第12話 サーカスとの別れ(完)

 気づくと、僕と真琴は通学路に立っていた。

「真琴……僕、変なんだ。さっきまで、怖くてたまらなかったのに……」

「いまは怖くない……だろ」

 罪や恐怖の感情が奪われたからか、飴の代償を支払ったからか、クラウンが許してくれたからか。

 わからないけれど、さきほど感じていた嫌な不安感はなくなっていた。

「でも、怖いはずのことを怖いと感じられないなんて……これじゃあ、あそこにいた人形と同じだよ」

「大丈夫。全部を吸い取られたわけじゃない。まだ俺たちは悩むことが出来ているだろ」

「そ、そっか……」

「恐怖心だって、今この場ですべての恐怖を味わったわけじゃない。このさき怖いことがあれば、また俺たちの中に感情が生まれることもあるはずだ」

「うん……」

 失った分、また生み出せばいい。

 どこか楽天的な気もするけれど、いまの僕たちには、これ以上深く悩むことはできそうになかった。

「とりあえず、兄さんにこの飴をあげよう」


 2人で真琴の家へと向かう。

 真琴は少し緊張した様子で、彰くんの部屋をノックした。

「兄さん、入るよ」

 返事はないけれど扉を開ける。

 彰くんは電気もつけず、ベッドで布団を頭からかぶっていた。

「兄さん……飴をもらってきたよ。これで大丈夫だから」

 彰くんのかぶっていた布団をそっとめくる。

 僕たちの方を見る彰くんの頬には、涙の筋が残っていた。

 泣いてしまうほど、不安だったのか。

 そして今は、その涙も枯れてしまったのか。

 真琴は急いでフィルムを剥がした飴を、彰くんの口もとに差し出す。

 彰くんは、すがるようにしてその飴を口に含んだ。

 飴が口の中で転がされていく様子をじっと見守る。

「……大丈夫、だよ。そんなに心配しないで」

 彰くんは僕たちにそう言うと、ゆっくり体を起こした。

「ど、どんな感じ?」

「温かい……。それになんだか楽しくなってきた」

「よかった……」

 僕と真琴はほっと胸をなでおろした。

「あのサーカス、人の楽しい気持ちを奪うなんて最低だ……」

「ああ、もう二度と関わりたくないな」

 彰くんは、文句を言う僕たちを見て、なぜか優しく笑う。

「少し前の俺は、サーカス以外、なにも楽しくなかったんだけど、それはサーカスのせいじゃないんだ」

「え……?」

「中学の頃、頭がいいとか言われて、それで舞いあがってたんだと思う。高校に入ってからうまくいかなくて」

 ぼんやりしていたのには、高校生活が関係していたってこと?

僕たちは、黙って彰くんの言葉に耳を傾ける。

「同じ学力の子が集まるんだ。自分が下の方にいくくらい当然なんだけど。なんていうのかな。劣等感とか悔しさとか、いろんな感情がごちゃごちゃしていたんだよね」

 一呼吸おいて、彰くんが言葉を続ける。

「俺のごちゃごちゃした嫌な感情を、あのサーカスは奪ってくれたんだ」

 そういえば、彰くんのチケットも、青色の飴になったことがあるみたいだった。

 楽しい感情を奪うだけじゃなく、苦しくてどうしようもない気持ちから、誰かを救うこともしていたのだろうか。


「それじゃあ、帰るね」

 玄関まで見送ってくれた真琴に伝える。

「……兄さんの言ってること、どう思う?」

「クラウンも悪い奴じゃないかもしれないのかな」

「俺はちょっと怪しいと思う。温かい気持ちになれる飴を食べた後だし、サーカスのことも、いいように感じてるだけかもしれないだろ」

 真琴は少し納得していないみたい。

「でも、高校のこと、僕たちに話せるくらい前向きになれたってことだよね」

「……そうだな。そう思うと……悪くないのかもしれない」


 あれからしばらく経つけれど、あの路地に入ることは出来ないでいる。

 けれどいつかまた、楽しいときや落ち込んだとき、不思議な音楽が聞こえてくるんじゃないかと、ふと思うのだった。

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感情サーカス りっと @litto

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