第四話 死んだ骸骨の国・後



 扉に入るとすぐに崩れかけた階段があり、気を付けながら登って行くと、キールが薄暗く、埃っぽい場所と共に出迎えてくれた。


 床さえまともに見えないので、ナギサはネルフィの背に乗せた荷物の中から、油脂を燃料に用いるランタンを取り出し、火打石で火をつけた。そこには殆どが粉々に割れ、雨風を防ぐ機能を失った窓が包む、一つの部屋があった。几帳面に並べられた本棚と、木の椅子と机、そしてその上に置かれた、青く輝くブローチ以外の物は何もない。

 殺風景な部屋の中はまるで生活感が無い。勿論、既に人間ではないキールの住処である筈なので、当たり前の事でもあった。


「さあ、どうぞ! 座って! ああ、ネルフィさんが座る場所が……」


「我は床でも構わぬ。少し息が詰まるがな」


 キールがはしゃぎながら椅子を引き、ナギサ達に声を掛けた。ナギサはそれに応じて、がたがたとあまり座り心地は良くない椅子に座った。ネルフィは床に座っている。

 キールはそのままナギサの向かい側に腰かけて、改めて挨拶から始めた。


「改めまして、キールと申します。ナギサさん。ネルフィさん。ようこそいらっしゃいました」


「ご丁寧にどうも」


「はは、久々の来客だ、何から話そうか……お茶も出せずに、すまないね」


「お構いなく、大丈夫ですよ」


 腕を組み、悩むような仕草と共に話すキール。表情は何一つ分からないが、やはり感情豊かな人物の様だ。


「では、まずはこの国について、お願いしてもいいですか?」


 ナギサが訪ねた言葉に、キールはすぐに反応した。


「ああ、分かった。ここは、そうだな。学問が発達した国だったんだ。ほとんどの人間が何かを研究していてね。僕も、魔物の生態なんかについて、良く調べてたんだよ」


「だから、ネルフィの種族名も分かったんですね」


「そうだね。しかしその、青い瞳と白い毛を見た時は、本当に驚いたよ。まさか今の時代にも存在しているとは、思ってもいなかった。人の言葉を理解できる点も、文献に書いてあった通りだ。ファルネタールの森かどこかで、何か契約を結んだのかい?」


 先程より少し落ち着いたのか、キールは冷静で、学者らしい知的な雰囲気を醸し出している。


「いえ、まあ、ネルフィとは色々あって、一緒に旅をしています」


「……その様子だと、あまり深くは聞かない方がよさそうだね。これもそうかもしれないけど、君達はどうして旅を? こんな荒野の、辺ぴな所まで巡る人はそうそういないよ」


 キールの問いかけに、ナギサは少しだけ考えて、話した。


「私は、住みたい国を探しているんです。元居た場所は少し遠い所で、そこでもまあ、色々あって。それで、人から聞いた国に片っ端から行ってみて、その国がどんなところなのかを見て周っているんです」


「遠い所……確かに珍しい髪色と顔立ちだ。まあ、深くは詮索しないよ」


「助かります」


 キールの思慮深い言葉に、短く呟いたナギサ。生前はきっと、やさしい人間だったに違いないと、ナギサは思った。

 聞いても良い物か一瞬迷ったが、ナギサはキールに、この国について深く尋ねる事にした。


「それで、良ければなんですけど、この国がこうなってしまった理由なんかは、聞くことは出来ますか?」


 その言葉に、キールは迷う事無く明るい口調で話し始めた。


「ああ、良いよ。些細な事さ。僕と同じ、魔物を研究してたやつがいたんだけどね。そいつがへまをして、檻に入れてた魔物を外に出しちゃったんだよ。その魔物はそこそこ頭も良かったみたいで、門を開けて城壁を壊し、仲間まで呼ばれてね。後は御覧の有様だ。半日とかからなかった」


「そう……ですか……」


「ああ! 気にしないで! 僕にとっては、そこまで悲しむ事じゃないんだ……なんでだっけ……そうだ、そうなんだよ。死なずに済んだんだ。あの人は……」


 キールはそう言い、机に置いていた青い宝石のブローチに、欠けた左手をそっと伸ばした。薄暗い室内で、ランタンの灯りだけがそれを暗闇に映し出し、美しい輝きを放っている。

