第5話 かっこよくなるんだ
(いい天気だなぁ)
穏やかに澄んだ青空を仰ぎ、アルドは顔を緩ませる。大きく伸びをして傍らのヴァルヲの背を撫ぜるとゴロゴロと喉を鳴らした。
一昨日の騒動が嘘のように穏やかな一日だ。
クルトの母親は翌日、律儀にも菓子折りを持ってアルドの家を訪れた。祖父とフィーネが丁重にもてなしてくれた。
各地を飛び回ることの多いアルドとは違い、フィーネや村に在住している祖父とはすでに顔見知りらしく親し気に話していた。いつの間にかアルドがいなくても大丈夫な空気になり(もしかすると最初からそうだったのかもしれないが)、終始苦笑いしていた記憶しかもう残っていない。
昨日一昨日の二日間に比べれば、今日はなんて和やかなのだろう。
元々アルドはヴァルヲと同じく穏やかなひだまりの下で昼寝をするのを好むタイプ。騒がしい日々が続くと無性に昼寝がしたくなる。
今日は釣りもやめて、このままヴァルヲと一緒に眠ってしまおうか。
本当は先日釣り損ねたため、リベンジしにこの馴染みの池まで訪れたが、釣竿を握る前に眠気が襲ってきてしまった。
あくびを噛み殺しつつ、空を仰ぎながら倒れ込もうとした時だ。
「ったあああっ!!」
「な、なんだ!?」
飛び起きると眼前に迫る木の枝。避ける間もなくポコン、とアルドの額に振り下ろされた。
「いてっ……クルト! おまえな!」
叫び声と共に飛び出してきたのはクルトだった。
つり目がちの瞳をさらにきりりとつりあがらせてアルドを見据えている。ふわふわの茶色の髪には葉っぱがついていたため、木陰に隠れていたことが容易に想像できた。
アルドに振り下ろしたであろう木の枝の先を突き付けつつ、片方の手を腰に当てて、えへん、とえらぶる姿にため息が出る。あの日しゅんとしおらしくなっていたクルトは幻だったのかもしれない。
「あのな、クルト……他の人にこんなことするなよ?」
呆れつつ怒りも込める。ちょっと痛かったのだ。
ジト目でクルトを見ると、少年はきょとんと首を傾げた。その様は「何言ってるんだこいつ」とでも言うような、いささか小ばかにしたものだった。
「おまえ以外にはしないから大丈夫だぜ?」
「は?」
「ん?」
子供の純粋な目というのは時に不可解だ。まるでアルドの方がおかしなことを言っているかのようにまっすぐ怪訝そうな視線を送られると、本当にこちらがおかしなことを言ってしまった錯覚を抱いてしまう。
(え、俺が間違ってるのか……?)
そんなわけがないと思いつつ、あまりにクルトがまっすぐと見つめてくるため、なぜかたじろいでしまう。
木の枝を振り下ろされた額を抑えつつ、アルドは唸った。
「~~っあのな、クルト。気持ちはわかるけど、木の枝は危ないから、いっそ……」
「こらあっ!! クルトーーーー!!」
「わっ、メル……!」
「次から次へと……」
まるで一昨日のことを彷彿させるようなメルの登場に、アルドは頭を抱えた。
どこからともなく現れたメルは、木の枝をアルドに突き付けていたクルトを確認すると、ぽこりとその頭をはたく。
「もう! いい加減にして!」
「メル、でも、おれ……」
「いいわけしないで!」
「うう……」
仲が良いのかそうでもないのか、小さな二人の少年少女を見下ろしアルドは苦笑した。
わかるのはメルとクルトではメルの方が立場も力も強いらしい、ということだ。
腰に手を当てクルトを言い包めようとしているメルの姿には、幼い頃のフィーネが重なる。おとなしい妹は、けれどここぞという時にはとても強く、アルドはたじたじだったのを思い出した。正直、あらゆる意味で勝てたことなどなかった。
アルドが過去に思いを馳せている間も、少年少女のやり取りは続く。
「だいたい木の枝なんて危ないでしょ!?」
「で、でも、だって……」
「怪我したらどうするの!?」
「え、でも、この人は怪我しないと思う……」
「アルドは怪我しなくても、クルトには何が起こるかわからないんだからね!」
さらりとアルドには何しても大丈夫、みたいなことを言われた気がするが、とりあえず置いておこう。今はそれどころじゃない。
いきり立つメルに、さすがに「まあまあ」とアルドが仲介に入ろうとした時だ。
「メル?」
少女の目には涙が浮かび始めていた。
ぎょっとしたのはアルドではなく、クルトだ。大事そうに持っていた木の枝を放り出し、メルの顔を覗き込もうとしては一歩離れてを繰り返している。
そんなクルトの動揺はお構いなしに、目にたっぷりの涙を溜めたメルは、きっとクルトを睨み付けた。意地なのか、今にも零れてしまいそうな涙は流れることなく瞳に溜まっているままだ。それがまたクルトを戸惑わせている。
「クルトってどうしてそう考えなしなの! 一昨日だって、一昨日だって……!」
「メル、おれ、」
「それも!!」
「えっ」
「それもっ……こないだまで、ぼく、だったのにぃ……!」
なんでなのぉっ……!
