野球女子

@1640

第1話

 県境の河川敷で学校帰りの男の子が四人、野球遊びをしている。

 ポジションは打者、投手、捕手、野手。ホームベースを見立てたランドセルがあるだけの簡単なゲーム。

 程よく水気を含んだつややかな芝生、上流に大きな鉄橋あり、行きかう貨物車両同士があいさつ代わりのクラクションを鳴らす。花見客で賑わった桜並木の通りも今は人気がない。

 鈍い音で弾けた打球が川に向かって高々と飛んでいく。 

「ノブぅ、捕れぇ」

 ピッチャーが叫ぶ。「ムリぃ」と野手は必死に打球を追うが、命一杯伸ばしたミットを越えてボールは芝に落ちた。

 頭を抱えて悔しがるピッチャーにキャッチャーが歩み寄り、ボールを拾ってきた野手も集まる。

 この遊びのルールに従い、ヒットを打ったバッターはそのままでポジションチェンジ。

「あいつ、また来てるな」

 キャッチャーの位置についた子がバッターにしゃべりかけた。

「なんのことだよ」

 バッターの問いにあごを土手に向けて答える。そこに女の子が座っていた。

「誰だ。タカの姉ちゃんか」

 バッターがよそ見しているうちにピッチャーが第一球を振りかぶる。

「あ、ズッケぇ」直球ど真ん中のボールは慌てて振ったバットの根元に当たり、勢いを失ってピッチャー前に転がっていく。

「よっし、バッター交代」

 キャッチャーが立ち上がって不服そうなバッターからバットを奪い取る。

 打者と野手が入れ替わり、打ち取った投手は続投。グローブをはめて川辺へ向かいながら土手の女の子をチラリと睨んだ。


 女の子は、四人が草野球をしているとやってきて、遊びに熱中しているといなくなっていた。

「あれ、三組の伊達だよ」

 いつものよう河川敷に集まった四人のうちの一人が言った。

「へぇ、あいつも野球するのかな」

「なわけないだろ。女だぞ」

 髪の長いやつは野球をしない。そんな理屈で納得した四人は昨日の続きからポジションにつく。

 同じことを続けているとスイングや投球に個人差が出る。力任せにバット振る子、じっくりとボールを見る子、相手のクセを観察する子、そうして自分に合ったポジションが分かってくる。それが遊びの幅になって優劣をつけたくなるのだろう。

「あ、今日はじいちゃんとご飯を食べに行く日だった」

 打席に入ったバッターがバットを下ろしてつぶやく。

「帰るのか」

「うん、ちょうどキリが良いし」

「なんだ。どうしたんだ」

 キャッチャーが立ち上がってゲームは中断、投手と野手が駆け寄ってきた。

「ごめん、用事があって帰るわ」

 一人抜けることで、遊びを変えるか、一緒に帰るかの二択を選択しているなかで三つ目の提案が上がった。

「そうだ。あいつを入れたらどうだ」

 ランドセルを背負って、帰り支度を済ませた子が土手の女の子を指差す。

「えぇ、女を入れるのかよ」

「おぉい。野球やらないか」

 意見がまとまる前に言いだしっぺが手を振って女の子を呼ぶ。手招きに誘われて、女の子は足早にやってきた。なぜ呼ばれたのかまでは分かっていなかったようだが、グローブを渡されるとにっこり笑って大きくうなずいた。

 玉拾いをされておけば良いか。一回きりのことだし気を使う必要ない。と残りの三人は判断した。女の子を野手につかせて、ゲーム再開。

 邪険に扱うつもりであったが、異性の目は気になるものだ。いつにも増して張り切りたくなる。そうして力んだ結果、暴投と空振りが続く。

 そんな最中、打ったほうも驚くほどの快音で、まぐれ当たりが足で地面を削っていた女の子の頭上を越えていった。

 ピッチャーとキャッチャーが交代し、ボールを拾い戻ってきた女の子にグローブを掲げて返球を催促する。

 まだ遠い。男の子でもそう思う距離だったけど、女の子は投球モーションに入った。

 踏み込んだ足から体をひねり、しなやかに蓄積された力を乗せて指先からホールを放つ。

 ボールは風切り音を上げ、空気の中を滑ってくる。その迫力に思わず短い悲鳴を上げた男の子の、身を屈めながらも構えたグローブのなかに叩き込まれ、吸収し切れなかった衝撃が鳴り響く。