 顔は動かさず、無意識の内に触れたかのようなその仕草に、ナギサは若干戸惑いながら、言葉を返した。


「えっと、そのブローチは……」


「ブローチ? ああ、これの事か。これは……僕の大事な物だ。あれ、なんで大事だったのか……こうなる前からずっと…………何故……誰が……」


 空虚な頭蓋骨に、表情が浮かんだと錯覚するほどに、哀愁の漂った声。ナギサは黙って、その後の話を聞いた。

 一〇秒ほど待つと、キールは急に明るい声で、


「これは……そうだ、思い出した! 僕の、奥さんの物さ。もう何年も会ってないけどね」


 そうしてキールは、思い出を少しづつ解す様に、語り始めた。


「六年前、くらいかな。あの人が旅に出たのは。こんな国だからね、彼女も学者をやっていて、地質の調査に遠くへ向かったんだ。だから、この国で魔物に襲われて、死んだなんてことは無い。もしかしたら、僕の知らない所で、もう死んじゃってるのかもしれない。けれど、僕は信じたいんだ。彼女は生きてるってね」


 その表情に浮かんだ気がしたのは、愛だった。ただ純粋に相手を思う、人間らしい生きた感情。文字通り死んだ国の廃墟には、あまりにも不釣り合いな物だった。


「まあそれで、これは彼女が旅立つときに貰った物なんだ。私の代わりだと思ってねって……はは、思い出したら笑えるよ。男勝りな性格の彼女には、とても似合わない仕草で渡されたんだよ、ははは!」


 揺れた頭蓋骨が、からからと、乾いた音を立てた。


「……それを少し、見させてもらっても?」


「ああ、構わないよ。どうぞ」


 キールは一切の迷いも無く、欠けた手にブローチを乗せて、それをナギサに伸ばしてきた。恐る恐るブローチを手に取ったナギサは、それを観察した。

 美しく、丁寧に切り取られた、透き通る様な青。それは、ある言葉が刻まれた台座に埋め込まれており、どこを見ても汚れ一つない。この廃れた場所で、キールが忘れていてさえも、一番に大事にしていた物なのであろう事が分かった。

 そしてそれは、ナギサにとっても一番知りたかった、大事な事を教えてくれた。


「……綺麗ですね」


「そうだろう! なんたって僕の奥さんがくれた物だからね! 性格は全然だけど、見た目や雰囲気ならそっくりさ! ははは!」


「……そうですね」


 そうしてナギサは、向き合ったキールの手元に、それをゆっくりと置いた。


「ありがとう、ございました」


「いいんですよ、ナギサさん。どうせ今後、僕以外誰も見ない物だろうしね」


「その人に、会いたくはないんですか?」


 ナギサは真剣な表情で、キールに言葉を発した。

 キールは少し考えているのだろうか、数秒動きが固まり、そしてすぐに喋りだした。


「そうだね……今、君の言葉を聞くまで、会えると思う事すらしていなかったよ。顔すら思い出せなかった。僕はこんな姿だし、外に出る訳にはいかない。出たらすぐに魔物と間違われて……いや、そもそも僕は、既に魔物なのかもしれないね」


「……話が出来る魔物は、そうそういません。話さえ出来れば、人だと分かってくれるかも、しれない」


「そんな筈が無いさ。知識の無い者はすぐに恐れ、すぐに殺す。見下す訳じゃあないけどね。逆に君たちは本当に優しい。よく、のこのこと目の前に現れた僕に切りかからずに、話まで聞いてくれているよ……本当にありがとう、心から礼を申し上げたい」


 キールはそのまま、優しい声色で続けた。


「そうか、本当に、考えてもいなかったな……僕は彼女に会いたいんだろうか? どうして忘れていたんだろうか……本心では、そう思っていたのか……? こんな姿で生きているのも、きっとそれが理由なのかもしれないな……未練……魔物の力が……ヴァールタイトの……」


 キールはそうしてナギサには分からない言葉を呟きながら、急に考え出してしまった。ナギサは慌てて、先程の言葉の回答を貰おうとした。


「あの、それで、キールさん。今、会いたいと思いますか……?」


「……ああ! すまない、職業病だね。つい考え込んでしまった!」


 生前の性格が思い起こされる、陽気な声色。キールはそのまま続けた。


「そうだね……会いたいと思っている訳じゃあ、無いかもしれない。彼女は研究熱心な人でね。今もきっと、どこかで調査をしているんだろう。それを僕の都合で邪魔しようものなら、きっと尻を蹴り上げながら、怒られてしまうよ! ははは!」


 からからと音を鳴らし、楽しそうに笑うキール。ナギサが見たその姿や声色には、不思議と全く悲しさは無いようにも思えた。


「ああ、今。ナギサさんと話して、やっと分かった。僕は彼女に会えなくてもいい。寂しくなんかない。彼女の代わりにこれさえあれば、きっと大丈夫だ。靄がかかっていた気持ちが晴れた気がするよ!」


