陰キャ(影の者)の俺が女の子にモテモテになって困る話(原題:孤独の忍者)

春海水亭

女子高生どころかOLも俺に夢中って、どうなっちゃうの!?

影丸かげまるは声を抑え、静かに息を吐いた。

冷え切った夜の空気に、吐いた息が白く凍りつく。

季節は冬、本来ならば見えていたであろう夜の星々は、都会の光に殺されている。

路地裏、すえた臭いが鼻を突く。誰が捨てたのか、生ゴミの詰まった袋だ。

影丸はちらりと、それに目をやると躊躇なく袋の結び目を解いた。

野菜くずや変色した肉、あるいはティッシュやパッケージ、

潜るようにごみ袋を掘り進めていく内に、影丸は目当てのものを見つける。

開封されていないレトルトカレーだ、消費期限は過ぎているが生ゴミよりは良い。


本来ならば温めるべきであろうレトルトのパウチを開き、

影丸はそのまま腹の中に流し込む。

第一に気をつけなければならないことは舌に触れさせないこと、

次に喉を素通りさせて食物を胃袋に貯めることだけを意識すること。


カレーの味を感じずに、僅かに腹が膨れたことを影丸は感じた。

少なくとも影丸にも生ゴミを食べたくない程度の忌避感は存在する。


「すん、すん、すん……」

鼻を鳴らす僅かな音を、影丸は表通りから聞いた。

真っ当な人間であるのならば、誰も覗くことはない路地裏である。

だが、影丸は相手が真っ当でないことを知っていたし、実際真っ当ではなかった。

「見つけたぁ……♡」

甘ったるい女の声を影丸は聞いた。

褐色肌の女子高生三人が路地裏を覗いている。

念の為に、懐の中にある金属の感触は影丸を確認した。

殺すつもりはない、死体はさらに人を呼び込む。

だが、路地裏ならば死体の発見は遅れる。

現実世界においては瞬きするほどの時間も無かっただろう、

だが、影丸は己の精神世界において思考を終え、行動を既に終えていた。


「あれぇー……いないねぇ、影丸くん」

「おっかしいなぁ……どこ行ったんだろ?」

「ま、しょうがないよ。他さがそ、他」

路地裏に入り込んだ三人の女子高生は、

それこそごみ袋の中まで漁って影丸の姿を探して、影丸がいないと結論づけた。

路地裏の奥は行き止まりである。

どこにも行けぬ以上は最初からいなかったと判断することが正しい。


「ハァ……ハァ……ハァ……」

だが、実際のところ、影丸は奥に進むことは出来なくても上に行くことは出来た。

壁を伝うパイプを用いて、ビルの屋上へと登っていったのである。

荒げた息を影丸は少しずつ落ち着かせていく。

呼吸法――ひらがなよりも先に影丸が習ったことはそれであった。

だが、息を落ち着かせるよりも早く、目の前には敵の姿があった。


「こんばんは、影丸くん……♡良い夜ね♡」

「お姉さんと遊ぼっか♡」


スーツを纏ったオフィスレディが二人、

偶然か必然か、屋上に待ち構えていたのである。


体格で言うならば、影丸の身長は150cm。

17歳にして、その体躯は同年代の平均を大幅に下回る。

それに対し、オフィスレディ二人は目測から165cm程度に見える。

体格で言うならば、圧倒的に影丸の不利であった。


「はッ!はッ!」

刹那、影丸が懐から何かを取り出し、彼女たちに投げた。

夜の闇が味方していなかったとしても、

その俊敏極めし動きは、文字通り目に留まらぬものだったであろう。


「ぎゃ……っ」

「が……っ」

悲鳴を上げた二人のオフィスレディは、

自身の胸に突き刺さったものに気づくよりも先に気を失った。

十字めいた金属片――手裏剣である。

超速回転させた手裏剣を心臓の先端に命中させることで、

強制的に人間の意識を落とす――如何なる医学論文にも載らぬ、忍者の技である。


影丸は命中した手裏剣二枚を慎重に引き抜く。

オフィスレディのたわわな胸が揺れる。

血は付着していない。

僅かな汚れですら、己の技に影響する。

補給が困難な以上、手裏剣が汚れる技は使いたくない。


影丸に命を奪うことに対する躊躇はない。