 手に残る痛みとしびれ。投球に自信を持っていた子だけに、驚愕と賞賛で騒ぎたくなる衝動よりも、屈辱があった。

 平静を装い、女の子を野手に据えたままゲームは続く。そうして三度目のポジションチャンジになった。

 その間に屈辱が興味に変わっていた。

「ピッチャーやってみないか」

 理科の実験をするようなワクワク感で女の子に呼びかけた。


「あのあと、どうなったんだよ」

 翌日、学校で先に帰った男の子が三人に問いかけたけど、誰もが言葉を濁して、答えようとしなかった。

「なにかあったんだな」と詰め寄っても、同じ言葉が返される。「あとでわかるよ」

 放課後になり、四人そろって河川敷にやってきても、すぐにゲームは始まらない。

「やんないのか」

 天気も良い。他に人もいない。妨げるものはなにもないのに三人は座り込んでマンガを読んでいる。

 待ちぼうけの一人は気晴らしに石を拾い、川へ投げ込む。

「お、サミーがきた」

 一人がマンガを置いて立ち上がると土手に向かって手を振った。

 昨日の女の子が土手を駆け下りてくる。グローブを持って、スボンをはいていた。

「サミーってなんだよ」

「なんでって伊達正美だから」

「あぁ、あいつもマサなのか」

「そういうこと。ヒーコちゃんがバッターで良いよ」

 石を投げていた子にバットを渡して、各々が守備につく。野手は二人。マウンドには女の子が立つ。

「お前がピッチャーなのか。ぶつけてくんなよ」

 サプライズを鼻で笑ってバットを構える。二人の対峙を見守る男の子も口元を緩めていた。そして第一球。

 キャッチャーミットのなかで衝撃が弾けた。その迫力にバッターが半歩後ずさる。

「どうだ。速いだろ」

 キャッチャーが自分の手柄であるように得意げに言った。何も言い返せないまま、バッターは一息ついて打席に入りなおす。

 第二球目。今度はじっくりと投手を観察する。テレビの、プロ野球選手の投球よりも初動が遅い。体全体で弓を引くよう、ぎっちりと貯めを作ってからボールを放つ。

 ボールは指先を離れてからさらに加速している。そんな気になってしまう。空気を切り裂き、ミットに叩き込まれる音。目よりも耳が反応する。

「よく取れるな」

 これは打てない。とあきらめ加減のバッターはキャッチャーに関心を向けた。

「いやぁ、怖くてほとんど目ぇつむってるよ」

 つまり、グローブを構えたところにボールが飛び込んでくるのだが、わかっていても簡単じゃない。あっけなく三球三振に取られて終わり。

 女の子の加入によってゲームの趣旨が変わる。あの剛速球を打つ。男の子が代わる代わる打席に入って大型新人に挑む。みんな、ボームラン狙いのフルスイングなので、バットに当てることさえできない。

 ピッチングについてたずねても、女の子自体が誰かから教わったわけではない。感覚的に、指先ではじくようにして投げるんだ。と説明しても理解できる子はいなかった。

 運動で女に負けていられるか、男の自尊心でゲームに熱が入る。この種の学童が、もっとも嫌っているであろう予習復習練習まで始めてしまう。

 影ながらの努力で、スピード、コース、インパクト、三つの偶然が重なり始めたころ、女の子からの打診があった。

「ちょっと、お願いあるのだけど」

 

