人間嫌いの観察記

蒼狗

人間嫌いの観察記

 人に対する怒りが鎮まることはない。

 あとから来たくせに、勝手に木を切り倒し、住処を作って居座るあの姿勢。腸が煮えくり返りそうだ。

 に力があれば、視界に入る人間共を消し炭にしてくれるのに。

 こうやって手を前にかざしても、吾にはそんな力は存在しない。

「まじやべぇわ」

 目の前を通った人間が、吾の足下にゴミを捨てる。飲み物が入っていたのだろう。裾に滴が飛び跳ねてきた。

「……ああ、腹が立つ」

 足下に転がるゴミを掴み、人間の後頭部めがけて思い切り投げつける。力一杯、頭が吹き飛ぶのを想像しながら。

「痛!」

「どうしたん?」

「わかんねぇ、頭になんかあたって……ってさっき捨てたゴミだ」

 振り返った人間二人と目が合った。いや、目があった気がした。

「なにもねえな」

「何だったんだ、気味わりぃ」

 人間達はそのまま歩き去っていく。足下のゴミもそのままにして。

 もう一度投げつけてやろうか。いや、投げたところで何も変わらない。

 吾は人に気づかれることはない。存在はするが、人が吾を見ようとすると認知することができなくなる。それが吾の力だ。人間の言う神という者に近いのだろうか。

 一時期はこの力を使って嫌がらせをしていた。しかし「鎮めるためだ」と、新しい建物を建て始めたのでやめた。放って置いても勝手に増えていったのだが。

「ああ、腹が立つ」

 空を見上げる。昔は広かったはずの空は、人の作った物のせいで狭くなっている。

 あの軟らかい土も、硬い石の下に埋まっている。爽やかな風も、鋭く不愉快な冷たい風になってしまった。

 すべて、人間が作り替えてしまった。

「……腹が立つ」

 人間もそうだが、吾自身も変化の恩恵を受けているのが腹立たしい。

 昔から一日中座っていた岩は、木を加工した座りやすいベンチという物に変わった。

 食べる物も、木の根から生米へと変化し、今はドーナツという甘い物になった。

 何百年、何千年と眺めてきたが、これほど快適に過ごせるようになるとは思いもしなかった。

「……」

 ベンチに座り、ドーナツを頬張る。

 口に広がる甘さを噛みしめる度、怒りが静まり、また再燃していく。

「……なにもできぬ吾が、一番腹立たしい」

 口にドーナツを押し込み、二つ目のドーナツを取り出す。

「早く早く!」

 眉間に皺を寄せる吾の前を、幼子が走っていく。どの種族も、幼子は悩みなどなさそうで羨ましい。

「置いてっちゃ、あ」

 何事かと思い、ドーナツへ落ちていた視線を上げる。前をよく見ていなかったのだろう。幼子の小さな足は、道に捨てられていた丸い缶を踏みつけていた。

 同時にドーナツも、吾の手からこぼれ落ちた。

「大丈夫? きちんと前を向いて歩きなさい」

 おそらく母親なのだろう。吾の上にいる幼子を叱りつける。幼子自身は何が起こったのかわかっていないまま、母親の言葉に相づちを打っている。

「早くどいてくれんかな……」

 吾のつぶやきが聞こえた訳ではないのだろうが、幼子の手を母親が掴み、吾の上から持ち上げる。

 すんでのところで吾が下に入ったおかげで、幼子にけがは無かったようだ。

 片手を母親の手に掴まれながら、幼子達は離れていく。

「ゴミを捨てたあやつらめ。今度見かけたら覚悟しておけ」

 立ち上がり、ベンチへと戻る。足下にはドーナツが落ちている。

「おのれ人間め……」

 砂の付いたドーナツを拾う。砂を払えば食べることができるだろう。

 ふと、去り際の幼子の顔を思い出す。母親を見上げる中で、一瞬だけこちらを向いて笑ったあの顔を。

「……あの幼子が大人になるくらいまでは、もう少し見ててやろうか」

 ドーナツを一口食べる。一動作忘れて食べたドーナツは、甘い砂の味がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人間嫌いの観察記 蒼狗 @terminarxxxx

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