第4話

4−1


 モンスターを倒したアルドが、倒れているエルダの元へ駆けつける。

「おい!大丈夫かーー」

 エルダに声をかけようとしたアルドだったが、エルダの状態を見たら言葉を飲み込むしかなかった。当然アルドに医学の知識などない。それでも、左手が踏み潰されている人間が、大丈夫なはずがないことくらいわかる。

「とりあえず、教会へ行こう!」

 アルドがエルダを抱き抱えようとすると、エルダは声にならない悲鳴をあげて苦しんだ。

 その様子を見て、アルドは完全に混乱してしまった。

 どうするのが一番いいのか。

 無理にでも教会に連れていくべきか、それともセシムをここへ呼んできた方がいいのか。

 一瞬の判断ができず、アルドは身体が固まってしまった。

 そこに、森の奥から人の足音が聞こえてきた。

「セシム!」

 アルドがモンスターと戦っていた時の音を聞きつけてくれたのだろう、ちょうど良いタイミングでセシムが現れてくれた。

 セシムはエルダの状態を確認すると、すぐにアルドに指示を出した。

「止血をする。少しだけエルダの上半身を起こしてくれ」

「わかった」

 アルドは言われた通り、エルダの頭を後ろから支えるようにして、少しだけ体を持ち上げた。

「少しだけ我慢してくれ、エルダ」

 うめき声をあげるエルダにそう言うと、セシムはカバンからナイフを取り出して、エルダの服の左腕部分を切り裂いた。その布を使って、二の腕あたりを縛って止血をする。

 そして、さらにカバンから注射器と小瓶を取り出し、それをエルダの肩に注射する。

「これで少しは痛みがマシになったはずだ。エルダを教会まで運んでくれ」

 アルドは再びエルダを抱き抱えた。それでも苦しそうに顔を歪めていたが、さっきよりは落ち着いていた。

 アルドとセシムは、急いでエルダを教会へ運び込んだ。

「地下室のベッドに運んでくれ」

 アルドがエルダをベッドに寝かせている間に、セシムは部屋中のランプに灯をつけていった。部屋が明るくなるにつれ、エルダの右腕の状態がはっきりと見えてきた。

 左手から肘のあたりまでが完全に潰れていて、かろうじて原型を残しているような状態だった。思わず目を背けてしまいそうになる。

 セシムはそれでも、しっかりと患部を観察する。むせ返るような血の臭いにも関わらず、顔を近づけて目を逸らさない。

 どこまでも冷静に行動しているセシムを見ていると、アルドはその無表情に頼もしさを覚えた。

「セシム、何か俺に手伝えることはないか?」

 アルドだってエルダを助けたい気持ちは一緒だ。

 何でもいい。一人よりも二人の方ができることは多いはずだ。

 そんなアルドの思いとは裏腹に、セシムは一言だけ呟いた。

「無理だ」

「……そうか」

 確かに、素人が何かできる状況ではないのかもしれない。それでもと言う気持ちはあるが、セシムの邪魔をするわけにはいかない。

 そんなアルドの考えを読み取ったのか、セシムはアルドに首を振って答えた。

「違う。そう言うことじゃないんだ」

 アルドはセシムが何を言いたいのかわからず、立ち尽くしてしまった。

 セシムはエルダの顔を覗き込んで、彼女の意識を確認した。

「エルダ、聞こえるか?」

 その問いに、エルダはわずかに頷いて答えた。力はないけれど、なんとか意識はあるようだ。

 それを確かめたセシムは、エルダにはっきりとこう伝えた。

「エルダ。この怪我は助からない。君は死ぬ」

「セシム!」

 予想していなかったセシムの言葉に、アルドは思わず声を上げた。

「腕の傷が大き過ぎる。このまま縫合しても、体内に入った細菌が腕を腐らせる。やがて毒が身体中に回るだろう」

「そんな……。何か方法はないのか!」

 アルドの問いに、セシムは一つだけ答えを持っていた。それを、エルダに伝えなければいけない。

「命が助かる方法は一つだけだ。ーー左腕を切り落とすしかない」

 それがどんな意味を持つのか。言葉にしたセシム自身が一番よくわかっていた。

