第5話
以上が、僕があの夏経験した話になる。
口伝とはいえそのような恐ろしい伝承が残っていることから、近しい事は起こったという可能性は決して低くはないだろう。
もっとも今の僕にとっては調べる余裕も時間も存在しないのだから、最早どうでも良いのだけれど。
重要なのは……逮捕された連続幼女殺人事件の犯人が、この時の毛むくじゃらのおじさんだったという事。
何度見ても間違いない、ディスプレイに映し出されていたのはあの時の毛むくじゃらのおじさんに他ならない。
毛むくじゃらのおじさん、いや小丸容疑者。
彼が行った犯罪行為は田平の行ったとされる行為と酷似しすぎていた。
幼女を攫い、解体し、その一部を調理し、食べていた形跡が見つかったという。
部屋の中からは少なくとも4人以上の遺体の痕跡が見つかっていると報道されている。
まだ報道はされていないが、この先の事も僕にはわかっている。
おそらく切断された幼女の頭部には穴が開けられ、そこから脳を引き摺り出していた形跡があるに違いない。
あの夏の翌年、祖父が亡くなった為瘤木村に再訪する事になった。
そこで僕が目にしたのは枝が綺麗に治った例の奇妙な大木……アオジシの木だった。
僕があの日、おじさんたちに切られる前に見たままの形に、折れた箇所から緑の若木が生えていた。まるで接木のように。
切断した箇所から全く同じように若木が生えてくるなど通常ありえない。
田平の首塚を飲み込んだ木の枝を切り落とした小丸は田平のように狂い、幼女を攫い殺害していた。
恐らくは田平と同じように脳を好んで啜っていたのだろう。
頭蓋に穴をあけ、そこに口をつけて舌を伸ばし、ちゅるちゅると。
それは、枝を切り落とされたあの木が、そうアオジシの木が再生するため必要な犠牲だったのではないか。
祖父と松村さんはただの昔話だと言っていた。
それはどこにでもある悪趣味な逸話なのだと。
確かにその通りかもしれない。実際隠された黒い歴史がどこにでもあることはその通りだとも思う。
だが僕はこの話が正しい物であると半ば確信していたのには理由があった。
瘤木村に伝わっていた話には現代の情報と照らし合わせてもつじつまの合う部分があるのだ。
クールー病。
異常プリオンにより伝染する治療不能の脳変性疾患だ。
パプアニューギニアで発見されたこの病気は、人が埋葬した人の死体を食べる事で感染するのだと知られている。
クロイツフェルト・ヤコブ病(狂牛病)として一時大騒動になったのは当時幼かった僕ですらぼんやり覚えている。
これは肉牛を効率的に育てるため、同じ牛の骨肉片を与えたことで広まったのだ。
つまり、生物に共食いさせたことで発生した疾患なのだ。
ウイルスや細菌ではなく、異常なたんぱく質をコピーする事で感染し、人が狂っていく。
人の肉体、とりわけ脳を喰らう事で発症し、治療法はない。
感染する事で震えを来たし、徐々に狂い、最終的には必ず死ぬ。
……言い伝えられた田平の症状はこのクールー病にそのまま符号するのではないか。
そんな病気の科学的な知識の無かったはずの時代から口伝で伝えられた話なのに、これは偶然の一致といえるのだろうか。
恐らくは、田平がアオジシたちの脳を好んで捕食していたという部分は正しいのではないかと思う。
飢饉から村の人を救うため、愛する娘を村人に振舞い、
そして、村人を救うため多くのアオジシを狩り、最後は村人によって葬られた哀れな男。
彼の怒りは、呪いは如何ほどだっただろう。
そして田平がバラバラにされ、封印されたとされる石標を飲み込んだ大木。
その枝を四人組のおじさんたちはのこぎりで切ってしまった。
その行為によりあのおじさんが、小丸容疑者が田平の呪いにあてられたのだとしたら。
だったら。
だったら、あの時バス停で、田平の身体の一部を封印したであろう石標そのものを蹴り倒した僕には一体何が起こるのだ。
バス停で降りた時、草むらの中で何かに足をぶつけた。祖父と松村さんに話を聞いた後、僕は気になって自転車を借りてバス停に戻った。
草むらの中で目にしたのは、ぼきりと折れて転がる古びた石標だった。
それからというもの、僕はおかしくなってしまった。
ゆっくりと、けれど確実に。
まるでクールー病に犯された田平の症状を辿るかのように。
違う違う、僕は違う。
そんな事をしたいわけじゃない、そんなはずがない。
それなのに、僕は涎が止まらない。
「いったい、ぼくはどうしちゃったっていうんだよう」
――ぐいでえ。ぐいでえ。
いくら耳をふさいでも、ずっと僕の内側から声が響き続けている。
僕は薄暗い部屋の中で自らの衝動に抗い、すすり泣いていた。
だが僕のすすり泣きとは別にもう一つのすすり泣きが耳に入る。
部屋の真ん中に転がされ、縛り上げられた少女を見て、僕はただ震えていた。
しばらくして、僕は側に在ったノミとハンマーを手に取った。
アオジシ 猫文字 隼人 @neko_atlachnacha
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