第2話
2−1
アルドは、まず教会を目指して街道を歩いた。
そうして村から離れていくと、道の端に野生動物の足跡を見かけるようになった。モンスターばかりに気を取られていてはいけない。これらも十分な脅威だ。野犬の群れなどに襲われたら、依頼どころじゃない。
整備されて歩きやすい道だが、それは逆に言えば何かに襲われた時に身を隠す場所がないということだ。
アルドがさらに先へ足を進めると、明らかに他の生き物とは違う足跡を見つけた。それは狼によく似た足跡だったが、その大きさが桁違いだった。
アルドが自分の足を並べてみると、それよりもさらに大きい。
「この足跡からすると、全長は5メートル以上あるぞ」
それは、堂々と道の真ん中を歩いて、自分の足跡を残していた。間違いなく、ここは自分の縄張りだという主張に他ならない。
アルドは今、いつモンスターに襲われてもおかしくない。そんな場所へ足を踏み入れた。
緊張感が増し、背中に冷たいものが走る。
アルドは慎重に、その足跡を追った。それはやがて街道から外れた道へと入っていった。
その道は街道ほど整備されていないが、人の手が入っていることは間違いなかった。落ち葉が払われて、大人ひとりが十分に通れるくらいの道が続いている。
「これは、エルダが言っていた、教会へ行く道なんじゃないのか?」
悪い予感が頭をかすめる。
村の人たちが噂していたことは、本当にただの噂でしかなく、今までセシムがモンスターに襲われなかったのはただの偶然だったとしたら?
アルドは急いてその足跡を追った。
街道を外れると、周りの木々が太陽の光を遮る。途端に薄暗くなり、湿った空気が漂う。さっきまでとはあまりに違った環境で、五感がおかしくなる。
それでも足跡を見逃さないようにして、アルドは森の中を走った。
やがて見えてきたのは森の切れ間。太陽が差し込み、森の中でそこだけ光って見える。
「もうすぐだ」
エルダに聞いた通りなら、ここを抜ければ教会が建っているはずだ。
モンスターの足跡も、そっちへ真っ直ぐ続いている。
徐々に光が近づき、その中に建物の影が見えてきた。もうすぐ森の中を抜けるというところで、アルドはあることに気が付いて足を止めた。
「足跡が、曲がっている……?」
森を抜ける直前で、モンスターの足跡が止まっていた。わずかにその場をうろついた後、足跡は森の中へ消えてしまっていた。
「なんで、こんな動きを?」
村の人たちの噂では、セシムがモンスターを呼び寄せたのではないかと言っている。そうでなければ、森の中で一人で暮らしているセシムが、モンスターに襲われないのはおかしいはずだと。
しかし、エルダはそんな噂を否定して、セシムはそんなことをする人間じゃないと信じている。
アルドには、どっちが正しいかなんて判断できない。二つの話はどちらも推測でしかないし、何よりアルドはセシムに会ったこともないのだ。
だが、事実としてモンスターが教会を襲わずに、森の中へ消えて行ったことは確かだ。
「この教会に、一体何が……」
森の切れ間に差し込む光が、教会を眩しく照らしている。それは、とても美しいものに見えるはずなのに、アルドはいま不気味さを覚えていた。
この依頼を果たすためには、セシムに会わなければいけないことは確かなようだ。
2−2
森の中は背の高い木々が太陽の光を遮っているため、地面には腐葉土が広がるばかりで、草や花は生えていない。見渡す限り、白と黒と茶色の風景だ。
その森を抜けた先にあったのは、緑の草花に囲まれた木造の教会だった。
今まで薄暗い森の中にいたせいで、太陽の光がやけに眩しく感じられる。そのせいで周りのものがキラキラと輝いて見える。これだけで十分神秘的だ。
アルドは外から教会を眺めて回った。
最初の印象は、縦に細長い建物というものだった。10メートル以上はあるような丸太を、何本も地面に突き刺して作っている。それは、まるで天をつく槍のような力強さがある。さらにその壁にはいくつものレリーフが埋め込まれており、美しい装飾が施されている。
「神、天使、聖人……」
アルドがそのレリーフを見ていると、教会のレリーフとしては相応しくないものも混ざっていることに気がついた。
「これは、悪魔とモンスターじゃないのか?」
宗教的な建造物に動物をかたどった装飾をつけることは珍しくない。しかしそれは、ライオンなどの野生生物であり、ガーゴイルやグリフォンといった奇怪な生物のものは見たことがない。
美しいのに不気味。
アルドはずっと、この相反する二つの印象を拭えずにいた。
「とりあえず、中に入ってみるしかないな」
