第三話 死んだ骸骨の国・前



 草一つない、赤土の大地。

 厚い雲が天を覆い、昼だと言うのに薄暗い。そんな世界の下に、一つの国があった。

 ぱっと見で分かる程に、その国の中は荒れ果てていた。音も、風も、人影も無く、そこにあるのはただ朽ちてぼろぼろに崩れ落ちた木造の家屋や、割れた石畳、そして転がる、布切れを纏った人骨だけだった。魔物に襲われたのか、戦争があったのか、はたまた飢饉か。いつ滅んでしまったのかも分からない程に風化した国が、誰一人として来訪者を歓迎する事も無く、ただそこにあった。


 そんな国の開け放たれた城門の前に、一人の少女と、白色の大狼が立っていた。

 荒れ果てた土地でなお、美しい毛並みを持つ大狼。ウルネルフィートと呼ばれるその大狼の背には、雑多な荷物や旅道具一式が纏められた布袋を乗せられており、その重さを一切感じさせることも無く、優雅な足取りで灰色の城壁の中へと歩き出した。


「うわー、酷いありさまだ。言っちゃあ悪いけど、今回も外れだったね、ネルフィ。あの人に聞いてた話と全然違うや。こんな所じゃ住むことはもちろん、食べ物を見つける事も出来そうにない。強いて言うなら、魔物だけは出そうな雰囲気はあるね」


 大狼と共に歩く、少女が呟いた。

 白色のジャケットのフードに手を掛け、顔を出しながら、ネルフィと呼ばれた大狼に視線を向けた少女。その端正な顔立ちは若々しく、華奢なその身で振るうにはいささか似合わない、短めの直剣を腰に吊るした黒い鞘に納めている。そして珍しい黒色の、肩にかかる程度の長さの髪を揺らしながら、少女は続けた。


「結構走ったんだけどなあ。いい加減、人の姿が恋しくなって来たよ。もう何日も、誰とも会ってないや」


「……我にとってはそれよりも、食料の問題が深刻だ。いい加減ビスケットとやらにはうんざりしているのだ。ナギサはあれが美味いと思って食っておるのか?」


 ナギサと呼ばれた少女は、その威厳を感じさせる、低めの声で静かに呟いたネルフィに、ため息と共に言葉を返した。


「思ってるわけないじゃん。固いし、不味いし、パサパサするし。スープにでも浸せばいいんだろうけど、あんまり水を無駄にするわけにはいかないからね。こんな荒野じゃ補充できる場所を探すのも難しいし、それはあんまりしたく無い」


 ネルフィの背に乗せられた木製のボトルに手を掛け、中身を確認しながらナギサは呟く。

 一人と一匹が歩く道には、灰と埃と赤土が混ざった物が降り積もり、歩く度に粉塵を舞わせる。時折転がる人骨はその空虚な暗闇を唯一の生者に向けながら、寂しそうにそれらに埋もれていた。

 辺りを見渡しながら、ナギサはネルフィに話しかけた。


「しかしここ、いつ滅んじゃったんだろうね。見る限りでは大分昔にこうなっちゃったみたいだけど……街の様子的にもあんまり発達してる感じはしないし、缶詰みたいなものも期待できないよなぁ……うわっ、骨、蹴っちゃった」


「我が思うに、ここは魔物に襲われたのだろう。恐らく、数年前からこのようになっていた筈だ」


「どうして分かるの?」


「我も人間が呼ぶ、魔物だからだ」


「説明になってないよ……」


「感覚で分かるのだ、ナギサよ。それにみろ、この人間の骸を。逃げまどい、そして骨ごと喰いちぎられた跡がある」


 道の端に寝転がった人骨に歩み寄りながら、ネルフィが示した。ナギサも近寄り、座り込んでそれを観察する。腕を道の先、城門へと伸ばしながら果てたそれは、今となっては表情すら分からない。ただ脇腹が完全に骨ごと無くなっており、人ではない何かに襲われたのであろう事は明白だった。

 ナギサは立ち上がり、白いジャケットについた汚れを払いながら呟いた。


「まあいいや、ここに食べ物が無くても、どうせ今から他の国に向かう時間はない。今日はこの国に泊まらせてもらおう」


「そうだな……我としては魔物でもよい、何か肉を持った生き物が出て来て欲しいものだ」


「……私を食べないでね、ネルフィ?」


「主を喰らう者がいる筈が無かろう。無駄話をしている間に早く寝床と、食える物を探して欲しい」


「はいはい、分かってますよーだ」


 ネルフィの侘しい表情に微笑みながら、ナギサはまた歩き出した。



 ごく弱い風が向かう先から吹き、枯れ草や降り積もる土を浮かせている。

 人が死に、草木が死に、国が死に、今ではたった一人と一匹だけが生きている、灰色の世界。その姿は良くある滅んだ国ではあるが、何時にも増して哀愁が漂っているかのようにも感じられる。