 教会の教えにおいて、どんな理由があるにせよ、体の一部を切り離すことは異端である。場合によっては、異端者として処刑されることもあり得る。

 あまりに残酷な二択に、アルドは言葉を失うしかなかった。

 信仰とともに死ぬか、異端となって生きるか。

 どちらを選んでも、そこには悲しい未来しかない。

 セシムはエルダの顔をじっと見つめ、その答えを待った。

 こんな状態のエルダに答えを出させるなんて、普通に考えて無理がある。しかし、これを他人が決めることもできない。

 答えを託されたエルダは、小さな声で、それでもはっきりとした言葉でセシムに伝えた。

「切って……お願い」

 エルダは、そう言って少し笑った。

「それがどう言う意味か、本当にわかっているんだな?」

 答えを出したエルダよりも、セシムの方が迷っているようだった。

 エルダは右手を伸ばして、セシムの顔にそっと触れた。まるで怯えた子供を安心させる、母親のように。

「大丈夫。私が信じているのは、神様じゃなくてあなただから」

 セシムはエルダの右手の上にそっと自分の左手を乗せて、一度だけ頷いた。

「手術の準備をする。手伝ってくれ」

 セシムはそう言うと、アルドの方へ向き直った。

「わかった。何でも言ってくれ」

 顔を合わせたセシムの瞳には、迷いなど一片も残っていなかった。

 セシムとエルダが覚悟を決めたのなら、アルドはただそれを手助けするだけだ。

 今から三人は、長く苦しい夜をともに超えて行かなければならないのだから。



4−2


「そろそろ夜が明ける頃かな」

 アルドがぽつりと呟いた。

「ああ、そうだな」

 セシムがその呟きに頷いた。

 エルダはまだ眠っている。彼女の右手からは赤い管が伸びていて、それはセシムの左手に繋がっていた。

 セシムは輸血をしながら手術を行った。エルダが出血多量になってしまっては、元も子もない。それでも、自分の血を抜きながら手術をするなど、驚異的な精神力と言わざるを得なかった。

 アルドは自分が代わりになると申し出たが、輸血には相性があるからと断られた。アルドが手伝えたことは、ランプでセシムの手元を照らし続けることだけだった。それが重要な仕事だとわかっていても、何とももどかしい時間だった。

 アルドとセシムは、二人とも頭からマスクを被って手術を行った。これは当然、麻酔の臭いを吸い込まないようにするためだ。二人が眠ってしまっては、誰もエルダを助けられない。

 しかし、このマスクがまた呼吸しずらい。緊張で呼吸が荒くなっていただろうが、アルドにとって高い山上にいるようだった。

 そんな状況でも、セシムの手は滑らかに動いていた。眠っているエルダの左腕を、どこをどう切ればいいのか、完全に理解していた。

 迷いのない手つきで、エルダの左手を切断。そして、縫合を済ませていった。休むことなく止まることなく、セシムは動き続けた。

 全て、セシムのこれまでの研究があったからこそなんだろう。いや、セシムの前にはフーロー。その前、さらにその前の錬金術師たち。その誰かが欠けていたら、エルダは助からなかったかもしれない。

 この手術は、まさに積み上げてきたもの全ての結晶だった。

 奇跡ではなく、人の知識と技術でなしえた必然だ。

「なあ、セシム」

 そんなことを考えていると、アルドはどうしても口を開かずにいられなかった。きっとそれは、セシムを困らせることになるだろうと分かっていても。感情を吐き出さずにいられなかった。

「村の人たちには、もう一度話を聞いてもらうように約束してある。研究のことなんかをちゃんと説明すれば、セシムたちのことを分かってもらえるんじゃないか?」

 アルドは訴えるような目で、セシムを見つめた。それは祈りに近い感情だった。

 セシムはその気持ちをまっすぐに受け止めて、そして、ゆっくりと首を振るのだった。

「それは駄目だ。もしも、私たちのことを受け入れてしまったら、村全体が異端となってしまう。そんな秘密を抱えてしまっては、他の村との交易ができなくなる。そうすれば、いずれ村は朽ち果ててしまうだろう」

