第3話
3−1
もしも、アルドがモンスターを倒さなかったらどうなるだろう?
簡単なことだ。村人たちは次の冒険者を雇い、もう一度モンスター退治を依頼するだけだ。
そうなれば、村人たちは追い詰められた分だけセシムへの憎悪を募らせていく。たとえそれが筋違いであっても。
ここで問題を先送りにすることは、セシムを追い詰める結果しか生まない。それだけは出来ない。
日が暮れる頃に村に戻ったアルドを、村人たちが出迎えてくれた。
「ああ、お疲れ様でした。モンスター退治はどうなりましたか?」
アルドにそう声をかけた老人は、ここの村長でアルドにモンスター退治の依頼をした人物だ。
にこやかな笑顔を浮かべてくれているが、実情を知ってしまえば、彼らがどれだけ追い詰められているのかが分かる。
「いや、今日はモンスターを見つけることはできなかった」
「そうですか。ではまた明日よろしくお願いします」
それだけ話すと、村長は踵を返して立ち去ろうとした。
「あのーー」
アルドは思わずそれを引き留めたが、うまく次につながる言葉が出てこない。それでも、何か言わなければ。セシムと村人たち、両方が納得できる道を探さなければ。
「今日、森の中で教会を見つけたんだ。そこで神父のセシムにーー」
「その話と、私たちの依頼と何の関係があるのですか?」
アルドの話を村長が遮った。
さっきと変わらず、にこやかな笑顔を浮かべたままだったが、その言葉に含まれているのは明らかな拒絶だった。
「あなたへの依頼は『モンスターを退治すること』です。それ以外は何も頼んでおりません」
さらに有無を言わさない言葉が続く。
聞く耳を持たない。
会話をする気がない。
それが痛いほど伝わってきた。
「もう一度聞きますが、あなたは私たちの依頼を受けるのですか?どうなのですか?」
「オレは……セシムがモンスターと関わりがあるとは思えない」
「ですから、それはモンスターがいなくなった後に、彼と私たちで決めることです。あなたには関係ない」
確かにその通りだ。しかし、これだけ追い詰められている人たちが、セシムの研究を冷静に受け止めてくれるとは思い難い。
彼らだってセシムが憎い訳じゃないだろう。それは分かっている。しかし、セシムが異端者であると言う大義名分を得た彼らが、怒りの矛先をセシムに向けることはおかしな事じゃない。
だが、今アルドがそれを説明することはできない。セシムの研究がたとえ異端だったとしても、人々の未来に必要なものだと理解してもらえるのだろうか。
エルダがアルドに頼らざるを得なかったのは、こういう事だったのだ。村人たちの誰にも話を聞いてもらえず、冒険者でしかないアルドに助けを求めるしかなかった。
きっと、藁をも掴む思いだったに違いない。
その思いにどうすれば応えることができるのだろうか。アルドは答えを出せずに、唇を噛み締めるしかなかった。
そんなアルドを見て、村長はため息をついた。もうこれ以上は時間の無駄だと言わんばかりに。
「もう結構です。あなたにはーー」
村長の言葉を遮って、一人の男性が大声を出して駆け寄ってきた。
「村長!エルダがどこにもいない!もしかして一人で森の中へ!」
もしそれが本当なら、エルダが向かう先はセシムのところ以外にありえない。
すでに太陽は沈み、森の中は完全な暗闇だ。ランプでも持っていかなければ、とうてい前に進めるものではない。しかし、そんなことをすれば、モンスターに自分の居場所を知らせるようなもの。襲ってくれと言っているに等しい。
「村長さん。オレは依頼を引き受ける。必ずモンスターを倒して、エルダを連れて帰る。だからお願いだ。俺の話を、もう一度ちゃんと聞いてくれ」
迷っている暇などない。
「わかりました……。エルダのことをよろしくお願いします」
アルドは半ば無理やりに約束をして、急いで街道を引き返した。
エルダがセシムの味方をしているにも関わらず、彼らはエルダのことを心配し、仲間だと認めていた。エルダを心配する顔は、間違いなく本心だと思える。
そんな優しさが、彼らの中にもちゃんとあるのだ。今はただ、そんな優しさを持つ余裕がないだけで。
だったら、モンスターを退治した後なら、何かセシムとも和解する方法があると信じたい。
アルドはエルダを追って走り出しながら、そう願っていた。
3−2
エルダは教会へ向かって走りながら、1年前のある秋の日を思い出していた。
エルダは森の中で一人、右足に深い怪我を負って動けなくなってしまった。
