第一話 英雄がいた国・前
広大な草原に伸びる一本の土の道に、爽やかな風が走り抜けていた。
木の一つも生えていない草原は見通しがよく、遠くには地平線すら確認出来るほどだった。青々とした背の低い草が互いを打ち付けあい、ざわざわとした音を立てながら波打っている。
その上を高速で駆け抜ける、一匹の
「先日から思っていたのだが、道を間違えているのではないか? これだけ開けた場所だと言うのに、一向に次の国が見えぬぞ」
大狼は走りながら、自身の背に騎乗している少女に低い声で話しかけた。
「そんなことは無い筈だよ、前の国で地図を売ってくれた人はいい人だった。わざわざ意味の無い嘘をついて、私たちを困らせる必要も無いしね」
規則的に揺れる大狼の背に乗る少女は手綱を握りながら、ぼんやりとした口調でそれに返した。
この世界では珍しい、黒髪のセミロングを風に揺らす少女。細身の体は黒色の革鎧で覆われており、その上に羽織る白色のフード付きジャケットが、風を受けばたばたと後ろ向きにたなびいている。
腰にぶら下げられた
真っ直ぐに切り揃えた前髪の下にある、感情の薄い黒色の瞳で前を見据えながら、少女は言葉を続ける。
「それに、もし見つからなかったとしても食料はまだ数日分くらいはある。いざとなれば適当な場所で現地調達をすればいい。ネルフィがいれば狩りも楽だしね」
「楽、とは少し語弊があるぞ。魔物しか見つからない事もある。例え食用の生物がいたとしても、そう簡単に捕まえられるほど我は速くはない」
ネルフィと呼ばれた大狼は低く唸りながら、少女に言葉を返す。
「そもそもその適当な場所が見つからぬ可能性だってあるのだ。我は魔物を食えるが、ナギサは食えぬ。飢え死ぬ主など、我は見たくない」
「まあ、何とかなるよ。今日中に国が見つからなかったら、流石の私も少し焦るかもだけどね。野宿にも飽きて来たし」
ナギサと呼ばれた少女は少し考えて、やはりぼんやりとした口調で呟いた。
「それにもし食べ物がなくなっても、私には非常食があるからね」
「ナギサよ。我の肉は食っても美味くはないぞ」
「まだ何も言ってないよ? でもその自覚はあるんだ……」
「ぬかせ。小娘が」
そうして気の抜けた話をしていると、地平線の淵に灰色の高壁が見えて来た。ナギサはネルフィの上で少しだけ背伸びをしながら、言葉を発した。
「ほらネルフィ、見えて来たよ。多分あれが探してた国だ」
「ひとまず我も食える食料があると良いが……」
「とりあえず、人前でなるべく喋らないでねネルフィ。変な目で見られちゃう」
「分かっておる。いくつ国を周って来たと思っておるのだ」
ネルフィは少しだけ速度を上げながら言葉を返し、ナギサを乗せて城壁へと向かって行った。
◇
道の先に見えた城門と思われる小さな木の門の前に、門番が立っていた。
「すみません、入国させて頂きたいのですが」
ナギサはシルフィの背から降りながら会釈をし、話しかけた。
長い剣を持つ門番は敬礼と思われる動作と共に、言葉を返した。
「ようこそいらっしゃいました。旅人様ですね? 珍しい魔物を連れていらっしゃいますね! この国は誰であっても歓迎いたします。ただ、宿泊先には少し困るかもしれませんが……入国理由は観光ですか?」
「はい。もし私が気に入れば、定住も考えています」
「定住希望ですか! それは良い。この国は良い国ですよ! 物資も豊富で治安もいい。なんせ『英雄の国』ですからね!」
「英雄?」
はきはきと喋る門番に、ナギサは不思議そうな声で返した。
「そうです! 昔この国には素晴らしい英雄が居ました。そして今もその功労は国民全員が讃えており、皆英雄に憧れています。だから悪事を働く人もおらず、治安も良いのですよ」
「それは良いですね。楽しみです」
