第5話 そして再会へ(後編)

 アクトゥールとティレン湖道との境目。

 そこには、人間の何倍もあるような巨大な魔物の姿があった。烈火の如き赤い鱗を持ち、口から出る炎であらゆる敵を焦がし尽くす魔炎の竜――エルダードラゴン。


 その怒りに満ちた眼で見つめる先には、身がすくみ動けない人々がいた。


「な、なんでここにこんな魔物が……!?」


 腰を抜かした男が、声を上げる。


『グオオオオオオオオオオオッ――!』


「ひっ、ひぃぃ……!」


 それを見てエルダードラゴンが咆哮をあげ、口を開く。

 エルダードラゴンの赤い口から、さらに赤い赤い炎が現れる。

 それはまたたく間に荒れ狂う火球となり、男へと降り注ぐ――。


「あぶないッ!」


 飛び出してきたアルドがその火球を切り払い、男を守った。


「お、おぉ……! 助かった!」 


「怪我はないか?」


「俺は、大丈夫。だけど、あのおばあさんが――」


 男が指差す先には、老婆の姿が。

 その距離は、ドラゴンの目と鼻の先といった感じであり一刻の猶予もない。しかしながら、老婆は腰を抜かしているのか、そこから一歩も動く気配はない。


『グオオオオオオオッ――!』


 再び、エルダードラゴンの口元に炎が集まる。

 まずいと、アルドが走り出すが、少し遠い。


「くそっ、間に合うか――!?」


  その時、アルドの視界を何かが通り抜けた。


「ソニアッ!」


 巨大な火球に立ちふさがるローブの男。


「がっ、ぐおぉぉぉおおおッ――!」


 エルダードラゴンの火球を真っ向から食らい、激しく燃え盛るローブの男。強力な炎は、身にまとうローブをいとも簡単に燃やし尽くす。


 やがて、燃え落ちたローブから出てきたのは――。


「ゾ、ゾンビ……!?」


 老婆が驚く。

 それは、見るもおぞましき異形なる亡者ゾンビ。それがなぜか――老婆の盾になっている。


「ま、間に合ったか……!」


 絞り出すようにゾンビが言う。正面から炎を受けきったシーズの体からは、黒々と煙が上がっていた。


『グルルゥッ!』


 エルダードラゴンの巨大な爪がゾンビに振り下ろされる。


「ぐあああっ――!」


 その爪は、ゾンビの朽ちた体をえぐり、確実に致命傷を与えるが――ゾンビは倒れない。依然とエルダードラゴンに立ちふさがり、老婆を守っている。


 それどころか、剣を構え――。


「ソニアには、その爪一本たりとて、触れさせはしない!」


 ゾンビの全力の剣撃が、エルダードラゴンに飛ぶ。


『グオオッ!?』


 その一撃が、エルダードラゴンへと突き刺さり、エルダードラゴンが大きく後退する。

 

「無茶し過ぎだ、シーズ! 身体が……!」


「なに、私とて、旅の剣士。この程度のこと、なんてことはないさ……!」


 煙を上げながら立ち尽くすシーズ。

 老婆が、はっと息を呑んだ。


「あなた、まさか――ユリシーズ!?」


 老婆の驚きとも悲鳴ともつかない叫びが響く。

 その声に、ユリシーズは答えなかった。


「……アルドさん、今のうちに、魔物を!」


「あっ、あぁ!」


 シーズの声に後押しされ、エルダードラゴンへと迫るアルド。

 

『グググ……ッ! オオオォォン! グオオオオオッ――!』


 怒り狂うエルダードラゴンが、アルドを視界に捉える。

 地獄の窯を思わせる赤い口から、赤々とした火球が何度も放たれる。


「――はぁッ!」


 アルドが剣を振るう。

 迫りくる火球を一つ、また一つと断ち切っていき、確実にエルダードラゴンへと肉薄していく。

 エルダードラゴンの炎を受けた刀身が、熱を帯びて赤くなっていた。


(そう何度もは受け止められない――! 懐に入り込んで一気に勝負を決める!)


 剣の柄を強く握りしめ、エルダードラゴンへと飛びかかる。

 そのまま、剣を振り抜く。


『グォッ! ガオオオオオオッ!?』


 アルドの剣が、エルダードラゴンの鱗を切り裂く。

 エルダードラゴンの血が辺りに飛び散っていくと、じゅうじゅうという音が響いた。魔炎の怪物と言われるその血液は、マグマのごとく熱を帯びている。

 血が散るだけで辺りは、蒸し風呂のようにゆだっていく。

 

(手応えはあるけど――)


『ウオオオオオオオッ!』


 エルダードラゴンの巨大な爪が、アルドに向かって振るわれる。


「くっ!」


 ガギィ――!


 甲高い金属音が響く。

 その音はまるで刀剣のぶつかり合いを彷彿とさせる。


(くっ、なんて生命力だ……!)