村人たちにとって、森に生えているキノコは貴重な食料であり、それを取りに行くことは日常のことだった。だからこそ、気が緩んでしまっていた。気がつけば、いつもは踏み込まないくらい森の奥へエルダは来てしまっていたのだ。
湿度が高い場所はキノコがよく繁殖するが、その分足元が脆くなりがちだ。エルダはキノコを取ることに気を取られすぎて、足元の落ち葉が腐っていたことに気がつかなかった。
腐葉土で足を滑らせることはよくあることだ。しかし、この時は運悪く、倒れた先に鋭い石があって、それがエルダの右足を深く切り裂いた。
出血が激しく、痛みでうまく歩けない。村から離れた森の奥では、助けを呼ぶこともできない。
少しずつ意識が薄れていき、エルダは死の恐怖に囚われていた。そんな時に現れたのが、セシムだった。
それは本当に偶然だった。
セシムは森の動物で、麻酔薬の実験をしているところだった。そのため、顔をマスクで覆っていて、全身黒づくめだった。
朦朧とする意識の中で、エルダはとうとう死神が自分を迎えに来たのだと涙を流した。
死を覚悟したエルダはそのまま目を閉じ、神へ祈りを捧げた。しかし、死神はエルダの命を奪うことなく、逆にエルダの傷口に包帯を巻き始めた。
「すぐに止血する。意識を保つんだ。死神に魂を持っていかれるぞ」
死神はあなたじゃないの?
そう聞き返したかったが、すでにエルダにそれだけの力は残っていなかった。ただ、その死神はそう悪いものじゃなさそうだった。
エルダはセシムに背負われ、教会へと運ばれた。
教会についてフーローの顔を見たエルダは、ようやくマスクの男がセシムだと分かった。そこで緊張の糸が途切れてしまい、エルダは意識を失った。
どれくらい眠っていただろうか。
窓の外に満月が見える。
エルダが目を覚ますと、彼女は暖かなベッドで寝ていた。
ふと顔を横に向けると、ベッドのすぐ横の椅子にセシムが座っている。目は閉じられているが、眠っているのだろうか。
エルダが身を起こそうとすると、右腕が僅かに引っ張られる感覚があった。見れば右腕から赤い管が伸びていて、それはセシムの左腕に繋がっていた。
「よかった、目が覚めたね。でもまだ動かないほうがいい」
声がした方を見ると、ちょうどフーローが部屋に入ってきたところだった。
フーローはエルダのそばまで寄って、彼女の顔を覗き込んだ。
「だいぶ顔色が良くなったね。右足に痛みはあるかい?」
そう言われて、エルダは自分が森で右足を怪我したことを思い出した。
布団をめくってみると、右足には包帯が巻かれていた。動かそうとしてみると変な感覚だ。反応はするのに、感触がない。
「神経はちゃんと繋がっているようだね。今は薬が効いているけれど、そのうち痛み出すだろうから、安静にしていなさい」
フーローはそう言ってエルダをベッドに寝かせて、布団をかけ直した。
「フーロー神父。助けてくださって、ありがとうございます」
「私は何もしていないよ。礼ならセシムに言ってあげなさい。君の治療をしたのは彼だ」
エルダがセシムの顔を見たのは、どれくらいぶりだろう。彼がフーローの養子になってからは、ほとんど顔を合わせていない。
事件によって表情を失ってしまったセシム。しかし、眠っている横顔は普通の人と変わらない。
「輸血もうまくいったようだ。これで一安心だね」
「ゆけつ?ですか?」
フーローが聞き慣れない言葉を使うので、エルダは聞き返してみた。
「君の足りなくなった分の血を、セシムからわけてもらったんだよ。でもこれには相性があってね。二人は相性がいいみたいだ」
フーローが妙な言い方をするので、エルダは少し照れ臭くなった。
「相性、ですか……」
命が助かったことは嬉しいが、それでは何か別の意味に感じてしまう。
エルダは口籠ってしまい、なんとなく布団で口元を隠してしまった。
その様子が微笑ましく、フーローは嬉しそうにセシムにも声をかけた。
「良かったな、セシム」
「……その妙な言い方やめてもらえますか」
いつから起きていたのだろうか。エルダが隣を見ると、寝ている時とほとんど変わらないセシムの顔があった。本当に目が開いているか、閉じているかの違いしかない。
「お前がいつまでも寝たふりなんかしているからだ」
「え?」
エルダには区別がつかないが、フーローにはすぐにわかるらしい。
別にセシムがずっと起きていたからといって、何がどうこうすると言う訳でもないのだが、気恥ずかしさが込み上げるので本当にやめてほしいと、エルダは心の中で叫んだ。