いろいろと想像だけを膨らませていても仕方がない。
アルドは教会の扉を開き、その中へ足を踏み入れた。
教会の中に入ってみると、特に珍しいものはない普通の聖堂だった。一番奥に祭壇があり、後は長椅子が並んでいるだけだ。
アルドが奥へと進んでいくと、鼻先にふわっと甘い香りが漂ってきた。
「何の香りーー」
アルドがその香りに気がついた次の瞬間には、彼は聖堂の床に倒れ込んでいた。
「!?」
何が起こったのか分からない。
アルドの身体は思うように動かず、意識もどんどん遠くなっていく。恐怖と混乱に襲われ、その場を離れようとするがもうどうすることもできなかった。
アルドは薄れ行く意識の中で、聖堂の奥から一人の人物が現れるのを見つけた。黒い修道服に身を包んだその人物は、顔全面を異形のマスクで覆い隠していた。
まるで昆虫を模したようなそのマスクから、大きな呼吸音が聞こえる。
その人物はアルドの元へ近づいてきて、その身をかがめて顔を覗き込んだ。そして、手に持っていた布でアルドの口と鼻を押さえつけた。
アルドは抵抗しようとしたが、すでに身体は言うことをきかなくてっていた。ただされるがままに、アルドは意識を失ってしまった。
2−3
アルドが目を覚ますと、そこは知らない天井だった。石造りの、飾り気もない天井。
「どこだ?ここ……」
ぼんやりとした意識のまま、アルドは周りを見回した。ランプの光に照らされた薄暗い部屋だったが、そこに自分以外にもう一人いることが分かった。
慌てて体を起こそうとしたが、全く身動きが取れなかった。それはさっきのように体に力が入らないということではなく、単純に手足をベッドにくくりつけられていたからだった。
「なんだこれは?」
「もう目が覚めたか。さすがは冒険者、丈夫な体をしている」
黒い修道服を着た男が近づいてきて、ベッドのすぐ横でアルドのことを見下ろした。今はあの不気味なマスクはしていなかった。
その男の顔を見て、アルドはすぐにわかった。
「あんたがセシムだな」
エルダの言うとおり、彼の顔には全く感情が浮かんでいなかった。マスクの下にも、さらに仮面をかぶっているような男だった。
「誰に私の名前を聞いた?」
無表情な上に抑揚のない口調。これではセシムが何を考えているのか全くわからない。
状況からして、アルドはセシムに逆らうことはできない。今アルドにできることは、セシムがエルダのいうような人物であると信じて、正直に話をすることだ。
「エルダっていう人だ。彼女にあんたを助けてほしいって頼まれた」
「なるほど、彼女か」
セシムはうなずいて、納得したような動きを見せた。
「こんなところに冒険者が現れたんだ。私はてっきり、村の人たちが私をここから排除してくれと依頼したものだと思ったよ」
「俺が頼まれたのはモンスター退治だよ」
「すると君は、依頼とは関係ないところに首を突っ込んでいるのか?随分とお人好しな冒険者だ」
「よく言われる」
セシムの表情に変化はないが、今のセリフがバカにされたことだけは分かった。今まで何度も同じようなことを言われてきたのだ。これだけは間違えない。
「村の人たちは、あんたがモンスターを呼び寄せたんじゃないかと疑っているらしい。彼女はどうにかしてその誤解を解きたいそうだが……」
ゆっくりと腹の探り合いをしている時間はない。アルドがセシムを警戒しているように、セシムもアルドを警戒しているはずだ。だったら、先に本音を晒してしまった方がいい。
「なあ、本当に彼女が言うように、誤解なんだよな?」
相手の本音を引き出したいなら、なおさらのことだ
「君自身は、どう思う?」
「とりあえず、ここから自由にしてくれたら、少しは信じてもいい」
セシムから目を逸らさず、あくまで正直に答えを返す。これが、今のアルドにできる唯一のことだ。
「なるほど、確かに。これは悪かった」
すると、セシムはあっさりと納得し、アルドの拘束を解いていった。アルドは自分で言ったこととはいえ、拍子抜けしてしまった。
「あんたこそ、よくオレの言うことを信じたな」
ようやく自由になったアルドは、縛られていたところをさすりながらベッドから立ち上がった。
「正直、それが嘘でも本当でも、どっちでもいいんだ」
セシムはアルドの拘束を解いた後、ランプを持って壁の方へ歩いていった。そして、壁に沿って配置してあった別のランプに次々に火を灯して行く。
「ここは地下室なんだ。鍵の開け方も私しか知らない」
アルドはセシムの言葉よりも、ランプの火によって照らされたものに驚いてしまった。
部屋にあったものは恐怖の数々。身動きが取れなくなるには十分なほどの。
