夕立小噺

ルルルルルルル

本と猫が好きな少女の物語

恍惚とした表情で、少女は本を眺めていた。その本は、あまり栄えていない街の裏通りにあるこの古書店でも、特に貴重な物である。耽美な人生を綴った物語。懐かしい羊皮紙の香り、そして丁寧な革張りと装飾が施された装丁。どれを取っても一級品で、その価値を本能的にか悟っている少女に老店主に畏怖の念を感じた。艶艶と情欲をそそる赤褐色のそれを、少女は色々な角度から観察し、向きを変えるたびに感嘆の溜息を漏らした。しばらくすると、ついに本を開き、今時珍しい皮で作られたページにまず興味を持ってから、文字に瞳が落ちる。ふふと笑ったかと思うと、パタンと本を閉じ、「おいくらかしら?」と尋ねた。老店主が値段を言うと、明らかに落胆した。渋々と、悲恋を孕みながら本を棚に戻し、しばらく中空に目をやると、勢いよく老店主の脇を通り、外に飛び出した。その瞳孔は大きく開き、気味が悪い程破顔していた。


ただいまと叫んだと思うと、少女は二階にある自室に転がり込んだ。そしてすぐ、ペットの猫を愛おしそうに抱きしめ、階段を転がり落ち、近くの森に走った。猫は少少可愛げに欠けていたが、故に可愛らしいと少女は思う。

義務教育を終え、自由の身になった少女にとって、愛猫と戯れ日が暮れるまで遊ぶことが生きがいである。

少女は愛猫の眼をじっと見つめると、ふいに鼻先に接吻した後、手に隠し持っていた果物ナイフで喉元を刺した。愛猫はキッと音を鳴らすと、鮮紅色を散りばめ絶命。綺麗だなぁと少女は思い、左手で首根を掴み、右手で赤色を掬って一飲み。ほのかに感じた甘味が、いつかに食べた小豆を思い出させた。ノスタルジーに浸ってばかりではいけない。ナイフで喉から腹、そして股まで一気に切り裂いた。少女は身体を震わせ、その滴る甘美な赤色達を眺めた。刹那に零れ落ちる臓物の美しさと言ったら!ナイフを捨て、地に落ちた赤色達の中で一際主張の強い塊を鷲掴み、口に含んでみる。


「うふふふふふ」


愉悦が舌を痺れさせた。が、目的は別にある。丁寧に肉と皮を剥ぎ取ろうとするが、どうも皮が脆く、またナイフ捌きも稚拙でぐちゃぐちゃになってしまう。なんとか肉と皮と骨を部品ごとに分けた時、日はだいぶ傾いていた。少女は皮だけを手に取ると、来た道を戻り家に帰った。ただいまと叫んだと思うと、風呂に転がり込み、皮と紅く化粧された全身をよく洗った。泡立てると、愛猫の皮はボロボロで、毛が斑らに残り美しくない。少女はこれもまた一つの味と捉え、身体も拭かず自室に戻った。どこからか紙を探し出し、束ねた後ホッチキスでパチン。その上から愛猫の皮を被せ、またホッチキスでパチン。簡単だが、手製の本が完成した。そして鉛筆を紙の上に転がし、愛猫との思い出を書き綴った。夕立の中、ゴミのように捨てられた猫を見つけ家に連れ帰ったこと。家族に反対されたがなんとか飼ってもいいと言われたこと。森で沢山遊んだこと。ナイフを刺した時のスタッカート。溢れる鮮紅色。どれもこれも美しく、今の姿が美しくないことが気がかりに思うも、やはり猫を愛していたんだなぁと、少女は涙を流した。愛猫の中身を森に残してきてしまい、ちゃんと食べてあげられなかった事を悔やんだが、外見と歴史を綴ったこの本の方がより愛猫である。愛猫がここにいるのに、分離した愛猫がまだ森にいる事が、なんだかおかしくてたまらない。あの古書店で見た本には遠く及ばないかもしれないが、私が愛した猫は、少し不恰好ながら永遠の形を手に私の側にいる。そう思うと少女は、やはり私は猫を愛していたんだなぁと、嬉しくなった。


本は3日後に腐り始めたので、中身がある近くに捨てた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夕立小噺 ルルルルルルル @Ichiichiichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る