しかし、最善の方法として不殺のそれがもっとも相応しかった。



薄々気づいていた方もおられるだろう、影丸は忍者だ。

普段は高校2年生として、忍美内名しのびねーな高校に通っていた。

と言っても、忍者であることのカモフラージュのためである。

友達は作らず、部活にも入らず、休み時間は寝て過ごすような生活を送っていた。

だが、影丸がその鋭敏なる聴力で聞いた陰口が彼の運命を変えたのである。


「あいつ、陰キャだな」


陰キャ――その言葉が忍者を表していることを詳細に説明する必要はないだろう。

歴史の影に潜む者――影の者――すなわち陰キャである。

完璧なる偽装で高校生活を過ごしていた影丸もこれには驚いた。

正体が公になった忍者に待ち受ける未来は唯一つ、死である。

これは忍者憲法の第一条によって定められており、

始まりの忍者が誕生した2021年前(西暦2021年時点)から、普遍の掟である。


その運命から逃れるためには、

陰口の主である、同級生の火三津ひみつ 薔薇死太郎ばらしたろう及び、

会話の相手である輪流位わるい 陽伽 《ようきゃ》を抹殺する他にない。

当時の影丸がポケットの中の手裏剣に手をやった、その時である。


「けどクラスメイトを陰キャ呼ばわりする、その心こそが陰キャなんじゃないか?」

「一理ある」

「つまり本当の陰キャはお前ってことだなぁ!あはは!」

「そういうことになっちまうな!」


影丸の混乱は余計に深まった。

先程まで影丸が忍者扱いをされていたかと思えば、

今忍者扱いされているのは薔薇死太郎である。

しかも、薔薇死太郎は正体を明かされているというのに、

自殺、あるいは陽伽を抹殺する素振りが見えない。


「薔薇死太郎……陽伽……奴らもまた、忍者か」

忍者同士で正体を明かすことは、

褒められたことではないが、忍法(忍者憲法)には違反しない。

つまり、この会話は忍者同士の高度な情報のやり取りなのだろう。

だが、その割にはあまりにも隠そうという意図が無い。

尻尾を見せぬ己を誘うための罠――影丸はすぐに答えに思い至った。

そのような技術は忍法(忍者が用いる恐るべき技法)にもある。


危ういところであった――影丸は胸を撫で下ろす。

迂闊に襲いかかれば、それこそ敵忍者たちの餌食であっただろう。

単純に殺すだけならば正体を公のものにすれば良い。

だが、そうしないということは現状は正体を掴みあぐねており、

撒き餌をバラ撒いている、ということになる。

何故ならば証拠が無いのに人を陰キャ(忍者)呼ばわりすることは、

忍法(忍者憲法)に違反しているからだ。

気をつけろよ。


「アイツも顔だけは良いんだから、勿体ないよなー」

「ちょっと明るくなって、ちょっと人付き合い良くすりゃ陰キャ卒業っぽいもんな」

「ちょっと頑張るだけでいいのになー」


影丸にその日二度目の衝撃が走った。

ちょっと明るくなって、ちょっと人付き合いを良くする。

ちょっと頑張るだけでいい。

それが奴らからのマーキングを外す方法。


その瞬間、影丸は自身の長髪を切り落とし、明るく挨拶をし、

部活動に参加し、時には誘われるままにアイドルに応募した。


忍者としての超人的な能力が災いし、彼は日本中からモテた。

今も尚、日本中の女性や男性が彼を虜にせんと狙っている。

社会は彼を中心に動き始め、一日の労働時間は1時間となり、

過半数が本来ならば労働をしていたであろう時間を彼の捕獲に充てた。


「クソッ……ちょっと頑張りすぎた!!!」

忍者である彼は、限界を超える努力以外の努力を知らなかった。

一度頑張り始めれば、とどまるところを知らない努力をしてしまう。

それこそが忍者としての彼の弱点であった。


忍者の里との連絡も取れぬ、買い物もろくにできぬ。

故に彼は逃亡者のような生活を送っているのである。



ビル群の屋上を飛び移り、そのうちに民家の屋根へ飛び移っていく、

影丸は今夜の寝床を探していた。