「だから、もし、君が私を殺したとしても、君もこの部屋の中で死を迎えることになる。それでもよければ、どうぞお好きなように」
部屋の中は人間に囲まれていた。ただそれらは部分的なものであり、あるものは臓器が瓶詰めにされ、あるものは白骨が天井から吊るされ、あるものは、それら全てを抜き取られた肉の塊が等身大の瓶の中に収められていた。
「さて、ここにあるものは、異端の研究ばかりだが……」
異様な光景に呆然とするアルドに、セシムはこう問いかけた。
「君はこれでも、私の言葉を信じてくれるのか?」
セシムから表情の変化は読み取れない。だが、これはアルドがセシムに対して正直に話をしているように、セシムも正直な自分の姿をアルドに見せているのだ。
だったら、アルドの答えは決まっている。
腹の探り合いはせず、ありのままの自分を偽らない。アルドは自分で決めたことを、ただ貫くしかない。
「あんたが何の研究をしているのか、俺は知らない。いま重要なのは、それがモンスターの件と関係あるかどうかだ」
アルドは再びセシムの目を真っ直ぐに見据えた。
「先に質問したのはこっちだ。まずはそれに答えてくれ。モンスターを村に呼び寄せたのは、あんたなのか?」
わずかな沈黙の後、セシムはこう答えた。
「いいや、違う」
「わかった。信じる」
わずかな沈黙もなく、アルドはそう答えた。
セシムはアルドの言葉を聞いて、身体が固まったように動かなくなった。これはさすがに表情が変わらなくてもわかる。驚いているのだ。
アルドは少しづつ、セシムという人物のことがわかってきた。彼は表情を顔に出せないというだけで、感情がないわけじゃない。表情に感情が現れない分、割と行動にそれが出やすいことも。
「まずは、あんたのしている研究のことを、ちゃんと教えてくれないか?これは一体何に必要なものなんだ?」
アルドは率直にセシムへ疑問をぶつけた。そのほうがセシムとの会話がうまく行くことはわかってきた。
「私の研究は医学だ。この部屋にあるのは、死体を解剖して薬剤につけたものだ。こうしておけば腐ることなく保存ができる。人体の構造を知るために必要なものだ」
「これはどれくらい前のものなんだ?」
「少なくとも3年以上は前だ。これらの瓶詰めを作ったのは私ではなく、養父のフーローだ。そしてフーローに死体を届けていたのが、私の実の父母だ」
「もしかして、両親が殺されたっていうのは……」
アルドはそこまで口にしてしまってから、自分の失言に気がついた。セシムにとっては辛い過去だろうに。
アルドは顔をしかめたが、セシムの方は変わらない口調で話を続けた。
「死刑囚の死体なら、合法的に買うことができる。だから、両親は別に犯罪をおかしていたわけじゃないんだ。ただ、信仰心の強い人からすると、どうしたって異端者でしかない」
教会の教えでは生前でも死後でも、身体の一部を切り取ることは禁忌とされている。最後の審判の日に、体の一部が欠けてしまっていては生き返ることが出来ず、天国へ入れてもらうことができないと考えられているからだ。
「野盗にしては、随分と信心深い男だったということだろう。彼から見れば、両親はまるで悪魔に見えたに違いない」
セシムはどこか他人事のように、両親のことを話した。一体どんなふうに自分の中で結論を出しているのだろう。
「それでもあんたは神父を続けているのか?」
アルドはこう尋ねるしかなかった。きっとそれが、セシムの核となるものだと思うから。
「そうだ。私は医学を研究しているが、別に宗教を否定しているわけじゃない。宗教は心を救うものであり、医学は身体を救うものだ。どちらか片方しか信仰してはならないなど、あり得ない」
セシムはアルドの目を、真っ直ぐに見返して言った。この言葉は、間違いなくセシムの生き方を表したものだった。
「だから私は、神父であり錬金術師なんだ」
アルドは確信した。
エルダが言ったように、セシムはモンスターを呼び寄せたりしていない。
しかし、それでもセシムの研究は異端なのだ。
「医学はもう何百年も進歩していない。今でも医者は患者に触りもせず薬を処方するし、患部から血を抜けば病気が治ると本気で信じている。もっと外科手術が発達すれば、救える人間は必ず増える。だから私は医学の中でも、特に麻酔薬の研究をしているんだ」
「麻酔薬?」
「そうだ。それがあれば、患者は眠ったままで手術をすることができる。痛みや恐怖を取り除くことができれば、外科手術は飛躍的に進歩するはずなんだ」
それはすごいと感心しながら、その話を聞いてアルドの中で一つ腑に落ちた。
「もしかして、その薬のせいで俺は教会に入った途端に気を失ったのか?」
