第三話 知性 三

 そして、場が沈黙に包まれる。


 一寸の後、魔法使いピトリーナが口を開いた。

「あの、そんな名前の魔法は聞いたことがないんですが」

「おや、知らんのかね」

「はあ、その、私は残念ながら」

「ふむ、勉強不足であるな。仕方がない、知らぬとあれば実際に使って見せようではないか。通常であれば先行詠唱保留を使うところだが、さっき使ってしまったのでな」

 そして彼は懐から古そうな書物を取り出すと、落ちついた声で詠唱し始めた。

「ミード・リーノ・ナッカヲ・ハシーリ・ヌ・ケテック……(長いので中略)……イーマノ・コートバ・プレバック・プレバック!」

 ロクザーリの詠唱が終わり、全員の目の前が白くなる。

 そして、気がついたときには、

「……チ・ヨット・マッテ・プレバック・プレバック・イーマノ・コートバ・プレバック・プレバック!」

 というロクザーリの声を全員が再び聞いた。

「その、つまりは……」

 ピトリーナが震える声で尋ねる。

 ロクザーリは会心の笑みを浮かべつつ、その後を引き継いで言った。

「ふっふっふ。お察しの通り、五秒前の出来事を再生するだけの時間操作系魔法なのだよ」

 そして、全員が同じことを考えた。

 ――うわ、しょーもない!

 ピトリーナが魔法使いの矜持から尋ねる。

「あの、先攻詠唱保留が使えないと、呪文が長いからただ詠唱中のところに戻るだけなのでは」 

「その通りだ」

「しかも先攻詠唱保留のほうが高度なので、それを習得できる頃には他の時間操作系魔法も習得済になってますよね」

「その通りだ」

「ほぼ使い道がないですよね」

「そう思うかね? まだまだ未熟だな。他の時間操作系魔法では最短でも十分前の状態まで戻るではないか。そこから再生するほどでもない時にはどうするのかね?」

 ――うわ、使い方までしょーもない!

 全員が放心状態になる中、ダンドルフォはあることに気づく。

 彼は声を震わせて尋ねた。

「その、もしやこの魔法を使ったというのは……」

 ロクザーリはその日一番の笑みを浮かべながら、言った。

「そうだ。『五人分の声しか聞こえない』と言う前に、確認のために使った。ちょっと聞き直すには実に便利なのだよ」

 ――こんなところでわざわざ伏線回収かよ!

