第五話 山間の街道で
柵一つ無い、土色の崖の淵に沿うようにして作られた街道の上。茶色い馬が繋がれた馬車が、小石を勢いよく吹き飛ばしながら、その四つの脚と車輪を高速で回していた。
下り坂を落下するかの如く駆け降りる馬車の背後には、がさがさとした緑色の肌を持つ数体の小鬼が、こん棒や折れた剣を片手にそれを追いかけているのが見える。こうして人間が城壁で守られた国々の外で魔物に襲われる事は、ごく日常的な物であった。
そんなありふれた光景を谷を挟んだ向かい側の山、頂上付近の崖に腰かけながら見据えている、一人の少女と一匹の大狼がいた。珍しい黒髪と黒い瞳を持つ、旅人の少女は額に手を当て、真上から降り注ぐ陽の光を遮りながら言葉を発した。
「……あそこ、誰か襲われてるね」
少女の言葉に反応して、少し後ろで寝ころんでいた大狼が返事を返した。
「……そうか」
黒髪の少女は振り向き、ごく低い声でそっけなく返した大狼に感情の薄い声で答える。
「どうしよっか、あれ。助けようか?」
「……好きにするが良い。我は従うまでだ」
「うーん…………」
黒髪の少女は腕を組み、足を崖からばたつかせながら少し考えた。そうしている間に谷を挟んだ向こう側で小鬼に襲われていた馬車は何かに躓き、少女にも僅かに聞こえる音を立てながら崖際の街道に横転していた。
「……あーあ、あれはダメそうだね……うん、決めた。見て見ぬふりをしよう。私はただの旅人であって、スーパーマンじゃないからね」
黒髪の少女の答えに、大狼は特に驚く事も無く、
「それが良い。どの道、今から向かったところで間に合わぬであろう……すーぱーまんとは、何だ……?」
「うーん、勇者様みたいな意味かな…………あーあ、あの人達丸腰みたいだ……」
緊張感の無い会話をしていた黒髪の少女が再度見据えた視線の先、横転した馬車から数人の男が這い出して来ていたが、武器の様な物は持っていなかった。周囲を囲った小鬼達は醜悪な笑みを浮かべながら、その様子を見ているのだろうと少女は思った。
「ちょっとくらい腕の立つ人が居たら敵じゃないよ、あんな魔物……護衛くらい雇えばいいのに。いやな物見ちゃったなあ、私たちは景色の良い場所で休憩していただけなんだけど……」
「あれは、小鬼共か。あれは狡賢さだけは長けておるからな。一人でもあの中に剣客が居れば、はなからあの馬車を襲う事も無かっただろう」
「小鬼ねえ。あいつら、臭いし、真っ先に食べ物を盗んでいこうとするからキライ」
黒髪の少女の背後にいた大狼も崖際に立ち、遠くで起こる惨劇を、その青い瞳で眺めている。そして一人と一匹の視線の先、馬車を中心に肩を寄せ合っていた男達に向かい、遂に小鬼が一斉に襲い掛かった。飛び散る血飛沫。少し遅れて微かな悲鳴が聞こえる。なんとか逃げようとした者も簡単に飛びつかれて、背後から折れた剣を捻じ込まれている。
「うわー、容赦ないね……」
そうして呟いている内に、小鬼達に襲われたキャラバンは呆気なく全滅し、身包みも、馬車に積まれた荷物も、そして命も、全て奪われてしまった。その場に残ったのは馬車の残骸と、雑に解体された馬、そして赤色の点になった男達の骸だけだった。
黒髪の少女は息を吐きながら、
「……女の人がいなかったのがせめてもの救いだね。生きたままあれに捕まったら恐ろしい事になるって話は、色々な国で聞くよ」
「あれらは他の生き物全てを憎んでおるからな。人間の女はさぞ遊びがいのある玩具なのだろう」
「……なんか言い方が嫌らしいね」
「事実を言ったまでだ。あれらは少しばかり知能はあれど、所詮は魔物に過ぎぬ。深い意味など持ち合わせてはおらんだろう」
そうして隣に立つ大狼に、苦虫を噛み潰したような顔を向ける。少しだけ静かになったこの場所には、砂を含んだ風が吹く音だけが聞こえている。
少しの静寂の後、黒髪の少女が呟いた。
「……もしかして、魔物なら皆そう思ってたりする?」
「ぬかせ。我は高貴なる種族の末裔。下等な者共と同等に思われては、気が収まらぬわ」
「そっか……まあそうだよね。もしそうだったら、とっくに私食べられてるもんね?」
「ふん。お主以外の人間等、どうでもよいと思っている事は確かだがな」
「……ふーん、そっか」
鼻を鳴らし、威張る様に背筋を逸らせた大狼の姿に、黒髪の少女は微笑みながら言葉を紡いだ。
「……よし、いこっか、ネルフィ。嫌な物見ちゃったけど休憩は終わりだ。今日中に、次の国まで着くと良いな」
そうして白いコートに付いた砂を払いながら立ち上がり、ネルフィと呼ばれた大狼の背に取り付けられた鞍に飛び乗った。ネルフィは軽く頷き、そのままキャラバンの亡骸とは反対方向へと駆け出して行った。
ナギサの旅路 ―the solitude outlander― 夏村シュウ @kamura_shu
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