アルドの問いに、セシムはためらいなく答えを返してくれた。
「ちなみに、私がすぐに口を塞がなかったら窒死量を吸い込んでいたところだぞ」
しかし、その答えはアルドが望んでもいないことまで教えてくれた。
「嘘だろ……?」
「本当だ」
本当だった。
危険すぎる。異端視されてもおかしくない。
だが、おかげでもう一つの疑問の答えもわかった。
「モンスターが教会には近づかなかったのも、麻酔薬が理由か」
「モンスターとはいえ、呼吸をする生き物なら必ず影響がある。吸い込み過ぎれば、毒と変わらないからな」
それで、あの変なマスクをつけて実験をする必要があったのだ。
アルドは納得すると同時に、セシムが命をかけて研究に取り組んでいるんだと理解した。
どんなことでも、技術が発達するためには必ず危険が伴う。だったらやはり、それを引き受けるものが必要なるんだ。
「確かに今は異端なのかもしれないが、色んなものを積み重ねていかないと、新しいものは作れないんだろうな」
アルドはセシムの話を聞きながら、未来の世界のことを思い出した。あの世界はきっと、こうやって頑張ってくれた人たちのおかげで辿り着いた場所なんだ。
「……君は珍しいな。私の話をそんなふうに受け止めるなんて」
「未来の世界に行ったことがあるんだ。そこではでっかい病院があって、あんたが言うように、何人もの人の命が救われてるんだ」
「……悪いが、冗談は嫌いでね。この顔のせいで笑うことができないんだ」
「冗談じゃないんだけどな……」
確かに、時空を超えて旅をしているなんて話、普通は信じられるものじゃない。だが、そのおかげで随分といろんな経験をすることができたことは間違いない。セシムと話ができたことも、その一つだ。
だからこそ、アルドは自分がどうしたらいいのか、分からなくなってしまった。
アルドがモンスターを倒せば、村人たちはきっとセシムを糾弾しにくるだろう。だからといって、モンスターをそのままにすれば、村人たちが助からない。
「セシム。村の人たちと、話をしよう。研究のことだって、ちゃんと説明すればきっとーー」
「分かってもらえると思うか?」
セシムにそう返されて、アルドは頷くことができなかった。
アルド自身、そんな簡単なことではないと分かっているのだ。
「それでも……」
何かないのかと考えてしまう。セシムも、村の人たちも平和に暮らせる方法が。
アルドはできる限り頭をひねる。
セシムも村の人たちも、どちらかが間違ってるという訳ではない。ただ、常識がすれ違っているだけなのだ。それでどちらかが不幸になるのは、悲しすぎる。
どうしても答えが出せないアルドを見て、セシムの方からこう話を持ちかけてきた。
「だったら、賭けをしようか」
セシムの表情はかわらない。でも、今のセシムは錬金術師ではなく、神父の顔をしているように思えた。
「君がモンスターを倒した後、村人たちが冷静になってくれたら、私の研究について彼らと話をしよう。だが、もし彼らが私を害そうとするのなら、私はここに火をつけて世界から消えることにする」
「ちょっと待ってくれ、なんでそんな事になるんだ!」
アルドには、セシムがなぜそこまでしなければいけないのか理解できなかった。
「この研究は今の時代にはまだ早い。私の研究が異端として破棄されれば、養父だけでなく、さらに何代も前の錬金術たちの努力が無駄になる。それだけは出来ない」
「でも、それはあんたが死んでも同じことだろう?」
セシムは首を振って答えた。
「私の研究は全てレリーフに暗号として刻み、教会の壁面に埋め込んである。あれは石の書物だ。同じ錬金術師なら読み解ける。そして、この地下室は、ここで火をつけても聖堂まで燃え広がらないように設計されている。何も問題ない」
「それでも!」
さっきと同じだ。アルドは、これ以上の言葉を持たない。しかし、理屈は分かっても感情が納得できない。
「正直、私が異端審問によって処刑されることは構わない。研究成果さえ無事なら、次の誰かが研究を引き継いでくれる。知識が未来に続いてくれるなら、それでいいんだ」
何も言えずにいるアルドの肩をセシムは軽く叩いて、地下室の扉を開けるための階段を登った。そのすれ違いざまに、一言だけアルドに残して。
「私は私の役割を果たすだけだ。君も自分の役割を果たせ」
突き放すような言葉だったが、それでも、セシムの言う通りだ。
誰もが、自分のすべきことは自分で決めなければならない。
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