 今度こそ全員が本格的に言葉を失った。

 魔法そのものもしょーもなかったが、その実際の活用例が輪をかけてしょーもなかったからである。


「さて、次は後攻のダンドルフォ様ですが……」

 ペルセポリナが、先ほどまでの口調をすっかり忘れていることも忘れて、口ごもった。

「準備――いや、覚悟は出来ております」

「……そうですか。それでは、宜しくお願い致します」

 ダンドルフォは洞窟中央部に向かって歩みを進める。

 その場に居合わせた全員が、そのゆっくりとした歩みを死地に赴く戦士のそれと重ね合わせていた。

 絶望的な状況。

 圧倒的な力量差。

 それでもなお、騎士が己の誇りをかけた戦いに身を投じようとしている。

 全員がその瞬間、これが『しょーもない魔法』勝負であることを忘れていた。

 ダンドルフォが洞窟中央に立つ。

 照明が中央部分に絞り込まれる。

 ロクザーリが古典劇だとすると、ダンドルフォのそれは悲劇の幕開けに等しい雰囲気を醸し出していた。

 額から汗が流れ落ちている。

 腕が微かに震えているのが、遠目で見ても分かる。

 しかし、男は項垂れることなく轟然と面を上げており、その瞳には生が瞬いていた。

 彼が口を開く。

 その他の全員が息を呑む。

 飽和した緊張感を揺らすように、男は言葉を発した。

「俺が最もしょーもないと思った『魔法』をここで披露する。支援魔法だ」

 再び何人かが息を呑む。

 支援魔法は何らかの能力向上を伴うものだから、まったく使えないということはない。

 その程度がどのくらいかが問題になるものの、ロクザーリの「五秒前に巻き戻る時間操作系魔法」のしょぼさに勝ることは困難だろう。

 誰もがそれを自爆覚悟の特攻だと考える。

 その雰囲気が伝わったに違いない。

 ダンドルフォは苦笑すると、声高らかに宣言した。

「その名も『ホイ・チョイ』!」


 そして、場は再び沈黙に包まれた。


 一寸の後、自分の役回りを理解していたピトリーナが口を開く。

「あの、そんな名前の魔法も私は聞いたことないんですが」

「ああ、そうだろうな。君の年ならば無理もあるまい」

「えっ、それではまさか古代魔法の類ですか?」 

「いやいや、そこまで古くはないよ。かれこれ三十年前になるかな。帝都経済が絶好調で、誰もが繁栄に盲目的に浮かれていた時代に流行ったものだよ」

「ピルプ経済ですね。親から話を聞いたことがあります」

「親から、か。何もかもみな懐かしいな」

 ダンドルフォが遠い目をする。

 そこに、門番としての役割を思い出したペルセポリナが口を挟んだ。

「あのう、それでですねぇ、『ホイ・チョイ』という魔法のことなのですけれども」

「ああ、そうだったそうだった。すまない。ちょっと昔を思い出して感傷にふけてしまった」

 ダンドルフォは頭を掻きつつペルセポリナに謝罪すると、洞窟中央部で仁王立ちしながら話を続けようとした。

「この『ホイ・チョイ』というのはだな――」

 ところが、ここで少しだけ顔を横に背ける。耳が赤くなっているのが見えた。

 それで、全員が同じことを考える。

 ――あ、これ絶対にやべーやつだ。

 顔を上げて咳払いをすると、ダンドルフォは意を決して語り始めた。

「おほん、この『ホイ・チョイ』というのは――帝都に数多軒を連ねる飲食店の中から、特に高級な調度品を使っていない割には流行のものを確実に押さえているため、ぱっと見の雰囲気が高見えする絶妙な内装を有している、食事も高級食材というほどではないが産地を聞いて、『ああ、この地方は気候がこの野菜に絶妙にマッチしていてね』という薀蓄が即座に語れるような食材を準備し、酒についても年代物というほどではないものの『この年は当たり年なんだよね』程度の見栄がはれそうなものを揃えている、全体的にお値段がお手頃な割には、彼女が『ああ、なんてすてきなお店なんでしょう。私のためにこんなところを準備してくれるなんて』という都合の良い誤解をして、ついでに飲みすぎたりなんかして、最後には『おやおや、ちょっと酔いが回ったようだね。少し休憩しようか』といいながら、お持ち帰りできそうな、そんな店を探し出すための――」

 ここまで一気呵成に語り、少し息を整える。

 そして、やりきった表情を浮かべながら最後にこう結んだ。

「一覧が表示される、という魔法だ」


 その時、洞窟内の空気は微動だにしなかった。


 圧倒的な「しょーもなさ」に万物が凍りつき、そのまま世界ごと封印されそうな感覚を受ける。

(そうまでしてお店探ししなくてもいいんじゃないの。しかも下心満載で)

 という言葉が喉まで出掛かっていたが、すべて出し切ったという男の表情を見ると、そんな安易な感想をいけないような罪悪感を覚えずにはいられなかった。

 しかも、凍りついた世界の中で男の口だけが再び動きだす。

「この場でこの魔法を皆さんにご覧にいれても良いのだが、情報が古すぎて既に殆どの店は閉店している」

 再び全員の脳裏に、

(なんで情報が更新されないのさ)

 というツッコミが夏の稲妻のように即座に浮かんだが、彼の次の言葉でそれを飲み込むことになった。

「それで、実際の効果について話したいと思う」

 すると、今まで主人公のはずなのに話の流れの乗りどころを完全に失っていたピエルセンが、顔面蒼白になりながら叫んだ。

「いけないダンドルフォ、それはオーバーキルだ!!」

 主の制止を耳にしながらも、勝利を決定的にするためにダンドルフォの言葉が止まることはなかった。 

 彼は目を細め、まるで神に懺悔するかのようにこう言った。


「私はこれで妻をものにしました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王の封印を解けるものなら解いてみろ! 阿井上夫 @Aiueo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