たっぷりと溜めていた涙がついに零れ始めた。ひとつふたつと零れ落ちていく涙は丸い珠のようで、真珠にでもなるのではと思わせた。
泣きわめくメルを前に、アルドとクルトは顔を見合わせた。先程アルドに飛びかかってきた少年とは思えない、眉を下げて困り切った表情に思わず吹き出しそうになるがなんとか堪え、その頭に手を置く。一昨日の月影の森での出来事が思い出される。
ぽんぽん、と二度クルトの頭を優しく撫で、次はメルの前にしゃがみ込む。
「メル」
「あ、アルド……わた、わたしねっ……」
「ああ、わかってるよ。メルは、クルトが心配なんだよな?」
「…………」
そこで素直に頷かないのはやはりこの年頃特有のプライドのようなものだろうか。
苦笑して、今度はクルトに向き直った。
「クルト」
「な、なんだよ」
真面目な顔で呼びかけると動揺も相まってクルトはやや及び腰だった。じっと見つめるアルドの視線から逃れるように、左へ右へと視線をさまよわせている。
「前にも聞いたけど、クルトはどうしてあんなことしたんだ?」
「そ、それは……」
「何かわけがあったんだろう?」
子供一人では危険な月影の森へ赴き、魔物に立ち向かおうとしていたクルトの姿。その姿にはどこか必死さも感じられた焦りや、何かにもがき苦しんでいる……そんな風に、アルドには感じられたのだ。
だからこそ安易に叱ることはできなかった。それはクルトの大切な何かを壊してしまいそうでできなかった。
だが今なら、大丈夫なのかもしれない。
泣きじゃくるメルと、彼女を前に困惑するしかないクルトを見て、なぜだかそう思えてならなかった。
「それ、は……」
さまよう視線がアルドから外れ、メルへ向かう。彼女は今、両手で顔を覆い隠しているが、しゃくりあげる声から泣いていることはまるわかりだ。そもそもアルドもクルトも彼女が泣き出す瞬間を目にしているため隠すのは今更ではないだろうか。それがクルトとメルの様子を眺めていたアルドの感想だが、泣き顔を隠そうとする乙女心を理解できないからこそ常々フィーネを筆頭に仲間の女性陣から非難を受けてしまうのだろう。
ただ、クルトには感じるものがあったらしい。
苦しそうにしゃくりあげるメルを見つめる瞳には、同じくらいの苦しみが滲み始めていた。
一度顔をうつむかせ、拳をぎゅっと強く握る。次に顔を上げた時には、困惑も動揺もどこにもなく、アルドをまっすぐ見据えていた。これまでの睨み付けるように視線とはまるで違う、意志のこもった強いまなざしだ。
「かっこよくなりたかったんだ」
「かっこよく?」
「うん……強くて、かっこいいやつに、なりたかったんだっ」
ああ、と頷こうとしてこの言葉には続きがあるのに気付く。
クルトは顔を真っ赤にしていた。握りしめた拳にはさらに力が込められているように見える。一昨日とは別の理由でぷるぷる震えている。
「強くなりたかったんだ……! 振り向いて、もらうためにっ」
言い切った!
