第4話 さよなら鑑真

 その日の放課後、僕たち生徒は学校の近くにある河原に集まった。僕が着いた時にはもう、唐沢と鑑真がスタート位置に並んでいた。

「この橋から、向こうに見える橋まで先にだどり着いた方が勝ちだ」

 唐沢はそう言って数百メートル離れた場所にある橋を指さした。

「桜田、スタートの合図を頼む」

「ええ……僕ですか。僕正直あんまり関わりたくないんですけど」

「一言だけじゃないか。頼むよ」

「はあ……まあいいですけど。じゃあ位置についてよーいドンでスタートです。いいですか」

「承知いたしました。よろしくお願いいたします」

 そう言って鑑真は合掌をする。

「それでは、位置について」

 よーいドン……とささっと言ってしまおうとした。その時である!

「……先生!? どうしたんですかソレは!!!」

 驚かずに聞いてほしい。なんと、唐沢の背中にジェットパックが現れたのだ!!!

「ビックリしたよ……。まさか俺と同じように、唐のテクノロジーを継承する人間が、現代日本にいたとはな」

「ほう。あなたもサイボーグだったというわけですか」

「お前に勝負方法を提案させれば、競走になることは目に見えていた。そうなったらもう勝ったも同然だ。俺がお前に勝ち、真の鑑真となる!!!」

「これは、面白くなってまいりましたねえ」

 どういうことなんだ!? 唐沢が唐のテクノロジーの継承者??? 僕は一つもわけがわからなくなった!

「桜田、どうした。早くよーいドンと言ってくれ」

「いやいやこんな状況で動揺しない方がおかしいでしょ!?」

 僕はそう言ったが、二人は自分にジェットパックがあるのをさも当然という顔をしている。僕は観念して、「よーい」と言った。

 そう言った矢先、二人のジェットパックからはおぞましい機械音が鳴り響いた! そしてその機械音が頂点に達した時、僕は「ドン」と言ったのだ!!

 次の瞬間! 爆音を轟かせてぶっ飛んでいく二人!! 僕たちは噴射の勢いでひっくり返った!!!

「ウォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」

 そう言いながらどんどん二人が遠くなる!!! しかし、ジェットパックが放つ閃光はどれだけ遠くに行っても、僕らの網膜に鮮やかな像を突き刺し続けるほど強烈であった!!!! その閃光を見ていて、僕は気づいた!!!!!

「……唐沢がリードしてるんじゃないか!?」

 そうなのだ! ゴールの橋により近づいているのは唐沢だったのだ!! しかも鑑真との差はどんどん開いていっているように思われた!!!

「唐沢先生って実は凄かったんだなー」

「授業はそんなに上手くないのになー」

 みんな好き勝手言っているが、もちろん唐沢に声が届く距離ではない。唐沢は僕らから離れて、とても、とても遠くに行ってしまったのだ! いろんな意味で!!

「これでわかったろう、俺が本当の鑑真だァーーーーーーーーーーッ!」

「まずい! このままでは唐沢が鑑真になってしまう!! いや自分で言っておいてなんだけど意味不明だ!!!」

「いえいえ……私も負けてはいませんよ」

 次の瞬間、後ろから追尾していた鑑真の光が、唐沢の光と重なった! そして二人は軌道を変え、空中へと舞い上がったのだ!!!

「ええっ!?」

 空中で激しいぶつかり合いを繰り広げる二人! 火花が飛び散り、まるで太陽が二つになったかのように照らし出される空!! 僕は眩しくて直視することができなかった! 一体空の上では何が起こっているんだ!?

「うおおおおおおーーーーーーッ!!!!!!!」

 そして、ひときわ大きい閃光が空を彩った! そして次の瞬間、空から一人の男が落ちてきたのだ! みんなが騒ぎ出す!!

「これは……」

「どっちが勝ったんだ!?」

「いやいやみんな、そういう勝負じゃなかったんじゃないか!?」

 そう言ってはみたが、一方がぶつかり合いに負けて再起不能になれば、おのずともう一方が勝つことは自明でもあった。僕たちは、落下した男のもとに駆け寄った。一体、負けたのは誰なんだ!?

「唐沢先生……」

 そう! 空中戦を制したのは、ジェットパック・鑑真だったのだ!!

「大丈夫ですか先生!?」

 唐沢はうう、と唸り声を上げた。どうやら命に別状はないらしい。

「俺は……負けたのか?」

「どうやら、そうみたいです。見てくださいあれを」

 僕はそう言って、空中に浮かぶ光……鑑真を指さしたのだ。

「負けた? 俺が……鑑真に?」

「はい」

「う……嘘だ嘘だ嘘だーーーーーッ! あいつなんか本物の鑑真じゃないーーーーーッ!!!」

 まるで子どものように、河原に寝転がってジタバタし始める唐沢!

