第二話 英雄がいた国・後



「――――ないね、ペット大丈夫な所」


 ナギサとネルフィは街の中を夕方になるまで探し回った結果、この事実を悟った。


 蝋燭が灯され始めた大通りから離れた、周りに人影が殆どない、薄暗い路地に寄り掛かるナギサに、ネルフィが低い声で話しかけた。


「どうやらこの国は魔物を飼う習慣はないようだな……しかしその、ぺっと、と言う呼び名には、何時まで経っても慣れぬものだ。もう少し良い呼び名は無いのか?」


「いいの。私が元居た世界ではそう呼ぶんだから。それにしてもこの国は、見かけによらず疲れる国だったね……どこに行っても英雄、英雄って、いい加減聞き飽きちゃったよ、やけに男の人ばっかりだし」


 ナギサはため息をつき、先程宿泊を断られた宿にちらりと視線を向けながら続ける。


「すごいーとか、強いーとか、偉いーとか言われても、今日来たばっかりの私にはよく分からないんだよ……皆あの石像と同じ形の剣なんか持っちゃってさ。どれだけ憧れてるんだか。ここに着いた瞬間は良い国だなって思ったのに、今はもうここに住みたいなんて思わなくなっちゃった」


「どこの国にも信仰のあつい人間がいる者なのだな。さあナギサよ、次の宿を探そうか。出来れば我も室内に入れる場所が良い」


「それはさっきから探してるよ。もう諦めてさ、ネルフィは馬小屋に泊まってくれないかな? 私も不本意だけど」


 そうして少し意地の悪い表情を浮かべるナギサ。ネルフィはそれを見て、不服そうに低く唸る。


「うむ……しかしだな、あれは、高貴なる我にとっては、野宿よりも敵わない物なのだ。家畜と同列に扱われるては、我も悲しくなる」


「高貴とか、自分で言っちゃて……周りから見ればネルフィはただのペットなんだからね? 誰もそんな事思っちゃいないよ、そもそもウルネルフィート族なんて、ほとんどの人が知らないんだから」


「むう……」


「まあ、もう少し泊まれるところを探してみるよ。どうせ今更、外で野宿なんて私も嫌だからね」



 そうして会話をしていると、路地の陰から男が近づいてきた。

 例に漏れず、この国の全員が持っている物と同じ形の剣をぶら下げている。


「そこの君、泊まれるところを探しているのかい? なんか独り言を言ってるみたいだけど?」


 小汚い服装の、いかにも怪しい不審者と言った風貌の男が先程の会話を聞いていたのか、ナギサに向かって話しかけて来た。

 ナギサは面倒くさそうに、だが一応礼儀を以てそれに答えた。


「……はい、まあ、探していますけど」


「そいつは良かった。この路地の中に、そこの魔物も連れて入れる宿があるんだ。案内してやるぜ?」


 この手の誘いは十中八九罠であると、一年の旅を経験したナギサには分かり切っている物だった。

 しかしもしこの男が本当に好意から話を持ち掛けているのだとしたら、今のナギサ達にとってはありがたい申し出でもある。



 そしてそうでなかったとしても、ナギサの知りたいことを教えてくれる。



 ナギサは寄り掛かっていた壁から体を放しながら、その言葉に返した。


「……ありがとうございます。ぜひ案内して下さい。ネルフィはここで待ってて、場所を確認したら戻って来るよ」


「話が早い! ついてきてくれ!」


 そうして心配して着いて来たがっているのであろう、低く唸ったネルフィをその場に残して、ナギサは男と共に暗い路地の中へと足を踏み入れて行った。





 街灯の無い、殆ど暗闇と言っていい程の道。時折すれ違う座り込んだ男達は、ほとんどぼろに近い服を纏っており、感情の籠っていない視線をナギサに向けている。

 進むにつれて糞尿や血、そしてそれでは無い生臭い物。どんどんと不快な臭いが漂いだし、ナギサの顔をしかめさせる。そうしていると、不意に男が立ち止まって、こちらに振り向きながら、途轍もなく嫌らしい声色で話しかけて来た。


「おい女ぁ……脱げよ? 夜になったんだ。噂になってたんだぜ、女の旅人がこの国に来てるってなぁ? それも久々の上玉だ! 俺が一番乗りしてやろうって、わざわざ昼から目をつけてたんだよ。陽が暮れた瞬間に犯してやろうってなぁ!」


「…………何故?」


 真っ暗な路地に、嫌悪感を催す程に湿った、男の声が響いた。ナギサはただ静かに、男の話を聞いていた。


「何故ってそりゃ、当たり前だろ。英雄は昼に紳士的に働き、そして夜に派手に遊ぶ! 女も、盗みも、喧嘩も、全部だ! この国じゃ常識だぜ、英雄が女を侍らすのは当然だろ? お前も分かっててこの国に来たんだろ!」