 そうして歩いていると、他のものとは違って頑丈な岩を積み上げて建てられた、砦にも似た二階建ての建物が見えて来た。見える範囲では、崩壊も免れている。


「ここ、良いんじゃないかな、石で出来てる。これならそう簡単に崩れる心配も無さそうだし、今晩はここに泊まろう。ちょっとカビ臭そうだけど、外よりマシだ」


 ナギサがその入り口と思しき、金属で補強された木の扉の前で立ち止まり、呟く。ネルフィも、


「構わぬ。ナギサが共にいるのなら、我はどこでもよい。牛舎や馬小屋以外であればな」


「また言ってるや。相変わらず嫌いだねえ」


「当たり前であろう。我は――――」


 そうしていると、不意に気配を感じた。ネルフィは低く唸りながら素早く振り返り、ナギサも併せて短い直剣の柄に手を掛けた。


「……気をつけろナギサ。何か居る」


「人、じゃないよね、多分これは」


 そして警戒するナギサ達の前に、それは現れた。

 家屋の陰から顔を出したそれは、節々が千切れ、血や埃で汚れた緑色のローブを身に纏う人骨だった。からからと乾いた音を立て、降り積もった赤土や灰を舞わせながら、一人と一匹に歩み寄っている。埃を被った顔面に開いた吸い込まれそうな程に真っ黒の、感情を一切感じさせられない二つの穴が、ナギサを見つめていた。


「……取り付かれてるのかな、骨が動いてる」


「あまり見ぬ……魔物、であろうか」


 ナギサは短い直剣を抜き、眼前の歩く人骨に向け、敵意を最大限に籠めた黒い瞳で見つめ返した。

 そうすると歩く人骨は急に立ち止まり、


「ああ……! ま、待ってください! 僕は、その、襲おうとか、そういうのじゃないので……!」


 かたかたと音を鳴らしながら、ごく普通の肉声で、言葉を発した。


「しゃ、喋った……」


「お、驚かすつもりでは無かったんです……! ただ、本当に久々に、人を見て、つい……」


 言語を話す人骨に向かい、ネルフィが大きく吼えた。そうするとまるで生きた人間の様に人骨は怯み、怯えながら言葉を続けた。


「ひいっ……ごめんなさい……ごめんなさい……! 本当に、襲おうとか、危害を加えようなんて思って無いんです……!」


「ネルフィ」


 その姿を見たナギサは一言呟き、威嚇するネルフィを制止させた。


「話くらい聞いてあげようよ。もし襲ってきたとしたらすぐに切ればいい」


「……まあ良い、ナギサの好きにするが良い。どうせあれは食えぬ。食えぬ者を殺めたところで、我の腹は満たされぬのだ」


 ナギサは短い直剣を前に構えたまま、怯える人骨にゆっくりと近づいた。

 同時にネルフィが再度吼えながら跳び、ナギサと人骨の間に立った。


「ひいぃぃ……! 食べないで……!!」


 尚も怯える人骨に敵意は無いと仮定して、ナギサはネルフィの横に立ち、警戒しながらも話しかけた。


「……少しでも怪しい動きをしたら、切りますからね?」


「は、はい……」


「そなたのどこを食えと言うのだ、骨しか見当たらぬ」


「そ、そうですよね……はは……確かにそうだ……」


 人骨はネルフィの言葉に反応し、正に生きた人間の動きで後頭部を掻いている。


「ぼ、僕はキール。見ての通り、死んでる、筈なんだけど。こうして骨になってまで生きてる」


 ナギサはその名前と、中世的な声に反応し、言葉を紡ぐ。


「生きてる……ね。どうしてここに?」


「ここは、僕の生まれ育った国なんです。三年位前に、魔物に襲われて。それからずっと一人で住んでる。その家が、今の僕の家なんだ。よ、良かったら、中で話しませんか? 本当に、本当に久々で……その、人と会うのは。も、もちろん、襲おうなんてこれっぽっちも考えていないよ! ウルネルフィートを連れた旅人に、敵う訳が無い」


 キールと名乗った人骨は、先程ナギサ達が見つけた岩の家屋に、欠けた指をさしながら話した。

 人語を話す以上に、ネルフィの素性を知っていたことに、ナギサは顔に出さぬよう驚きながら、言葉を返した。


「……キールさん、良く知ってるんですね」


「昔は、この国で学者、いや教師をやっていたんだ……き、君達の、名前は?」


「教師、ですか……私はナギサ。こっちはネルフィ。いいですよ、どうせこの国じゃやる事も無いですし、少しくらいなら付き合ってあげます」


 ナギサはため息をつきながらも、キールの提案に同意した。キールは自身を鳴らしながら、声を聴く限りでは嬉しそうに答えた。


「ほ、本当かい? ああ、三年ぶりの、話相手だ……! さ、さっそく、中へどうぞ! 足場が少し悪いけど、崩れはしないからさ! はは……!」


 そうしてキールは興奮しながらおぼつかない足取りで駆け出して、岩の家屋にある扉を開けて中へと入って行った。

 ネルフィはナギサに目を合わせ、低く唸った。


「……ナギサよ、良いのか?」


「いいも何も、本当にやる事無いし。それにせっかく見つけた人だよ? お話くらい聞いてあげなきゃね」


「……おぬしの考えが、時折分からなくなる」


「いいの、私が決めたんだから。さ、行こ? いざとなったら簡単に倒せそうな相手だし大丈夫だよ」


「……むう」


 納得いかない様子で唸りながらも、ネルフィは歩き出した。

 そうして一人と一匹はキールの後に続き、岩の家屋へと足を踏み入れた。


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