「入国したらまずは、ぜひ広場に向かってみてください! 英雄を崇める像は、この国の観光名所とも呼べる程に美しく、立派で、素晴らしい物ですので!」
「ありがとうございます。では入国させて貰います」
「では、こちらにご記入を!」
そう言って門番は城壁に貼り付いた石机に置いてある、羊皮紙を指し示した。
名前だけの簡素な記入欄に羽ペンで名前を記し、ナギサは門番に目を向ける。
「開けろ!! ……あなたの旅に、英雄の御加護があらん事を!」
そして門番がそう言い放つと同時に、横開きの門が音を立てながら開いた。
ナギサとネルフィは一瞬目を合わせ、灰色の城壁の中へと入って行った。
◇
ナギサが街を見た際に最初に抱いた印象は、まさに想像通りのファンタジー小説によく見る城塞都市と言えるものだった。
赤色で統一された屋根を持つ家屋や商店などが目の前の大通りに立ち並び、同じ様な武器を携えた人々がその中を往来している。道もきちんと石畳で整備されており、時折聞こえる商人によるものだろう大きな声で客を呼ぶ声が、より一層街の活気を高めている様だ。
すれ違う人々はちらりとナギサ達に一瞬だけ目を向けるが、その後はそのまま後ろへ通り過ぎていく。この国においては立ち寄る旅人や、魔物を従える者は珍しい物ではあるが、そこまで気にしすぎる物では無いとされているのだろうと、ナギサは考えながら大通りを真っ直ぐに歩いて行く。
そうして少し歩いて行くと、門番が言っていた物だろう、剣を天に掲げた人型の石像が見えて来た。広場の中心に立つそれは他の建物より一回り高く、往来やそれの足元で祈るような姿勢で座り込む人々を見下ろしていた。
「……これが門番が言ってた英雄の像だよね。男の人かな、確かになんか威厳を感じる気がするよ。まあ私はこの人が何をした人なのか知らないから、気がするだけだけどね」
ナギサの言葉にネルフィが低く唸る。言語を喋る魔物は知る限りではまずいないので、無用なトラブルを避ける為にもナギサはネルフィに人前で喋らない様にさせている。
「言葉もアリヴァル語が通じるみたいだし、多分通貨もこの辺で共通の物だ。とりあえず、普通そうな街でよかったよ。先に食べ物を買いに行こうか」
そうしてナギサはネルフィを連れて広場から離れ、四方に向かう大通りの内の一つに向かって歩き出した。
街の中は、あの英雄像を象った物であふれていた。少しだけ開けた場所には必ずと言っても良い程小型の石像が置かれており、家屋の壁には『英雄になろう!』とだけ書かれた物や、その文字と共に英雄を模したのだろう下手な人物絵が描かれた紙が、至る所に貼り付けられている。
ナギサはあたりのその変わった様子をきょろきょろと見渡しながら、食料品店と思われる扉の開いた家屋を見つけた。
ネルフィを扉の前に残し、ナギサはその中へ入って行った。
薄暗い店舗の中には木箱が陳列されており、中にあるのはどれも畑から取れた物なのであろう生鮮食品ばかりだった。ナギサはカウンターでぼーっとしている中年の男に近づき、話しかけた。
「あの、すみません。日持ちのする食べ物と水は売っていませんか?」
店主と思わしき男は肘をついたまま、ナギサに返答した。
「ん、いらっしゃい。旅人、だな? 珍しい格好と髪色だな嬢ちゃん。どこから来たんだい?」
「それは……遠いところ、です」
わざとらしく言い濁すナギサ。何かを察した店主はそれ以上聞かなかった。
「この国に良く来てくれたな、嬢ちゃん。干し肉位なら売ってるよ、いくつ欲しい」
「この近くに他の国はありますか? そこまで持つ量を二人分ほど頂きたいです」
ナギサは腰に付けたポーチから銅貨の入った革袋を取り出しながら、情報を訪ねた。
ぼーっとした表情の店主は慣れた口調で言葉を返した。
