第5話 あなたはかわいい
帰りの電車に揺られながら、俺はメランにどう声をかけて良いのか迷っていた。
キャリーケースをそっと覗き込むと、メランは背を向けて小さく丸まっている。
俺は変わりゆく景色に視線を移し、ただ時が過ぎていくのを待つことにした。
時は既に遅かった。メランの言われるがままワンコ達が密集しているプレハブに侵入し、ゲージの間の足の幅ほどのスペースをたどり奥に行き着くと、そこはもぬけの殻だった。
頑丈な金網で作られた大型犬用の檻には、犬っ子1匹いなかったのだ。
メランはその光景を目の当たりにすると、言葉なく自らキャリーケースの中へ入っていった。
呼びかけても返事をすることはなく、現在と同じように身を丸めて大人しくなってしまった。
俺はそれで全てを理解し、メランが入ったキャリーケースを片手に速やかに繁殖場を後にした。
やりきれない気持ちでいっぱいだった。
もっと俺が早くメランと会話できるようになっていたら、狼の命が救えたかもしれない。
そもそも、もっと俺が世の中を勉強していたら、それ以前に救えた命だったかもしれない。
とても悔しくて、不甲斐なくて、メランを守るだなんて言った自分を笑いたくなった。
半ば放心状態で家に着いた頃には夜も遅く、玄関のドアを開けると憤怒した母さんが俺たちを迎え入れてくれた。言っても叱られたのは当然俺だけで、母さんはメランの無事を何よりも心配していた。
俺はメランが元気がない事を知っていたので、母さんにメランを見せることを躊躇ったが、メランはキャリーケースの中から、キャンキャンと可愛い声で鳴き始めた。
それを聞いた母さんはキャリーケースを俺から奪い取り、メランを出して大層可愛がった。
尻尾を振り、母さんにぺろぺろの嵐を浴びせるメランは、普段となんの変わりはなかった。
あんな傷心的な出来事があって、食事も喉を通らないかと思いきや、メランはパクパクと普通にご飯も食べた。いつも通りの食後のご褒美タイムも難なく芸をこなし、いつもの可愛さと元気に満ち溢れていた。
だが、その日メランが喋ることはもうなかった。
心配で堪らなくなり、メランと呼んでみるが愛くるしい顔でプリッと振りむき首を傾げるだけだった。
まさかと思い、焦るようにメランを呼び続けたが、メランは変わらず首を傾げるだけで、俺は愕然した。
まさか、本当に全部俺の妄想だったのではないだろうか。切り捨てたはずの選択肢が蘇り、頭の中はもうぐちゃぐちゃだった。
次の日の朝。
俺は相変わらず朝のぐずぐずで起きられずにいた。
「もう、お兄ちゃんたらまたずる休みしたいのかしら。メランちゃん、起こしてきて」
母さんに言われて、メランのチャカチャカという階段を上がる音が聞こえてくる。
そしていつものように、メランが俺の部屋のドアを器用に鼻で開け、ベッドに飛び乗ってきた。
布団の隙間から潜り込み、俺の首元にたどり着き鼻を近づけたとき、俺は目を覚ました。
バッと直立に起き上がり、ちょこんと座るメランを見やった。
「今日はアサダチしてないな、よしよし」
俺は思わずメランを抱きしめた。
「離せ、耳たぶを引きちぎるぞ」
「メラン!!もう大丈夫なのか!?」
「大丈夫だ。お前なんかに心配される筋合いはない」
あんなにショックを受けていた憎まれ口も、今は嬉しくてしょうがない。
昨日の経験を経て、俺にはどうしてもメランに伝えたいことがあった。
会うことは叶わなかったが、あの狼にも感謝の気持ちを込めて、今、どうしても伝えたかったのだ。
「メラン、大好きだ。俺たちの家に来てくれてありがとう」
「寝言は寝て言え。早くしないとママに怒られるぞ」
そして、メランは俺の肩に顎をちょこんと乗せて「オニイチャン」とボソリと呟いた。
明らかな棒読みだったが、俺は嬉しくてメランにスリスリと頬を擦り付けた。
メランポジウム。君は、大事な俺のお姫様だ。
メランポジウムなトイプードル Oniwalanshu @oniwalanshu
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