「寝たふりなんてしていません。必要がなかったから喋らなかっただけです」
「もう少しマシな言い訳はできんのか……」
セシムの言い分がまるで子供のようで、フーローは呆れてため息をつくしかなかった。
そんな二人のやりとりを見ていると、セシムは表情が動かないだけで、感情表現はわかりやすいのかもしれないと、エルダは思った。
そう思うと、村の人たちがセシムを怖がっていたことが不思議に感じ始めた。そして、セシムのことを何も知らずに怖がっていたのは自分も同じだったと気がつき、エルダは自分が恥ずかしくなった。
申し訳なさが込み上げるが、それよりも今伝えるべきなのは他のことだ。それくらいは、エルダだって間違えたりしない。
「セシム。ありがとう」
エルダはセシムのことをほとんど知らない。セシムは子供の時から両親と旅をしていたし、フーローの養子になってからは教会からあまり出てこなかった。だからと言って、知らないものを勝手に決めつけていいはずがなかった。
少なくとも、セシムから流れてくる血が暖かいものだと、エルダは知らなかったのだから。
「お礼なら神様に言ってくれ。偶然あそこに居合わせたってことは、神様の思し召しなんだろう」
しかし、この無表情に無感情なセリフ。これでは誤解してくれと言っているようなものだ。ここは間違いなくセシムが悪いと思う。
エルダはそれをセシムに思い知らせるべく、彼の言うように両手を組んで瞳を閉じた。
「おい、ここに神様はいないぞ。祈るなら聖堂へ行ってーー」
「だって私、今動けないから」
何も見ていなくてもわかる。フーローは嬉しそうな声で笑っているし、セシムはきっと無表情で立ち尽くしているのだ。それは完全に困っている合図だと、本人はわかっているのだろうか。
「感謝を」
祈りを捧げる。
どうか、もっと多くの人が、この人の優しさを知ってくれますように。そして、そのための手助けができますように、と。
エルダの祈りは、満月に照らされていた。
きっと届いたと、信じている。
それから、エルダは何度も教会に足を運んだ。もちろん、それを、村の人たちがよく思っていないことはわかっていた。
エルダの右足には、わずかに後遺症が残ってしまった。少し足を引きずるような歩き方になってしまうが、日常生活には問題がないものだった。
エルダ自身は全く気にしていないが、これも村人たちからすると、セシムが神父として未熟だからということになるらしい。
命を助けてくれただけでも十分だと言っても、誰もちゃんと話を聞いてくれなかった。
そうしている間に、フーロー神父が亡くなり、森にモンスターが住み着くようになってしまった。
徐々に追い詰められていく村人たちの感情が、セシムへと向けられていくのを、エルダは止めることができなかった。
歯がゆい思いを何度もしてきた。それでも、村人たちのことも信じていたかった。だけど、森から帰ってきたアルドに向けた、村長の態度を見て確信した。
もう、限界はとっくに過ぎていたのだ。
アルドはモンスターを倒すしかない。村人たちを救うためには、それしかないのだ。でも、その後はどうなる?セシムはどうなるだろう?
そう思った瞬間、エルダは教会に向かって走り出していた。右足が少しくらい引きずってしまうことなど、走るのをやめる理由にならない。
エルダにとって、何度も通った道だ。ランプの光がわずかであっても、道を間違えることなどない。
街道から脇道に入るあたりまで、エルダはやってきた。ここまでくれば教会まで後少しだ。
エルダがそう思った瞬間、目の前の道が急に閉ざされてしまった。
地鳴りのような、低い唸り声。鋭い牙と爪。灰色の毛皮をした姿は狼に似ているが、その大きさが桁違いだった。
それはまさに、絶望をそのまま形にして目の前に現れたようだった。
エルダだって、こうなることを考えなかった訳じゃない。それ以上に、セシムに会いたかっただけだ。
だけどーー
絶望は口を開き、大きく鳴き声を上げた。そして、それはやすやすとエルダを飲み込んでいった。
3−3
森中に響くかのように、悲鳴があたりにこだました。
アルドがようやくエルダに追いついた時、モンスターが倒れているエルダの左腕を押さえつけ、今まさにその牙を彼女に突き立てようとしているところだった。
「止めろっ!」
アルドはエルダを助けるべく、モンスターに向かっていくのだった。
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