう袈裟けさ斬りにしようと、身の丈に合わない、大太刀を振るう。


 虚太郎は退がる事なく、逆に前へと間合いを詰め、起点の両腕を掴む。


「貴様! 釘を刺したのに何故、我等の救いの邪魔をする! 大麻おおぬさの種は皆の食料になったのに!」


 ジェロニモは、怒りのあまり端正な顔を崩し、噛みつかんばかりに虚太郎へと顔を近づける。


「これも仕事よ。……悪く思うなっと!」


 虚太郎はジェロニモの鼻っ柱に向かって頭突きを放つ。

 その頭突きは読み筋であった。ジェロニモも頭突きを放ち、額と額がかち合う。

 すぐさまにどちらも距離を取り離れる。


「ふう。……ここらが潮時だな」


 額から流れる血を指ですくいながら、小さな声で言つ虚太郎。――人が集まり始めていた。


「では、せつはこの辺で、お暇させて頂く」


 そう言った矢先に、ふところに手を入れ、玉を三つほどを取り出し、地面に叩きつける。

 周囲に立ち込める、前が見えない程の白い煙。

 ジェロニモは、玉を取り出した瞬間に駆け肉薄し、白い煙を断ち斬るように大太刀を横薙よこなぎに振るう。

 しかし、其処そこには虚太郎の姿は無く、空を斬るばかりであった。


「逃げるな! 正々堂々と戦え! 我が名はジェロニモ益田ますだ四郎しろう時貞ときさだ! 尋常じんじょうに勝負しろ!」


 その叫びに答えることもなく、虚太郎は声を殺しながら笑い、島を後にする。

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風魔が吹く 豚ドン @coolesthiro

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