第11話 サーカスの秘密
「扉の中を覗いてはいけないと言ったはずだよ」
クラウンは抱えていた少女を床におろした後、僕と真琴を交互に見つめる。
「それに、君たちがいま右手に握っているのは……飴だね? 扉の中に入るだけでなく、飴まで盗もうとするなんて」
「す、すみません……。でも……」
なにか言い訳しようとしたけれど、その前に、少年が口を開いた。
「その飴は僕があげたんだよ」
「君が? どうして?」
「欲しがっていたからだよ」
クラウンは僕たちを見て、大きくため息を漏らす。
「これはとても貴重なものでね」
「でも、僕たちのチケットから作られた飴ですよね」
「そのチケットを作り出したのは私だ」
チケットが僕たちの感情から作り出されたものだという証拠はない。
悪いことをしている自覚はあるけれど、こっちも引ける状況ではない。
「兄さんの様子が、このサーカスに通い出してからおかしいんです。ずっとぼんやりしています。その原因は、チケットのせいだと俺は思ってます」
「……なるほど」
「だから僕たち、この飴で助けたいんです」
クラウンは、少しだけ考え込むように間を置いた後、僕たちの顔を覗き込んだ。
「君たちはチケットや飴がどういったものなのか、なんとなく理解してしまったんだね?」
「確信はないです、けど」
クラウンの反応を見ていたら、間違っていないような気がした。
「君のお兄さん……昨日の彼かな? 彼はたしかにぼんやりしてしまった。それがサーカスのせいだというのは認めよう」
「だったら……治してください!」
「私は昨日、彼にチケットを渡さなかった。彼の感情をこれ以上抜き取ってはいけないと思ったからだ」
「感情……」
「そう、チケットはその人の感情を抜き取って作られる。彼がぼんやりしていたのは、感情をたくさん抜き取られてしまったからだ」
「なんでそんなに抜き取るんですか」
「必要だからだよ。ここにいる子たちを育てるためにね」
クラウンは、少年と、さきほど床におろした少女に目を向ける。
少女の方はぐったりしたまま。
けれどよく見ると目はばっちり開いていた。
飴玉のような瞳が、ぼんやりどこかを見つめている。
「……人形、みたいですね」
さぐるようにクラウンに伝えると、クラウンは僕に笑いかけてきた。
「正解。彼女は人形だ。ちなみにそこにいる彼も人形。お客様以外の子供たちは、みんな僕が作った人形だよ」
「クラウン……さんが作った人形?」
人形みたいだとは思っていた。
どこかおかしくて、ぼんやりして見えたから。
「でも話だって出来るし、笑ったりします、よね」
「そう。そこで必要なのがこの飴なんだ」
クラウンは、器の中からひとつ飴をつまむ。
フィルムを剥がすと、少女の口の中へとその飴を押し込んだ。
「感情から生まれた飴を食べることで、この子たちは感情を持つことが出来るんだ」
飴を口に含んだ少女は、わずかに頬を緩ませる。
「感情を持ったこの子たちは、人々の感情を揺るがす芸を披露することが出来る。君たちも見ただろう?」
舞台で行われていた芸は、よくわからないものだったけど、たしかに感動した。
「芸を見て高ぶった感情を、少し抜き取る。その繰り返しなんだよ」
「そんな繰り返しダメです。彰くんは、なにも考えられなくなってる……」
「彼は新しい感情が生まれるよりも、速いスピードで失ってしまったようだ」
「くっ……兄さんはどうして、そんなになるまでサーカスに……」
「このサーカスは、人の感情で出来ているからね。体が勝手に欲してしまうんだよ」
体が欲する?
よく理解できず、僕はクラウンに問いかける。
「どういうことですか?」
「失ったものを取り戻そうと、自然と体が引き寄せられるということだよ。引き寄せられた先で、また奪われるとも知らずに」
「奪ったのはあなたですよね。そんな他人事みたいに言わないでください」
「その感情はまたいつか生まれる」
「そのいつかを待つなんて出来ません。彰くんは……!」
いま不安で仕方ないんだ。
でもそれは、僕が勝手に持ちかえった飴のせいでもある。
僕が症状を悪化させてしまったのだ。
「悠一、考えすぎるな。俺たちは自分が支払った飴をもう一度返して欲しいと言っているだけだ」
「それは開き直りというやつだよ。初めからそう私に言えばよかったんだ。けれど君たちは私の言いつけを破って、こっそり部屋に入り込んだ」
クラウンは、僕たちの心を見透かすようにスティックで胸元を指す。
「罪の感情が芽生えているようだね」
助けを求めるみたいに真琴に目を向ける。
真琴も、不安そうな表情で僕の方を見ていた。
「それほど罪の意識を持っていながら、どうして飴を手にしているんだい?」
「それは……」
「僕があげたからだよ」
僕たちの代わりに人形の少年が答えてくれる。
少年は微笑んだまま。
これだけ張り詰めた空気の中、微笑んでいるのはかなり不気味だ。
「この飴は貴重なものなんだ。そんな風にあげてはいけないと教えたはずだけど」
「たしかに、そんなようなことを言われた気がするね」
「忘れていたのかい?」
「忘れたわけじゃない。でも、欲しがっているからあげようと思ったんだ」
僕たちに同情してくれたのだろうか。
そんな風に思ったのだけど、どうやら違った。
「君には罪の感情がないんだね」
クラウンが指摘する。
「罪の意識……」
指摘されても少年は笑ったまま。
クラウンはまた僕たちに向き直ると、スティックを振りかざした。
「私の非を認めよう。自分の人形を育てるためとはいえ、感情を奪い過ぎた。ただし、君たちにも悪いところはある。それはわかるね?」
悪い人が相手なら悪いことをしていいってわけじゃない。
僕たちは反省し、うなずく。
「そのまま罪を自覚して欲しい。勝手に扉の中を覗いたこと、そして飴を取ったこと。昨日、青色の飴が減っていた。これも君たちだね」
「す、すみません……」
「もしかして、食べてしまったのかな? だとすれば、今の君たちは他人の感情で動いている。恐ろしいね」
クラウンに言われて自覚する。
僕たちは、とても怖くて罪深いことをしてしまったのだ。
誰かの感情を食べてしまい、その感情で動いているなんて。
「ああ、あふれ出そうになっているよ。恐怖と罪の感情が。もらってもいいよね?」
クラウンのスティックが、僕と真琴の胸を突く。
上からひらひらと、灰色の紙きれが落ちてきた。
サーカスのチケットだ。
僕と真琴が手にするより早く、クラウンがチケットを奪い取る。
「このチケットと引き換えに飴をあげよう。君たちのことも許してあげるよ」
「い、いいんですか」
「このチケットはとても貴重だ。なかなか手に入らない、罪の感情が詰まっている」
「それ……どうするんですか?」
クラウンは、いまだ微笑む少年に目を向ける。
「この子にあげるよ。彼には罪の感情がない。だから、君たちにあっさり飴を渡してしまったんだ」
少年は、それが悪いことだと理解していても、してはいけないという感情を持っていなかったようだ。
「さぁ、これでおしまい。君たちとも今日でお別れかな」
軽快な音楽が、だんだと小さくなっていく。
「……最後、なんですか?」
「もしもまた君たちが楽しいことを求めて、感情をあふれさせたそのときには……」
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