決意
岡江くんから紹介してもらった会社にはすんなり採用された。今は彼に教わりながら順調に仕事を進めているところだ。気さくでノリが軽い岡江くんと働くのは気が楽だし、収入があるお陰で心の余裕も生まれた。しかしその一方で、この間の母さんからの連絡がずっと気がかりだったのである。
あれから二週間くらい経った日の夜、僕は家に帰るとすぐテーブルの前に座った。スマホスタンドを用意し、自分の顔が映る角度に調整する。約束の時間までは結構ギリギリだ。
やがてスマホの通知が鳴った。ビデオ通話だ。緊張で胸が高鳴る中、震える指で画面をタップした。
ほどなくして、母さんと父さんが別々の画面に映った。母さんがいるのは懐かしい実家のリビングだけど、父さんがいる場所は違う。そこは周り白一色で、父さんは医療ベッドに座っていた。3年前に会ったときの、僕を睨むような重々しい雰囲気は全く感じられない。がっちりしていた体は少し痩せこけて、頬は緩み、細まった目に威圧感が無い。こんなに弱々しそうな父さんを見たことはなかった。
父さんはコロナウィルスに感染してしまった。それが二週間前の母さんからの連絡だ。高齢期に入っていた父さんの症状は重く、余命わずかなことが言い渡されるまで時間はかからなかった。
今日が、父さんと話せる最後の日になってしまう。
「もしもし」
呼びかけると、母さんからは小さな声でもしもし、と返された気がした。父さんからはすぐに反応が無く、言葉を選ぶようにゆっくりと話しかけてきた。
「……元気だったか」
「父さん」
小さい頃からよく見てきた、鋭く見据える眼光がない。もう見られないんだ。
「本当に、勘当させたようになってしまったな」
「……父さん」
「最期に直接顔を合わせることすら許されない。嫌な病気だ」
父さんは頑固な人だ。自分の考えは絶対と言っていいほど曲げない。真剣に勘当するつもりだったとしてもおかしくないと思っていたけど、さすがに違ったのかな。
「父さん、自分勝手な息子でごめんなさい。父さんがいなくなったら店が無くなっちゃうのに、僕は」
「もういい。そのまま、お前の信じる道を行け」
父さんが音楽の道を認めてくれるのは嬉しいはずなのに、何だかとても切ない。
「哲弘」
「はい」
名前を呼ばれると背筋が伸びる。昔からの癖だ。
「死ぬ前に学びを得た。健康でいるが一番の財産、という事だ。何を為すにも体がなくては始まらない。どんな人生を歩むにしろ、くれぐれも体には気を付けろ。いつも元気で、母さんに心配をかけなければ、それでいい」
「分かった」
父さんがゆっくり頷き、長い沈黙が流れた。もう残す言葉は無いとみて、僕は立ち上がる。
「ちょっと待ってて」
僕はそう声をかけて、埃かぶったギターケースを引っ張った。中から白のギターを取り出す。人に見せるのは随分と久しぶりだ。バンド活動の時は相棒のつもりだったけど、こんなぞんざいに扱っていたら相棒でも何でもないな。
スマホの前でギターを担ぐ僕を、父さんは表情一つ変えず見つめた。
「本当は、デビューして父さんに見直させてやろうって思ってた。全然叶わなかったけど、僕なりに努力したつもりだったんだ。父さんが生きている間に、僕なりの成果を見せたいと思う」
四拍子のリズムで弦を弾く。久しぶりだからか手に力が入ってる気がする。リラックス、リラックスと言い聞かせ、前奏を終えて声を張り上げた。社会人バンドで作ったオリジナル曲。恋人と別れる男の気持ちを歌った曲だ。家族に聴かせるのは何だか恥ずかしくて、それも緊張する理由だったかもしれない。両親の顔を見ないよう、表情筋を動かして目を閉じながら精一杯声を出した。近所迷惑かもしれないけど、2分半くらいだから大目に見て欲しい――なんて心の中で詫びながらお腹を膨らませ、感情豊かに、思うがままに。
歌い終わる頃にはほんのり汗が滲んでいた。顔が熱い。息を整えながら画面を見ると、
拍手が送られているのが聞こえた。二人とも手を叩いている。母さんはともかく、父さんから褒められる経験は数えるくらいしかない。
「哲弘……」
父さんの声が震えている。そっと視線を戻すと、父さんが一瞬目を拭うのが見えた。
泣いてる?
誰よりも怖いと思っていた父さんが?
「強く生きろ、哲弘……!」
「父さん!」
画面越しから鼻をすする音が聞こえる。気付けば母さんもハンカチを取り出している。
僕は思い出した。歌うことの楽しさと、音楽の力。こうやって感動を与えてくれるんだ。それはライブで直接聴かせても、このように画面越しでも変わらない。
もう一度夢を追いかけよう。こうして歌で泣かせたんだから、きっとやれる。
父さんとの最後の通話を終えてから、僕は岡江くんに電話した。
「もしもし?今大丈夫?」
「哲弘か、お疲れー。どうした?」
「うん、歌い手の話を聞きたくて……」
揺るぎないもの @Azumari123
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