 至極当然そうに、不思議な物を見る表情を浮かべる男。

 ナギサは思っている通りの言葉を、無表情のまま発した。


「……いえ、そういう『遊び』だとは、知りませんでした。そもそもこんな人気のない場所に連れ込んで。悪い事だと分かっててやってるんじゃないんですか?」


「とぼけんなよぉ、良いから楽しもうぜ! ここなら他の奴の邪魔が入らねえから、わざわざ汚ねえのも我慢して連れ込んだんだよ……さっさと俺と遊ぼうぜぇ……?」


 唾を飛ばしながら、汚らしく叫ぶ男。ナギサはため息をつきながら静かに答えた。


「お断りします。と言ったらどうなるんですか?」


 その言葉を発した瞬間、男は敵意がむき出しの声で叫びながら、腰に吊るしていた質の悪そうな剣を抜いた。


「本気で言ってんのかよ!? 決まってんだろ! 英雄の行為を拒んだ罰が必要だ……安心しろや、殺しはしねえ。身包み全部剥いで、たっぷり可愛がってやんよぉ……あの魔物も珍しそうなやつだしなぁ……ひひ……高く売れそうだぁ……ああ……!」


「……まあ、こんな話になるとは思ってたけど」


 そして男は舌を出しながら、ナギサに剣を向けてゆっくりと近づいてきた。

 それを見て、ナギサは悟った。



「…………やっぱりこの国も、ダメみたいだね」



「何ぶつぶつ言ってやがんだ、ああ!? さっさと這いつくばれやぁ!!」


 そうして男は剣を乱雑に振りかぶり、ナギサに向けて振るってきた。

 ナギサは手にかけた短い直剣を鞘から素早く抜き、そのまま男の攻撃にぶつけ、僅かな火花を散らしながら回す様に絡めとった。そしてその勢いに合わせて、振るわれた軌道を水平に逸らし、男の体を大きく横に開かせた。

 行為を拒まれた事へのショックか、ナギサの実力を見誤ったのか。男はその醜い顔に驚愕の表情を浮かべている。

 間髪入れずナギサは自身も短い直剣を真上に振りかぶり、そのまま踏み込む勢いに任せて、無防備な男に向けて縦に落とした。風切り音と共に振るわれたそれは、男が凶器を握った右手を手首から骨ごと叩き切り、そのまま刎ね飛ばした。


 ぼとりと言う音と共に暗い路地の壁に血飛沫が貼り付き、同時に男の濁った悲鳴が響いた。


「うぐがああああああああああああああ!!?」


 男は痛みに耐えかねて、地面にうつ伏せに崩れ落ちた。ナギサは男に歩み寄り、そのまま投げ出された左手に向かって短い直剣を突き刺した。


「ぎいいいいいいいいいいいいい……いああ、ああああああああ!!?」


「大丈夫だよ、。 ……まったく、英雄様えーゆーさまに憧れるからって、こんなことして良い訳ないじゃん」


 冷たく呟いたナギサは男の左手から短い直剣を抜き取り、軽く振るって血糊を飛ばしてから、黒木の鞘にそれを収めた。


「クソアマがぁ……!!! 殺す! 殺してやる!! 英雄に何をしたか分かってるのか……うう……いてぇ……!!」


「早く病院に……じゃなかった、じゃ通じないんだった……教会にでも行って、繋げてもらった方が良いですよ、本当に死にますから。そもそも英雄様はあなたじゃなくて、昔の人でしょ? わざわざ剣の形まで真似て、変なの。それじゃお大事に」


 血を流し、のた打ち回りながら汚い言葉を発した男に、ナギサは冷たく言い放ちながら背を向けた。


「ま……待てや……クソアマ!! 殺してやる……クソアマぁ!!!」


 そして延々と何かを叫んでいる男を無視して、ナギサは来た道を帰って行った。





 路地から出て来た、黒色の革鎧に血を浴びたナギサの姿を見て、ネルフィは低く唸った。


「……こうなると分かっていたはずだ。わざわざ危険を冒さなくても良かっただろうに」


「いつも言ってるでしょ、ネルフィ。私は住みたい国を探してるんだ。その国の暗い所とかも見ておかないと、後で知ったら後悔する事になるからね」


 ナギサはぼんやりとした表情のまま、ネルフィに言葉を返した。


「まあ、あそこまでヤバイ考え方の人だとは思って無かったけどね。英雄を一体何だと思ってるのか……」


「……それは、どうだろうな」


「き、君! どうしたんだい、その血は!?」


 そうして路地の入口で話をしていると、通行人が慌てた様子でナギサに話しかけて来た。ナギサは起こった事実をそのまま話す。


「ああ、この路地の奥で、男に襲われそうになりまして。英雄がどうたらとか言って。よく分からないので、切っちゃいました。私は旅人なので、後の処理とか任せてもいいですか?」