忍者と言えど眠らずに自身の能力を十全に発揮できる限界は80時間である。

そこから徐々に眠気に襲われ、それでも48時間眠らずにいれば死に至る。

廃墟よりは、むしろ己を捕獲するために留守の民家のほうが見つかりづらい。

と言ってもそれを外側から観察するだけで発見するのは難しいし、

そのような家を入念に調査する時間もない。

結局最後には忍者の勘に頼ることになる。

そして、本来ならば入念の調査をこそ本領とする忍者と勘の相性は悪い。


明かりは付いていない、住民が寝ているだけか、あるいは外出中か。

影丸は祈るように、特殊な解錠法によって2階建ての民家の窓を開いた。


畳敷きの無骨な部屋である。

机と箪笥だけがあり、それ以外の家具はない。

中央に布団が敷かれていて、その部屋の主が眠っている。


(外れか)


人間がいる以上、安全のためにこの部屋で休息を取ることは出来ない。

影丸がすぐに立ち去ろうとした、その時である。


「誰だ貴様!」

バネ仕掛けの玩具のように、布団で寝ていたはずの主が起き上がった。

その服装はパジャマ――ではない、一般的な忍者装束である。

影丸は目を見開く、忍者装束ではない。

その顔に見覚えがあったからである。


「陽伽!」

「おっと……誰かと思えば影丸か!」

見間違えるはずがない、その忍者は己を頑張りに至らせた陽伽であった。

忍者である影丸がそう判断した以上、

勝手な思い込みなどではなかった、陽伽は本当に忍者であったのだ。

影丸は瞬間、スライディングで部屋の中に滑り込んだ。

その選択は正解だった。

影丸が先程までいた位置を、

複数枚の手裏剣が夜の闇を切り裂きながら通り抜けていただからである。


「死ねェーッ!」

「クク……焦るな影丸!」

瞬間、影丸と陽伽は手四つの姿勢でガッツリと組み合っていた。

力の主導権を握ったほうが、そのまま命の主導権を握ることは言うまでもない。


「死ねェーッ!」

「影丸、貴様は己の作戦にハマったのよ……」

「死ねェーッ!」

「もうちょい会話の妙を楽しめ影丸。

 貴様が忍者である証拠はなかった……そこで貴様を頑張らせることで、

 日本中に貴様を抹殺させることにしたのだ……」

「死ねェーッ!」

「語彙力が急激に下がったのか、国語の教科書貸そうか?」

「死ねェーッ!」

「あっ……」


陽伽は会話によって主導権を握るつもりであった。

しかし、影丸はひたすら殺意によって応じた。

その差がはっきりと現れた。

会話に神経を傾けた分、陽伽の集中力は影丸に劣った。

そのことで、影丸の力が上回り、陽伽はマウントポジションを取られたのである。


「ま、待て……本当の悪は俺じゃない、薔薇死太郎……やつこそが本当の悪の忍者」

「聞く耳持たんが!もっかい言え!」

「ま、待て……本当の悪は俺じゃない、薔薇死太郎……やつこそが本当の悪の忍者」

「わかった、死ねェーッ!」

「グエーッ!」

その言葉だけ聞ければ結構、そう言わんばかりに、

影丸は手に持った手裏剣で陽伽を刺殺した。

恐るべき戦いであった、

もしも会話に応じていれば手裏剣で刺殺されていたのは自分であっただろう。

影丸はそうひとりごちると、

スマートフォンで録音した陽伽の遺言を各種SNSにアップした。

「薔薇死太郎……やつこそが本当の悪の忍者」

正体が公になった薔薇死太郎は忍法(忍者の憲法)に基づき自殺する他にない。


「これでようやく眠れる……ん!?」

だが、影丸にも誤算があった。

自身の公式アカウントから遺言をアップロードしたがために、

現在の自分の位置が丸わかりになっていたのである。


「やれやれ……今夜も眠れそうにないな」


日本中の自身を愛する人間がすぐに来るだろう。

精神を落ち着かせるように、影丸は手裏剣を握った。

冷たい金属の感覚だけが、陰キャ(影の者)に信頼できる唯一のものである。

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