 コリンダのヨルザヴェルグ達とは比べ物にならない。

 長い月日を得て成長したエルダードラゴンはやはり通常の魔物とは格が違う。


『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』


 怒髪天に達したエルダードラゴンが巨大な咆哮を上げる。

 地獄の窯を思わせるような赤い口に、より凶悪な熱気が集まっていく。その熱量は今までの比ではない。


 後ろには、シーズたちがいる。

 その一撃を許すわけには行かない。


「――これ以上、誰も傷つけせない」


 アルドの目に強い怒りが宿る。

 腰に佩いた大剣の柄に手をかけられていた。


 魔剣オーガベイン、時を操る呪われし剣。かつて滅ぼされたオーガ族の憎しみの化身である。

 オーガベインが、邪悪な声をあげる。


 ――その怒り、実に心地よい。良かろう、使えッ! 我が呪われた力をッ!


「アナザーフォース――!」


 魔剣オーガベインを抜き払うと、周囲の時間が凍りつく。

 アナザーフォース。それは、ありとあらゆるものの時を止める禁じ手。


 数十秒に足らない、その時間。

 しかし、その数十秒でエルダードラゴンを仕留める。アルドならば、それができる。


 オーガベインを強く握りしめ、構える。


 ――ふははは! 命を散らせェ! 


「はああああああっ――!」


 アルドが、オーガベインを一気に振り抜く。

 オーガベインは、空間を斬り裂きながら、エルダードラゴンの身体を叩き斬る。斬り裂かれた空間から膨大な力が氾濫し、あたり一面がまばゆい光に包まれる。


 裂けた空間が悲鳴を上げ、荒れ狂う力が全てを光の渦の中へと消し去っていく。

 やがて、全てが白く染められたかと思うと――。


 時が動き出した。



 ――ティレン湖道前。

 そこにもう、エルダードラゴンの姿はない。

 しばし、沈黙があった後に。


「ユリシーズ!」


「……ケガはないか? ソニア」


 ぐったりと横たわるゾンビが、老婆に声をかける。


「えぇ……。あなたのおかげで」


 老婆が、ゾンビの手を握るが、もはやその手は今にも崩れてしまいそうだった。


「シーズ……! 大丈夫か!?」


 アルドが駆けつけ、ゾンビの顔を覗き込んだ。

 しかし、シーズはアルドの言葉には答えない。


「それよりアルドさん……魔物は?」


「大丈夫、俺が倒したよ」


「そうか……良かった。やはり、アルドさんは……お強い……」


 ゾンビがかすれた声で安堵する。

 アルドが、ゾンビの手を握っている老婆を見た。


「……あんたが、ソニアさん?」


「えぇ。私がソニアです」


 老婆――ソニアが、答えた。


(そうか……ソニアは、お婆さんだったのか)


 考えてみれば、死んでからどれほど経っていたのか尋ねたことはなかった。

 歳を重ね、その髪は真っ白になっている。“赤髪の少女”を探しても見つからないはずだった。


「それより、このゾンビは?」


「そのゾンビは――いや、その人はずっと、あんたのことを探してたんだ」


「私を、ずっと……?」


「あぁ」


 アルドがソニアに頷いてみせる。

 それから、シーズを見て。


「でも、どうして……この人が、ソニアさんだとわかったんだ?」


「先ほど、この街で見かけた時――、ソニアはユリシーズと口にしたんです」


「ユリシーズって……?」


 アルドが首をかしげる。


「ユリシーズは――私の本名です。私は、基本的にシーズとしか名乗りません。

ユリシーズという名前を知っているのは、一握りだけです」


「そうだったのか……」


 ゾンビ――ユリシーズの手が、おずおずと、老婆の頬にふれる。

 パラパラと、ユリシーズの手から灰が落ちていく。


「ふふ……君は、変わらず美しい」


「……何を言ってるの。こんなしわくちゃのおばあさんになってしまったのに」


 ソニアの言葉に、ユリシーズはゆっくりと首を横に振る。


「いや、君は美しい……。どれほど時が経とうとあの時のまま変わらない」


 穏やかな声色で、ユリシーズが言う。

 やがて、震えながらユリシーズが崩れかかった自分の懐に手を入れ、何かを取り出した。


「……これを。ずっと、君に渡したかった」


「これは……栞?」


「本を読む君の日常に――。一つ、彩りを、と」


 ソニアに栞を渡した……と思うと、ユリシーズの腕は役目を終えたように崩れ落ちた。

 

