信仰と異端
天馬 聖
第1話
1−1
『森の中に住み着いたモンスターを倒して欲しい』
アルドは立ち寄った村で、そんな依頼を受けることになった。
村の近くにある森の中に、半年ほど前から大きなモンスターが住み着いてしまったらしい。それ以来、ここは他の村々との交流が途絶えがちになってしまっていた。
小麦や家畜と言った食材は村の中でも賄えるが、塩やスパイスなどはそうもいかない。それらがなければ、食材の加工、長期保存もできない。何より、日々の食生活の中で塩分の不足は人体への影響が大きい。最悪、死にいたることもある。
これまでは村の中の備蓄で何とか凌いできたが、それも限界が近くなってきてしまったそうだ。このままでは収穫物を保存できず、近く食糧不足が訪れることが目に見えている。
村人たちでもモンスターの討伐を試みたが、犠牲者が増えるばかりでどうしようもない。ついに、冒険者へ頼るほか無くなってしまったということだった。
アルドは困っている村の人たちを見捨てられず、この依頼を引き受けることにした。
村の人たちは随分と疲れてしまっている様子だった。問題に対処する手段がなく、日々をいたずらに費やすことは精神を追い詰めていくものだ。みんな表向きは普段通りに生活しているようでも、緊張の糸が張り詰めていた。
この村の人たちには、笑顔がないのだ。誰かに話しかけても、表向き優しい表情を浮かべるが、その奥の瞳がどんよりと曇ってしまっている。
明日の食べ物がないと言われれば諦めもつくかもしれないが、諦めるには時間が多く、かといってゆっくり対応を考えて要る余裕もない。真綿で首を仕上げられているようなものだった。
村人から聞いたモンスターの出現場所は、森を抜ける街道の中腹あたり。一番近い都市まで、その道を通っても半日かかる距離がある。モンスターを恐れて街道を迂回しようとすれば、今度は途端に森に飲み込まれる。
ひたすら平坦な地面に、自分よりも何倍も背の高い木々が延々と並んでいるのだ。一度入り込めば、太陽の位置も分からなくなる。日中であっても薄暗い森の中では、すぐに方向感覚を狂わされ、2度と森から出られなくなってしまう。
森に殺されるか、モンスターに殺されるか。村人たちにとっては二つに一つしかない状況になっていた。
とりあえず、アルドは道沿いに歩きながら、モンスターの形跡を探すことにした。それに、モンスターが街道を通る人間に狙いを定めているなら、あちらの方から姿を表す可能性もある。
視界を広く伸ばし、聴覚を研ぎ澄まして周囲を探る。そうやって集中して辺りを見回すと、随分と丁寧に道が整えられていることに気がついた。
大概は木を切り倒しただけで、進む方向がわかるだけでも道の役割は果たせる。だがこの村は、切り株や大きな石は取り除かれていて、とても歩きやすかった。
これだけでも、この村が交易に力を入れていたことがわかる。だからこそ、その流通の要であるこの道が使えなくなってしまうなど、村人たちにとってこれほど恐ろしいことはない。
早くモンスターを見つけなければと考えていると、アルドの背後から足音が聞こえてきた。
アルドが振り向くと、一人の女性がアルドを追いかけるようにして走ってきた。
「あの、すいません!あなた、冒険者さんですよね?モンスター退治の依頼を受けた!」
見たところアルドと同じくらいの年齢の女の人だった。背格好も普通で、特徴的なところは見受けられない。彼女の走る姿を見ていなければ。
スカートで隠れているが、おそらく右足がうまく動かないのだろう。杖を使わなければいけないほどではないようだが、少しだけ体幹が崩れて右側に傾いている。
アルドは思わず彼女に駆け寄った。彼女からすれば自分の身体のことだ。うまくコントロールできているのだろうけれど、少しでも負担を減らしてあげたかった。
「確かに、俺はモンスター退治の依頼を受けたけれど……。君は一体?」
アルドが声を掛けると、その女性は肩で息をしながらアルドを見上げた。そこにあったのは、辛く、苦しく、でも、それを打ち破る決意を秘めた瞳だった。
「お願いです!無茶だって分かってるんです!それでも、それでもどうかーー」
気圧される。彼女の必死さに一瞬息が止まる。
「どうか、助けてほしい人がいるんです!」