 すると男は突然、わなわなと震えながら、ナギサに言葉を返してきた。


「お、になって、切った、のか?」


「ええ、そりゃ……」


 ナギサがその言葉を発した瞬間。

 男は先程向けられた物と全く同じ形の、質の悪い剣を抜き放ちながら叫んだ。


「何をしたか分かっているのか……おかしいんじゃないのか!? お前は、英雄の行為を愚弄したんだぞ!?」


「えっと、よく意味が……」


「英雄を拒む女など居る筈が無い!! そんな事はこの国では当たり前の事だろう!? 何故分からないんだ!!」


「…………」


 ナギサは向けられる殺意を察し、ネルフィに寄り添う様に近づきながら、短い直剣の柄に手を掛ける。

 そうしていると騒ぎを聞きつけた通行人の男が何人も集まってきており、同じ様に質の悪い剣をこちらに向けて来ているのが見えた。


「もう、いい……英雄を穢す者に、死を……! その身を以て償え……英雄を穢す者に死を!!」


「英雄を穢す者に死を……!」


「英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を……!」


 そして、ナギサには理解の出来ない言葉を叫び、石畳を鳴らしながら一斉に襲い掛かって来た。


「ネルフィ!」


「分かっておる!」


 ネルフィはナギサが背に乗ると同時に高く跳躍し、赤色に塗装された屋根に飛び乗った。


「……どうやら、この国でのは、本当に私みたいだね」


「どうするのだ?」


「決まってるじゃん。逃げよう」


 そうしていくつか短い言葉を交わしながら、ナギサは手綱を握り、屋根の上をネルフィと共に駆け出した。


「逃がすな! 追え! 英雄を穢す者に死を!」


「英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を!」


「英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を……!!」


 走り抜ける屋根の下には、その号令に呼応して更に大勢が集まり、数十人は下らない男達が、走りながらナギサ達を追いかけて来ているのが見える。


 しかし人間の脚では、魔物であるネルフィに追いつくことは叶わない。

 ナギサを乗せたネルフィは赤色の屋根を伝って城壁付近まで走り、そのまま遠吠えと共に半月に向かって高く跳び、城壁を飛び越えた。


「外に逃げたぞ! 絶対に許すな!! 追え! 英雄を穢す者に死を!」


「英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を! 英雄を穢す者に死を……」


 そして遠くから聞こえる叫びを尻目に、ナギサとネルフィは森の中へと走り去って行った。





 月明りだけが照らす森の中、ゆっくりと歩くネルフィの背で、ナギサは呟いた。


「――――あーあ。結局、野宿になっちゃったね。それにしても、どうしてあの国に女の人が殆どいなかったのか、良く分かったよ」


「それについては良いではないか。馬小屋より我は良い。食料も手に入った。我にとっては些細な量であるがな」


「私だって足りないんだから。ネルフィも我慢するんだよ?」


「分かっておる。しかし、あの国の人間共……」


 少しだけ怒気の籠った唸り声をあげるネルフィに、ナギサが少し考えてから言葉を発した。


「いいんだよ、別に。あの人達にとってはさ、あれが当たり前の事だっただけだよ。昔の英雄様が、本当にあんな事をしてたのかは分からないけどね。まあ、あの英雄様の武器が剣でよかったよ。弓でも持ち出されてネルフィを傷つけられてたら、私も怒ってたかも」


「しかしだな、ナギサよ。我はあの人間共を、憎しみを込めて噛み殺してやりたいとも思っておるのだ。我にとってナギサは、それほどまでに、大事なものなのだよ」


「それは、先生に言われたから?」


「エルキアニスと関係はない。我がそう思っておるのだ」


「ふーん、そっか……ありがと」


「ふん」


 鼻を鳴らしながら視線を前に逸らし、歩き続けるネルフィ。

 薄暗い森の中に涼し気な風が吹き、辺りに生い茂る木々が音を立てながら揺れた。


「……ねえ、ネルフィ」


「どうした」


「あの国にいた英雄はさ、本当にああいう国を作りたかったのかな」


「……我に聞かれても分からぬ。所詮我は、森の中に住む老いぼれに過ぎぬのだからな」


「そっか」


 ナギサは呟き、少しの静寂の後に再度言葉を発した。


「……ただ私はさ、自分の考えを分かってくれる人がいる、自分の好きなように生きられる。そんな場所を探してるだけなんだ。この世界では、そんなに難しい事なのかな……」


「……我に聞かれても、分からぬ」


「……そっか、ごめんね」


 ナギサ達は、ただ歩く。宛てもなく、暗い森の中を。


「……まあ、過ぎたことは気にしても仕方ないよね! 先生も言ってたことだ! もう少し進んだら、適当な場所で寝よう。お店の人が言ってたことが確かなら、三、四日で次の国に着くし、気楽に行こう」


「それがどんな国か、分かっておるのか?」


「分からないよ。でも良い。次がそうでなくても、いつかきっと、私にとって理想の国が見つかるはずだから」


「……そうだな」


 ナギサが明るく発した言葉に、ネルフィが短く返した。

 ネルフィにとって、それが強がりであることは既に分かっていた。


 こうしてただ、暗い森の中を歩く、一人と一匹。

 夜の闇に溶ける様に、そのまま姿を消して行った。


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