「先生、負けたんだから認めましょうよ。いやまあ、勝ち負けで鑑真かどうかが決まるって理屈自体、いまだに意味不明なんですけど」

「お前に俺の気持ちがわかってたまるか! 俺は……人生のほとんどを鑑真に捧げてきたんだ。その鑑真がジェットパックを背負っているっていうのは、俺の人生が全否定されたようなものなんだよ!!」

「先生もジェットパック背負ってるのに何言ってるんですか」

「とにかく俺は認めないーーーーーーッ!!」

 そう言って聞かない唐沢。僕が困り果てていると、ジェットの音が近くのが聞こえた。空から鑑真が降りてきたのだ。

「……あなたは、それほどまでに私のことを尊敬してくれていたのですね」

 鑑真は、教科書で見たような優しい顔で唐沢のことを眺めた。そしてこう言ったのだ。

「それにはとても感謝しています。ですが、私はただの、ジェットパックを背負った普通の僧侶に過ぎません。皆さんにありがたがられるような、そんな大層な存在ではないんです」

「鑑……真……?」

「きっとあなたは、私から卒業すべき時なんですよ。私に従う生き方をやめて、これからはあなた自身の人生を生きてください」

 卒業。その言葉を聞き、意味を理解した後、唐沢は首を横に振った。

「嫌です。俺はあなたを常に心の支えにしてきた。昔ダメな奴だった俺を、あなたは救ってくれた。いまあなたがいなくなったら、俺は昔のダメな自分に戻ってしまう気がする」

 弱々しい目で鑑真を見つめる唐沢に対し、鑑真は「いいえ」と語りかける。

「確かに私の存在は、あなたが強くなるのを助けたのかもしれません。しかしそれは必ずしも、私がいなくなったらあなたがまた弱くなるということと同じではありません。あなたが私を通して身につけた強さは、私がいなくなっても残るからです」

「鑑真がいなくなっても、残る……?」

「例を挙げましょう。私は確かに、ジェットパックがあるからこそ自由に空を飛ぶことができます。その自由さを経て、私の心にも、自由が生まれました。これがいわゆる『悟り』です。私はジェットパックによって悟りを開いたのです。しかしその悟りは、ジェットパックを取り除いたからといって無くなるものではありません。これと同じことです」

「……」

「大丈夫です。あなたはもう十分、強くなられたはずなのです。もっと自分に自信を持ってください。それが、長年あなたの心に住んでいた私からの、最後の言葉です」

 鑑真と唐沢はしばらく見つめあっていた。

「鑑真がいなくなっても、俺は強くいられる、か……」

 唐沢は、そう自分に言い聞かせているようだった。そして、決心がついたような顔で、鑑真に向けてこう言った。

「ありがとう。その言葉を、自分は一生忘れないでしょう。私はあなたに恥じないよう、強く生きていきます。それがきっと、ずっと尊敬してきたあなたへの、一番のはなむけになるでしょうから」

 それを聞いて、鑑真はニコッと笑ってみせた。そして朝、教室でそうしたのと同じように、二人は固い握手を交わした。その握手は朝の握手と比べて、より血が通っているもののように思えた。間もなく沈もうとしている夕日が、二人の友情を熱く照らし出していた。僕たちは二人に拍手を送った。

「それでは、私は行きます」

「え、行くってどこに行くんですか」

 僕は鑑真にそう尋ねた。

「400年ぶりに目覚めたので、現代の中国がどうなっているか、この目で確かめたいのです。ですから私は、中国へ飛びます」

「どうなっているかって……多分、昔の唐の方が技術の水準は高いですよ」

「それでもいいのです。進歩だけが、歴史の流れではありませんから」

「なんか悟っているようなセリフですね。いや実際悟っているのか……」

 鑑真が合掌し、そのあと、僕たちに背を向けた。

「では……さようなら」

 ボボボボボ……おぞましい音とともに鑑真は煙を噴射し、空へと舞い上がった。あっという間にとても高いところまで昇ってしまった。そして鑑真は、ジェットパックから色のついた煙を噴射し、空に文字を描いた。「Thank you!」である。

(なんで英語なんだ!?)

 そんなことを思いながら、僕は遠くなってゆく鑑真を眺めていた。……あっという間の出来事だったけど、相当印象深い経験だった。多分僕は今日のことを一生忘れないだろう。いろんな意味で。それはもちろん、僕の隣で空に向かって手を振っている唐沢も同じだ。唐沢は、鑑真が見えなくなったずっと後になっても、やはり空を眺めていた。

「さようなら、鑑真……」

 唐沢の目から、光るものがこぼれ落ちた。

 その背中では、夕陽を受けて、ジェットパックがギラリと光っていたのだった。

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ジェットパック・鑑真 michymugicha @michymugicha

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