「ああ、あるよ。陽が沈む方に伸びる道を真っ直ぐ進めば、5日も歩けば着くさ。俺は行った事も無いけどな」
「ありがとうございます、それではその分だけお願いします。代金はこれで払えますか?」
「ん、問題無いよ。この国で使ってるのと同じ物だから、そうだな……飲める水も合わせるなら四〇〇マクだな」
「高いです。もっと安くなりませんか?」
値段を聞き、即座に反応したナギサの姿に驚いたのか、店主が一瞬目を丸くした。しかしすぐにぼーっとした表情に戻り、その言葉に返した。
「……見かけによらず逞しいな嬢ちゃん。だがこの国ではこんなもんだよ、値切る文化も無いんだ。英雄はそんな事をしないからな、本当だぞ?」
「……分かりました。それでお願いします」
「毎度。奥にあるから取って来る、ちょっと待っててくれ」
そうしてナギサは必要額の銅貨を取り出し、店主へと渡した。
少し待つと布袋を持った店主が奥から戻ってきて、中身をナギサと確認した後に手渡してきた。
そのままナギサは、自身の目的の為に会話を続ける。
「あの広場やこの辺りにある石像、あれは話している英雄の物ですか?」
「ああ、そうだよ。俺達が尊敬し憧れる、この国を造った英雄さ!」
「……となると、ずいぶん昔の人なんですね。どんな人だったんでしょうか?」
ナギサが尋ねた途端、店主は先程までと打って変わって笑顔になり、英雄について語り始めた。
「よく聞いてくれたな! そりゃあ、すごいお方さ! 遥か昔にこの辺りにいた恐ろしい魔物を倒し、人を集め、地を耕し、物を集め、城壁を造り、国を興した! 戦争だって何度も勝ってる! まさにこの国の父とも呼べるお方だよ! 子供だって知ってる! 英雄になる為の学校にみんな通っているからな! 英雄は強く、勇敢で、そして自由なんだ! そうなる為にも、この国のやつは皆武器を持ち、昼に魔物を狩り、そして夜は贅沢に遊ぶ! あのお方がそうだったからだ! 俺だって夜になれば店を閉めて遊びに行くぞ? そうやって英雄になる為に、皆が何かをしている! 田を耕し、物を売り、武器を弄り、そうして稼いだ金でぱーっとな! この国にはいろいろな遊びがある! そのどれもが英雄がしてきた、英雄になる為の物! 皆が英雄になりたがっている! それは素晴らしい事だと、嬢ちゃんも分かるだろう?」
「は、はあ、そうですか……まあ……」
急に興奮し、饒舌になった店主にナギサは圧倒され、引きつった笑顔でそれに答える。
「あ、ありがとうございました。それじゃ、私はこれで……」
「なんだ、もう行っちまうのか? まあいいや、また寄ってくれや! 英雄の御加護があらん事を!」
そうして話を無理矢理切り上げ、先程の門番にもかけられた言葉を背に、店を後にした。
店の外で待っていたネルフィに、ため息をつきながらナギサが話しかける。
「……食べ物は買えたよ。でもなんか、
ネルフィがちらりとすぐ傍にある小さな英雄像に視線を向けながら、唸り声を返した。ナギサはそれを見て、
「どうやらこれが、この国の信仰の対象みたいだね。この店の店主は、熱烈な信者だったらしいよ。信仰とか神様とか興味ない私には、さっぱり良さが分からないけど」
ネルフィがきょろきょろと辺りを見渡している。一年も一緒に旅をしていれば、ナギサにとっては、その行動が何を意味するのかは分かっていた。
「分かってるよネルフィ。一緒に入れる宿を探そう。馬小屋はいやだーって、いっつも言ってるもんね」
そうして一人と一匹だけが分かる会話をしながら、ナギサ達は街の通りをもう一度歩き出し、今日の宿泊場所を探し始めた。
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