「私が好きだった柄の……」


「お気に召した、かな? こうしていると……初めて出逢った時を思い出す……。あの時も私は、こうして倒れていた」


 ユリシーズがポツリポツリと語る。


「死を待つばかりだった私に……君は手を差し伸べてくれた……。あれは……忘れない。あれだけは……忘れない」


「私も、忘れたことはありません。……コリンダの原に行けば、またあなたが倒れているような気がして。何度も……向かいました」


「そうか……。

あの時の君は――空に浮かぶ星のように、闇にあった私を、照らしてくれた」


 ユリシーズが空を仰ぐ。

 その眼窩にはなにもない。ただ闇が広がっているだけだ。


「アルドさん……ありがとう。私の願いはここに果たされました。君が、いなければここには至れなかったでしょう」


「いや……俺は何も。こうして出会えたのは、ユリシーズのソニアさんに会いたい気持ちがあったからだよ」


「ふふ……。巡り会えたのが、アルドさんで良かった。あぁ、運命は星の降るごとく。尊き出会いほど、瞬く星のように。

 可能なら、もっと愛しい君の側に――」


 強い風が吹き、ユリシーズだったものは、灰となって空を舞う。

 残されたのは、アルドと栞を胸元で握りしめるソニアだけ。


「ありがとう、アルドさん。騒々しかったでしょう? あの人」


 ソニアが小さく笑う。


「……そうだな、ちょっとだけ。でも、一緒にいて、楽しい人だったよ」


「えぇ……あの人といると騒々しいけれど、楽しいんです。……私も、楽しかった」


 ソニアが、どこかを遠いところを見る。

 その先には――ユリシーズとソニアの、出会いの場所。コリンダの原。


 ソニアが、目を閉じると――聞こえてくる。


――これで、大丈夫なはず……! 痛くはないですか?


――あ、あぁ……大丈、夫。


――良かった


――キレイだ……。


――え? あぁ……今日は空が晴れていて、星がとても奇麗ですね。


――ち、違う! いや……奇麗、たしかに奇麗、かな。あぁ、星が、奇麗だ。


――えぇ……。ふふっ、おかしな人。


 遠い日のやりとり。

 ソニアが懐から本を取り出し、栞を挟む。


「いつも突然、行ってしまう。たくさん、たくさん……話したいこともあったのに」


 そして、愛おしむように――栞に触れた。






『……では、ソニア。コリンダの原で愛の語らいでもいかがでしょう?』







「え!?」


「え……いまのって!?」


 どこからか聞こえてくるユリシーズの声。


「この、栞……?」


 ソニアが栞を取り出す。


『えぇ、そうです! 今私は栞から皆さんに話しかけております!』


 ソニアの手元の栞から声が聞こえる。


「ど、どういうことなんだ……?」


『この栞が、今の私の全て。ソニアへの思いそのもの。――おそらく、それが言葉どおりだったのではないかと』


「つまり、栞が本体で……ゾンビ部分は」


『私が操っていただけのただの死体ということでしょうな。私も自覚はなかったのですが』


「……なんというか、愛の奇跡というしかないな」


 苦笑いするアルド。殺しても死なないというのは、こういうのを言うのだろうか。

 

「……ユリシーズ」


『ソニア、これまで一緒にいられなかった分。これから、ずっと一緒に』


「……私も、そう長くはありません。それでも、本当に私で良いのですか?」


 ソニアが、ユリシーズに尋ねた。


『――えぇ、もちろん。死が私達を分かつまで』


 ユリシーズの言葉に、ソニアが微笑む。

 先ほどまで曇っていた表情は、もうすっかり晴れやかなものとなっていた。


(色々あったけど――それでも、最後には二人が幸せになる結果で良かった)


 アルドも、ソニアの表情を見て、微笑む。

 紆余曲折あったユリシーズの恋人探しも、こうしてやっと終わったと言えるだろう。


 これで、一件落着かな。アルドがそう思った時のことだった。










「ところで……コリンダの原で私の弟子がゾンビにナンパされた、という話を聞いたのだけど」





 不意にソニアが言う。


「……えっ?」


 虚を突かれたユリシーズが素っ頓狂な声を上げる。


「あっ……」


 こういう時のアルドは、非常に反応が素直である。

 もっとも、わざわざソニアもそれを察するまでもないようだった。


「ち、違う! 違うのです! それは、あー、あー。み、見ていただきたい! この私のきれいな模様を! この模様がウソを言ってるように見えますか!」


「模様が泳いでますよ。色々と話をしましょう? まずは、それについてから――」


 そう言って、ソニアは栞を撫でながらアクトゥールへと戻っていく。

 先ほどと変らない微笑みをたたえながら。ただし、その目は笑ってはいないのだが。


「ア、アルドさぁーん! た、助けてぇえええ!」


「……さすがに、あれは俺もどうにもできないな」


 あればっかりは、身から出た錆だとアルドは、叫びを上げるユリシーズを黙って見送る。

 何気なく見上げたアクトゥールの空は、雲ひとつない晴れやかな青空だった。





 こうして、一つの物語が幕を閉じる。


 ラトルの村で出会った、おかしなゾンビことユリシーズは、想い人ソニアとの約束を果たすことができた。

 止まっていた二人の時間は動き出し、これからはささやかな――しかし、何より大切な時間を共に過ごすのだろう。


 対して、アルドの旅は続く。

 時空を超え、数多の出逢いを重ねながら、彼は走り続ける。 

 出会うこともなかった人。聞くはずもなかった物語。触れることもなかった手。


 それらを、胸に刻みながら。

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ゾンビの恋人探し 月雲十夜 @Asterisk02

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