 日曜日の早朝、男の子はグローブとバットを携えて家を出る。河川敷に集合した五人は、女の子の案内で隣町の学校へ向かう。

「試合をしたい」女の子のお願いはそれだけで、理由まではしゃべらなかった。端的だったおかげか、男の子たちは軽い気持ちで引き受ける。

 打球音に捕球音、掛け声が聞こえてきた。校庭いっぱいを使ってユニフォーム姿の子供たちが練習に励んでいる。

 練習は学年別に分かれている。女の子は迷うことなく同級生の集団へ歩み寄っていった。

「伊達か、何しに来たんだよ」

 集団の中の一回り大きな男子が河川敷草野球の五人組に気づき、敵意を持って迎えた。ぞろぞろと球児が集まってくる。

「試合しに来た」

 女の子は臆すことなく答える。雰囲気の悪さに後ろの四人は戸惑う。

「別に良いけどよ。女とつるんでいるようなヤツを連れてきたって勝てねぇよな」

 ニヤつきながら周りに同意を求める様子は、お山の大将の印象を与えた。そして女の子がこのチームに居たのだと、四人は察した。

「試合たって、こっちは五人しか居ないんだけど」

 ケンカ腰なやり取りに、草野球組の男の子も不機嫌になって低い声を出した。

「おい、向こうのチームに入りたいヤツはいるか」

 お山の大将が声を荒げる。周りの球児は黙ったままだ。同じようなことが前にもあったのだろう。どれだけの才能があろうとも一人で勝てるわけがない。それで女の子はチームを追い出された。

 五対九だけで十分ハンディなのに、相手は練習、試合数も豊富だ。

「大丈夫、勝てるよ」

 不安を隠しきれない男の子たちに女の子は力強くささやき、ポジションを決めていく。ピッチャーは女の子、キャッチャー、ファースト、セカンド、ショートに一人ずつ配置。

 試合経験のない男の子たちは、女の子の指示に素直に従う。

 重たい空気の中で始まった試合を、女の子の気迫の入った投球が払拭する。

 河川敷のときよりも一段とスピード、迫力が増していた。弾ける捕球音が校庭に響き渡った。

 こいつが居れば点を足られることはないな。守備につく男の子たちの気分が和らぐ。

 バントなどの小細工をする球児ですら当てることができない。そんな女の子の剛速球に鍛えられていたおかげで草野球組の打線はつながる。

 一回に打者三巡の猛攻で完勝した。

 勝利の喜びでマウンドに集まる五人を、三振に喫したお山の大将がバットを握り締めたまま睨む。

「ちくしょう」

 かんしゃくを起こした大将がバットを持ち上げるとマウンドへ突進し、女の子に向かって振り下ろす。



 少年野球地区大会で波乱が起きた。

 優勝候補の強豪チームが完封負けをしたのだ。しかも相手のピッチャーは二学年下の女の子。

 試合後の礼を済ませてペンチへ向かうところで、なにかに気づいた女の子が観客席に駆け寄った。

「よう、サミー。相変わらずトんでもないな」

 観客席から身を乗り出し、親指を立てて勝利を祝う男の子がいた。

「見に来てくれたんだ」

「俺一人だけだけどな。ノブはタカんとこでバイクのエンジンをバラして遊んでるよ。タカの姉ちゃん、苦手だからこっちに来た」

 微笑んでいた女の子だったが、じっと男の子を見つめて言った。

「ヒーコちゃんは、どうしてるの」

「連絡とってないから、わからない。お盆くらいはこっちに帰ってくると思うけど」

「もう、野球はやらないんだよね」

「まぁね。もともとヒーコちゃんに誘われて始めたことだし」

 野良試合で負けて逆上したバッターが、バットを振りかざして女の子に襲いかかる。それをかばった男の子がケガをする事件があった。

 いろいろと問題になったが、ケガをした男の子の達ての願いで穏便に済ませ、女の子は野球チームに復帰することになる。

「ヒーコちゃんは頭も良かったからな。これで勉強に専念できるって進学校へ入っちゃうし」

 男の子は空をおいで、ずいぶんと昔のことのように話す。

「あのね。あのときの試合に勝つ自信があったのは、君がキャッチャーだったからなんだよ」

 女の子が堰を切って訴えた。

「俺が、どうして」

「全力で投げると、やっぱりコントロール乱れるんだけど、君は全部、受け取ってくれたから」

「いつもより手が痛かったのは、そういうことか。俺のとりえが頑丈なことだけだからって怖いな」

 あのときを思い出した男の子は左手を見つめ、女の子は取り違えのもどかしさに手先を震わす。

「ヒーコちゃんが帰ってきてたら声をかけてみるよ。ノブもタカも誘ってな。草野球なら付き合ってくれるだろう」

 男の子の提案に、女の子は歯切れの悪い返事でうなずいた。

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