 その陽気な言葉に、ナギサは再度、同じ言葉を呟いた。


「キールさん。本当に、いいんですか?」


「もちろんさ。なんたって僕の奥さんは、こんな辺ぴな場所で静かに暮らす僕の元に、わざわざ帰ろうとは思わないだろうしね! もしもこの『会いたい』と思っていた気持ちが、僕を生かしていた未練なのだとしたら、これできれいさっぱり消えてしまったかもしれないね! ははは!」


「そう、ですか……」


「ああ……ナギサさん、ありがとう。こんな死んだ人間にやさしくしてくれて。僕は大丈夫さ。この君が言った、ブローチ、だっけ? これがあれば大丈夫。彼女の代わりに、僕の傍にずっといてくれるんだ。声も、姿も、思い出も、全部思い出せた。それだけで、僕は良いんだよ」


 キールはブローチを大事そうに、欠けた手の平にのせて、真っ黒で虚ろな瞳でそれを見つめている。ゆらゆらと揺れるランタンの光が、それを美しく輝かせていた。

 ナギサはそっと微笑み、その言葉に返した。


「お役に立てたようで、なによりです」


 するとキールは、先程の言動を急に照れ臭く思ったのか、ブローチを持ったまま慌てて立ち上がり、感情をはっきりと表しながら声を発した。


「は、ははは……! すまない、こんな話を会ったばかりの女の子にしてしまって……! 我ながら恥ずかしい事を言っていた……! も、もう日が暮れて来ているし、僕は寝るよ。この部屋は君たちが使ってくれ。僕はあっちの狭い部屋でも良いんだ」


 そうしてキールはからからと骨を鳴らし、部屋の奥にあった小さな扉へと向かいながら、


「ああ、それと、夜は魔物の心配はしなくてもいい。この国には、もう奪えるようなものは何一つ残っていないからね。絶対に来ない。魔物学者の僕が言うんだ! 信じて欲しい」


「……ありがとうございます、キールさん。では私達はここで。お休みなさい」


「ああ! それじゃあ!」


 ナギサと一言挨拶を交わし、その扉の中へと入って行った。



「……やっぱり――――」


「……話は、終わったのか?」


 独り言を呟きかけたナギサに、眠りかけていたのであろうネルフィが久々に声を発した。


「ご、ごめんね、ネルフィ。ここで寝るから、荷物もおろしてあげるね、よいしょ……」


 ナギサはネルフィに巻き付けていた革紐を解き、荷物やくらを全て地面に下した。


「これで大丈夫だよ、重かったよね?」


「ふん、この程度の重み、高貴なる我にとっては何も感じぬ」


「強がっちゃって……ふふ」


 いつもの様に見栄を張るネルフィに、ナギサは微笑んだ。

 そうしてそのまま簡単な食事をとってから、眠りについた。





 翌朝、目が覚めたナギサは、真っ先にキールが入って行った部屋に向かった。

 窓が一つだけついた埃塗ほこりまみれの狭い部屋。そこにキールは、もう居なかった。床には、緑色の千切れたローブの下に埋もれた人骨と、青色の宝石が輝く、ブローチだけが残されていた。


 立ちつくすナギサの様子に気づいたネルフィがそっと近寄り、言葉を掛けた。


「……ナギサ」


「…………うん」


 ナギサはただ呟いた。そして何も言わず振り返り、ネルフィの背に荷物をまとめ始めた。ネルフィはそのままの姿勢で言葉を返した。


「あれは既に死んでいたのだ。分かっていただろう。何故そうまで……」


「……うん……サリアさんの、旦那さん、だった……」


 ナギサのつぶやきの意図を、ネルフィは察した。


「……ふん、そういう訳か。ナギサがあの男をやけに丁寧に扱っていた訳が分かった。それならば、あの青い石を代わりに持っていってやればどうだ?」


 ネルフィの提案に、ナギサは表情を見せない様に気をつけながら返した。


「う、ううん。いいの。あれはもう、キールさんの物だから。勝手に持って行く事は出来ないよ。それに、サリアさんと会う事も、きっともう無いんだから」


「……そうか……そうだな」



 低く呟くネルフィの背に荷物をくくり、その他の準備も終えたナギサは、廃屋を出る前にもう一度だけキールが居ない部屋に戻り、青色のブローチに向かって微笑みながら呟いた。



「……サリアさん、言っていた通り、ここはすごく良い国でした。あなたの大切な人も……キールさんも、すごく、良い人でした。ありがとう」



 ナギサは振り返り、ネルフィにも、笑顔を向けた。


「行こ? ネルフィ。次こそは食べ物のある国を探そう」


「分かった……今日は晴れそうだな」


 そうして一人と一匹は、灰と赤土に埋もれた、死んだ国を後にした。



 陽の光が差し込む廃屋の狭い部屋に残された、青い光を放つブローチ。

 二人の名前と共に刻まれた言葉は、ただ一言だけだった。



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