強く訴えかけてきた。それはまさしく、自分以外の大切な人へと向けられた力だった。
「話を、聞かせてくれないか?」
1−2
人間の進化とは、自然界に住む精霊たちとの訣別にほかならない。
森を開拓することで人間は様々な恩恵を得た。農地の拡大による食糧不足の解消。伐採した木はあらゆる資材となった。それにより増加した人口は、さらなる森の開拓を必要とした。代わりに、その森に住む精霊たちを追いやって。
この村にはフーローという男がいた。
彼は教会からこの街へ派遣された神父であり、村の発展のために終生にわたり力を尽くした。
森の開拓を進めていくためには、多大な労働力を必要とする。しかし、小さな村ではどうしてもそれを確保することができない。だから、フーローは道具の開発と、馬の家畜化を行った。
馬は本来乾燥した草原などに住む生き物で、農地などの湿気の多い場所ではすぐ蹄が病気になってしまう。野生の生物を、人間の都合に合わせることはできないと考えられてきた。
しかし、フーローが伝えた蹄鉄という道具を使うことにより、馬の蹄を保護することが可能になった。
U字型に加工した鉄の保護具を蹄に取り付けることによって、破損や摩耗を防ぎ、感染症を予防できるようになったのだ。
馬の労働力は凄まじく、森林伐採から畑の開墾まで幅広い状況で作業効率が格段に上昇した。おかげで近くの街までの街道を開くことができ、さらに馬車を使った交易まで可能になった。
村はどんどん豊かになり、食糧と資材の不足に悩まされることがなくなった。人口も増え、それによりさらに森の開拓は進んだ。
人間は森の精霊たちと決別する代わりに、繁栄を手に入れていった。
フーローがこのような知識を持っていた理由は、彼は最初から神父だったわけではなく、もともとは錬金術師だったからだ。
科学によってあらゆる真理を探究していけばいくほど、この世界には科学では証明できないことが溢れていることが分かっていく。それこそ、神という存在を持ち出さないと説明できないほどに。
彼のような存在は多く、この時代は錬金術と宗教が深く結びついていた。そんな知識人たちによって、あらゆる技術と知識は広がっていき、文明は発達していった。
フーローは、自身の学問と信仰をさらに突き詰めていきたいと考えていた。彼は村の中ではなく、街道から外れた森の中に教会を建てた。
これには2つの目的があった。
1つは錬金術師としての研究を秘匿するためである。錬金術師たちの研究は、宗教上では異端とされるものばかりだった。それでも彼らは、自身の探究心と人類の発展のため研究を続けた。いつの世か、それらの知識が受け入れられるようになると信じながら。
2つ目は、宗教が広まる前からある土着信仰との融合のためである。どの村でも、昔からの信仰対象といえば、木や湖などの自然界に住む精霊たちだった。これらの精霊をうまく神話の中に混ぜ込み、精霊と神々を同一視させることで、信仰の対象を巧みにすり替えていった。
このようにして、錬金術師と宗教家、両方の面から新しい価値観を作りだしていったのだ。
それから長い年月をフーローは村で過ごした。村の人たちとの関係は良好だったが、彼は生涯を結婚しなかった。それは神父としてではなく、錬金術師としての側面が見せたものだ。
フーローは自身の知識や経験を受け継ぐのは血統ではなく、資質だと考えていた。そんな彼が一人の男の子を養子に迎えたのは、随分と年老いてからだった。
その男の子の名前は、セシムといった。
セシムの両親は農業ではなく、交易を生業としていた。村で作られた農作物を近隣の街へと運び、同等の香辛料や衣類、または貴金属などの貴重品へ交換する。様々な範囲の知識を必要とする職業だ。
セシムは幼い頃から、両親と一緒に村の外にある様々な知識に触れてきた。それはずっと村で生きる人たちからすると、理解できない価値観でもあった。
常に価値が変動する貨幣と食糧とを取引するには、とても多くの情報量が必要になる。それは単純な数字のやり取りだけでなく、人間の心の駆け引きも必要になってくる。
信用のおける相手とだけ取引をしていては、安定はすれど大きな利益を出すことはあまりない。かといって、自分の専門外の分野に手を出すのはリスクが大きくなる。
