転機
コロナウィルスでラーメン屋のバイトを失い、数日が経った。梅雨模様が続いてた中珍しく晴れたので、僕は散歩がてらコンビニでバイトの情報誌を手に取り、近所の公園のベンチに座った。相変わらず感染症の拡大を防ぐための外出自粛ムードが続いており、休日なのに本当に人がいない。一通りの遊具が整備されていてそこそこ広い公園なのだけど、見事に僕一人しかいなかった。
さっそく情報誌をめくったけど、普段より3分の1くらいは薄い。ピンとくる仕事――条件が良いって意味で――が見つからなかったのもあり、10分くらいで読み終えてしまった。人の移動が無いことによる圧倒的不況。バイトすら探すのも一苦労な時代か……なんて考えると、思わずこうべが垂れてしまう。
俯いたまま頭の中でグルグル考え事をしていたので、近くに誰か来ていた事には全く気付いていなかった。
「哲弘?」
急に呼ばれて驚いた。顔を上げると、長身で茶髪の男が僕を見下ろしている。マスクで顔はほとんど見えないけど、ハスキーな声とキリッとした細目ですぐ分かる。
「岡江くん?」
名前を呼ぶと、彼は気さくに笑った。社会人バンドで一緒に活動していた岡江くんだ。僕だけかもしれないけど、最近みんなマスクしているから外で誰かと会っても分かりづらいんじゃないかと考えたことがある。だから岡江くんが僕だと分かったのは中々すごいなと勝手に思った。よく低身長でガリガリなのをイジられるけど、そこで判別できるのかな。
「久しぶりだな。元気してたか?」
どう答えるか迷ったけど、とりあえず曖昧に頷いた。岡江くんは親しげな様子で隣に座ってくれる。感染リスクのせいで密接な距離感にピリピリしてる世の中だけど、ただっ広い公園に二人だけならいいだろう。
岡江くんは僕の情報誌に目を落とした。
「バイト探し?」
「うん」
彼は僕の手から情報誌を抜き取り、パラパラめくった。
「今こんなに薄いんだ。このご時世じゃなぁ」
「前のバイト、店が潰れちゃって。新しく探さなきゃいけないんだけど」
「なるほどねぇ」
岡江くんは正社員で働く傍らでバンドに参加していた。僕よりは当然時間の制約があるけど、ボーカルとしてみんなを引っ張る役回りをしっかりこなしていると思う。
岡江くんは情報誌を返すと、僕を見て目を細めた。笑っているらしいことは分かった。
「偶然なんだけどさ、ちょうどウチの会社で欠員が出て。バイトで募集かけようとしてるところなんだよね」
「そうなの?」
本当にすごい偶然だ。こんな美味い話があるか?
「どんな会社?」
「動画編集の仕事をしてる。激務ではないし、給料も並みくらいは貰えるはず。ブラックじゃないのは俺が保証する」
「……本当に応募できるなら、してみたいけど」
岡江くんはサッと親指を立てた。
「了解。会社の人に伝えとくよ。面接すると思うから、要る物はまた連絡する」
「ありがとう。恩に着るよ」
こういう事があるとは、やはり持つべきものは友達か。岡江くんはあくまでバンド仲間でしかなかったから、友達って言うほどフランクな関係じゃないかもしれないけど。それでもこんな幸運が舞い降りてくるあたり、人の縁って大事なんだなって実感させられる。
一方で僕は別の事を考えていた。岡江くんが動画編集の仕事をしているというのが妙に納得できた。というのも、彼は動画投稿サイトで歌い手の活動もしているのだ。仕事とバンドの両立だけでも大変だから、さすがにそれは細々とした形でしかやれていないようだった。投稿本数も少なかったし。
「バンドの方が動けないから、歌い手の活動が捗るんじゃない?」
「そうだな。正直あっちはじきに解散すると思う」
「やっぱりか……」
僕たちはメジャーデビューに本気だったけど、他のメンバーはそうでもなさそうだったからなぁ。モチベーションに差があったのかもしれない。
「哲弘は、本気でデビューしたいんだっけ?」
「うん……でも、最近分からなくなってきて」
「分からない?」
岡江くんが不思議そうに腕を組み、背もたれに寄りかかる。
「僕が他の人を巻き込むのが苦手だから。バンド組んでやってみると、みんな同じ方向を向いてないと厳しいんだなって思って。衝突も多かったから、少し疲れたかなぁって」
「なるほどな」
バイト先が倒産して余裕が無かったのもある。今は少し安心してるけど。
「疲れたのは、ある意味俺も同じかな」
「そうなの?」
「あぁ。ただデビューしたいってのは変わらなくて……何と言うか、グループじゃなくてソロの方が自由度は高いかなって」
「そっか。それで、歌い手か」
「そう」
相変わらず公園には誰もいなくて、木々の揺れる音が静かに聞こえる。
岡江くんがおもむろに身を乗り出した。
「お前もネットで活動したら?歌が上手いの知ってるし」
「ネットかぁ。うーん、どうかな」
「今じゃネットからでもメジャーデビューできる時代だからね。そういう路線もワンチャンありかなって」
岡江くんの言う事はもっともだ。実際にそういうやり方でデビューした歌手がいたと思う。バンドが好きだから何となくその路線しか考えていなかったけど、頭が固かったかな?どちらかと言えば機械音痴な僕だけど、動画撮影とかできるだろうか。
「ま、考えてもいいんじゃない?俺はちょっと用事があるから、もう行くわ」
「分かった。色々ありがとう」
岡江くんが気さくに手を上げたので、僕も返した。突然現れて転機をくれた。本当に恩に着る存在だ。生活に余裕ができたらランチをおごってあげたい。いや、それだけでは足りないか?僕の人生を変えてくれたと言っても過言ではないかもしれないから。
僕は情報誌を折りたたんで鞄に入れる。さぁ帰ろうかというところでポケットが震えた。スマホを取り出すと母さんからメッセージが入っている。画面を開いた。
「……!」
その時、自分の瞳孔が大きく開いたのが我ながらに分かった。
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