 セシムだったら、きっとそう言うだろう。それはアルドにも分かっていたことだ。それでも、何か口にせずにはいられなかった。せめて、彼らのためにできることはないだろうか。

「そんな顔をしないでくれ。君は何も悪くない」

 セシムはそう言ってくれたが、アルドは自分の無力さが悔しかった。これほど自分を不甲斐なく思ったことはない。

「エルダが目を覚ましたら、私たちはこの村から去るよ。君は村に戻って、みんなを安心させてほしい。みんなが怖がるものは、全部いなくなったと」

 アルドはこれ以上、何も言えなくなってしまった。口を開けば、それはセシムを困らせるだけになってしまうから。だから、アルドは頷くことしかできなかった。



4−3


 夜が明けてしまった。

 太陽が世界を照らし、人々が動き始める時間だ。

 おそらく、もうすぐ村人たちは、自分の目で事の結末を確認しに来るだろう。

 アルドはモンスターを倒すことができたのか。エルダは無事なのか。そして、本当にセシムがモンスターを呼び寄せたのか。

 アルドが話を聞いてくれるように約束をしたが、エルダの切られた左腕と、セシムの地下室を見られたら、何も話を聞いてもらえないだろう。

 だからもう、こうするしかないのだ。

 セシムは地下室に火をつけ、異端と思われそうなものは全て燃やしてしまった。

 焼け落ちた後の地下室からは、白骨が二人分見つかるようにしてある。それはもちろん、セシムが研究で使っていたものだ。

 村人たちはきっとエルダの死を悲しみ、セシムの死に安堵するだろう。

 結局、セシムとモンスターに繋がりがあるのか結論を出せなくなるが、セシムはそれでいいと言う。

 終わることが大事だと。

 もしも、セシムたちがどこかで生きていると知ってしまったら、村人たちはずっとそれに囚われてしまう。だから、セシムたちは彼らの中で死ななければいけないのだ。

 そうしないと、今回の件をずっと引きずって生きていくことになる。

 それは、セシムもエルダも望んでいない。

「じゃあ、私たちは行くよ。この煙を見れば、すぐに村の人たちがやって来てしまうだろうから」

「巻き込んでしまって、ごめんなさい。でも、ありがとう」

 二人はそう言うと、セシムがエルダの身体をしっかり支えて、ゆっくりと歩き出した。

 アルドはその背中を見ていると、不意にこんな言葉が口をついて出てきた。

「いつかーーいつか人間は、たくさんの薬を作って、たくさんの医者がいて、どんな病気や怪我も治せて、たくさんの命が救われる!そんな世界をつくることが出来るんだ!それは全部、あんたたちみたいな人が、研究を続けてくれたからだ!本当に、ありがとう!」

 こんなことを言っても、大した意味がないことくらいわかっている。それでも、アルドは何かを伝えずにいられなかった。

 セシムとエルダは立ち止まって、アルドの方へ振り向いた。

 相変わらず無表情のまま、そして無感情のまま、セシムは言った。

「君はまるで、本当に未来を見てきたように話すな」

 アルドは、きっとこれが自分にしか伝えられないことだと信じて、こう言葉を返した。

「だから言ったじゃないか!俺は未来を見てきたんだって!」

 そう言ってアルドは笑った。

 また、冗談は嫌いだと、そう言われるかもしれない。アルドはそう考えていたが、セシムの反応は思いがけないものだった。

 笑ったのだ。

 慣れない感情に戸惑いながら、少しだけ。

「ありがとう。冗談で笑ったのは初めてだ」

 セシムを知らない人から見れば、区別がつかない程度だったかもしれない。だが、確かに笑ってくれた。隣のエルダも、それを見て本当に嬉しそうに微笑んでいた。

「だから、冗談じゃないのに……」

 アルドは去っていく二人を見送りながら、そう呟いた。

 セシムとエルダは、太陽の光の中にその姿を消していった。

 その先はきっと未来に繋がっていると、アルドはそう信じている。

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信仰と異端 天馬 聖 @tenma-hijiri

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