このバランスをどう取るのか。それは結局のところ、自分が持っている情報量と、自分と相手との信頼関係でしかない。
セシムは幼い頃から、両親のそういった姿を見てきた。両親ともに、理屈や数字によって答えを導く場合と、人情や感覚に身を任せる場合があった。セシムにとっては、まるで父親と母親がそれぞれ二人いるような、不思議な感覚を持っていた。
そんな両親が殺されたのは、セシムが10歳の時だった。
行商人が野党に襲われることは珍しくない。しかし、命まで奪われることは稀だった。彼らだって無闇に罪を重ねても、何にも得がない。目的の金品さえ奪えれば、それ以上は必要ないはずだった。
運が悪かったということだろうか。
セシムの両親は野党達に殺され、セシムは顔が崩れるくらいの大怪我を負ってしまった。命が助かっただけでも、奇跡とも思えるくらいの。
セシムがフーローのところへ運ばれた時には、誰が見ても絶望的な状況だった。少なくとも、まともに喋れるようにはならないだろうと思われた。
しかし、そんなセシムに奇跡としか言いようのないことが起こった。命さえ危ういと思われた大怪我は綺麗に完治し、元通りの顔になったのだ。ただ一点、表情が固まってしまって、感情を表現できなくなってしまったことを除いて。
それでも、村の人々はこの奇跡のような出来事を心から喜んだ。
身寄りのないセシムはフーローが養子として引き取り、教会で暮らすことになった。そうして、幾年の時間が過ぎた。
最初はセシムに起きた奇跡を喜んだ村の人々だったが、やがて人形のように無感情なセシムを、憐れみながらも気味悪く思うようになっていった。
誰も言葉にしなくても、セシムは自分が村の人々にどう思われているのか、よく分かっていた。次第にセシムは村に姿を見せることがなくなり、教会の中から外へ出ることは無くなった。
それでも、変わらずフーローへの信頼は厚かったが、セシムのことを口するものは誰もいなくなった。
それが3年前ということだ。
そこから変化のない日常が続いていたが、半年前にフーローが天に召された。すでに村一番の高齢者だったフーローは、いつその時が訪れても不思議ではなかった。
村人たちはフーローの死を悲しんだ。しかし、それと同時にセシムのことが頭をよぎり不安に襲われてしまった。
今さらどうやってセシムと関わったらいいのか、みんな分からなくなっていたのだ。そして、その不安はやがて形をはっきりとさせてきた。
半年前にフーローが死んで、それからしばらくしてモンスターの被害が出るようになった。
それと同時に、森の中でセシムが怪しいことをしていたところを見たという人が何人か現れる始めた。動物の死体を集めていた。教会の周辺で、とても変な匂いがして、危うく意識を失いかけた。
森の中で起きた不可解な出来事は、全部セシムに結びつけて考えるようになってしまった。
何より、モンスターが潜んでいる森の中で、セシムは無事に生きている。その事実が、その考えに拍車をかけていた。
セシムの意味不明な行動への恐怖、セシムを村八分にしたことの罪悪感、モンスターによる被害。これらが重なって、村人たちは冷静な判断ができなくなっていた。
1−3
アルドを呼び止めた女性は、エルダという名前だった。
エルダから村の現状を聞いて、アルドは妙に張り詰めた緊張感の正体がわかった。
「それにしても、あんたはそのセシムって人を疑ってないんだな」
「私は、昔セシムに助けてもらったことがあって」
エルダはスカートの上から右足を抑えた。
「森の中で怪我をして動けなくなった私を、助けてくれたのがセシムなんです」
どうやら彼女は、他の村人たちが知らないセシムの姿を知っているようだ。
「セシムは本当は優しいんです。絶対に、モンスターを使って村の人たちに復讐しようなんて、そんなことを考える人じゃありません」
まさに必死という様子だった。
考えてみれば、通りすがりの冒険者に助けを求めるほどだ。かなり切羽詰まった状況なのだろう。
「モンスターを探すためには、森の中へ入らなくちゃいけないからな。それなら、まずは教会に行くことにするよ」
「ありがとうございます!」
アルドはエルダから教会の場所を聞いて、街道の先へと進んでいった。
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