コーヒーがこない

白川津 中々

 こんな日がいつかくるとは思っていましたけれど、それが今日だなんてどうして予想ができましょうか。


 明美は一言、「ごめんなさい」と言ってからシクシクと泣き始めました。彼女と過ごすようになってからよく目にするようになった光景ですが、これほど印象深く胸に刻まれたのは初めてかもしれません。いや、むしろ、今日初めて、彼女を真剣に見たのだと思います。いずれにせよ、私は明美をずっと悲しませていた事に変わりなく、どうしようもない罪悪感が生まれたのでした。


「泣かないでおくれ。すまない。僕はどうしていいのか分からないんだ」


 返事はありません。明美はずっと、泣いてばかりです。女給は見て見ぬふりをしてくれていましたが、周りの客はこちらの様子をうかがってはヒソヒソと話を始め、大変惨めな思いがしました。私も明美のように落涙し項垂れる事が許されるならばどれだけ気が楽か知れません。


「すまないね。ごめんよ」


 私はそう繰り返す他なく、明美もまた、泣くばかりでした。注文したコーヒーは未だ届きません。私と彼女の間には何もなく、悲しいほどの空虚が占めています。立ち去るべきなのか、抱きしめるべきなのか、それとも罵倒でもすればいいのかちっとも分からない私は謝り止まると、黙って涙を落とす明美を眺めるばかりで、居た堪れなく、苦しく、そして、暇を持て余しました。私にもう少し気障な部分があれば、きっと彼女を喜ばせる事もできたでしょう。しかし、そうではなかったのです。


 そうでは、なかったのです。


 明美はまだ泣いています。私も、まだ黙っています。コーヒーは、未だきません。

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