……とでも言うように、その言葉を最後にクルトはきゅっと目を閉じ、唇を引き結び、うつむいてしまった。
強くなりたかった。
かっこよくなりたかった。
振り向いてもらうために。
クルトが精いっぱい告げてくれた言葉の中で、きっと重要なのはこの三つ。鈍いながらもアルドはなんとか拾い上げたし、意味も理解しているはずだ。
そろりとメルに目を向ける。泣き続ける彼女にも今の言葉は聞こえていただろう。聞こえても構わない、そのくらいの覚悟でクルトが言葉にしたのはアルドもわかっているつもりだ。だがメルの様子は告白がまるで聞こえていなかったかのように先程と変わらない。両手で顔を覆って泣き続けている。
次にクルトを見る。顔が真っ赤だ。ナギが身にまとっているタコみたいだ(彼女は断固としてイカと言い張るが)。
小さな少年少女を交互に見て、アルドは小さく微笑んだ。
「クルト」
「な、な、なんだよっ」
「クルトの気持ち、俺はわかるよ。強くなりたいのも、かっこよくなりたいのもな」
そう言うと、クルトは強く閉じていた目をゆっくりと開いた。
うかがう瞳には「本当に?」と問う気持ちが込められているように感じる。一昨日よりも素直に見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
「ああ。強くなりたくてクルトみたいな無茶して、怒られた」
「誰に?」
「妹……フィーネに」
祖父にも叱られたが、アルドが堪えたのは妹が顔を真っ赤にして泣きじゃくりながら怒る姿だ。
「フィーネお姉ちゃん……?」
どうやらクルトも彼の母親と同じくフィーネとは顔見知りらしい。フィーネが怒る、というのが想像できないらしく目をぱちくりとしている。
「そう。どんなにおとなしい子でも、大切な人が危ないことすればとんでもなく怒るんだよ」
当時のことが思い起こされて苦笑いが浮かぶ。ぱちぱちと目を瞬かせるクルトの頭を撫でて、アルドは優しく告げる。
「メルも、クルトの母さんも、怒ってただろう?」
「うん……」
「大事だから、心配だから怒ったんだよ」
それはわかってるよな?
続けた言葉にクルトは素直に頷いた。心なしか肩を落としてしょんぼりしているように見える。
「クルトも、メルや母さんが大事だろう?」
「……うん」
「強くなりたいのもかっこよくなりたいのもわかるよ。でも、強いっていうのは、魔物を倒せるだけじゃないだろう?」
ハッとしたのか、クルトが顔を上げる。
まっすぐにアルドを見つめる目には、何か特別な情景が映し出されているのかもしれない。アルドの言葉の意味をよく理解しているように見えたのだ。
(クルトはもう大丈夫だな)
クルトに向けて小さく頷くと、今度はメルに顔を向ける。
彼女はもう泣き止んでいた。両手で顔を隠したままだが、アルドとクルトの今のやり取りはしっかり聞いていたのだろう。
「メル」
「アルド……」
名前を呼ぶと、覆い隠していた両手からそろりと顔を上げた。目は真っ赤で、顔は涙にぬれておりひどいありさまだったが幼い頃からメルを知っているアルドにとっては、どうってことはない。小さな女の子の、変わらない可愛らしい泣き顔だ。
「メル。大丈夫、クルトはわかってくれるよ。でも、俺じゃなくてメルから言わないと」
「でも……」
アルドを見て、クルトを見て、自分の足元を見て。
もごもごと口をまごつかせるメルに、もう一度アルドは呼びかけた。
「メル。な?」
笑いかけると、メルはさまよわせていた視線をアルドへ向け、そしてクルトを見た。今度は決して逸らさなかった。
「クルト……」
「メル……」
小さな少年少女は気恥ずかし気に見つめ合う。
口を開くのが早かったのは、クルトの方だった。
「メル……!」
「な、なに?」
「心配かけて、ごめん。おれ……ばかなことしてた」
しょんぼりと肩を落としたクルトに、メルは目いっぱい首を振った。
「ううん……! ううん! わたしも、ごめんね……わたしのせいだよね……」
今度はメルがしょんぼりする。それを見たクルトは慌てて、先ほどのメルと同じように大きく首を左右に振った。
「ちがう、メルのせいじゃない! おれが……ぼくが、いけなかったんだ。だから、謝らないで……」
「クルト……」
お互いに落ち込む二人を励まそうと懸命に言葉を紡ぐ少年少女の姿に、アルドは満足げに頷いた。気付けば傍らで眠っていたはずのヴァルヲは消えていて、空を見上げれば太陽は中天に差し掛かろうとしている。アルドがここへ来た時からずいぶん時間が経っていることに気付く。
(そろそろ昼か……お腹空いたな)
空を仰いでいた顔を戻すと、クルトとメルは両手をつないで笑い合っていた。
(大丈夫そうだな)
子供の頃は何気ないことで喧嘩をすることも多いけれど、仲直りするのも早い。
このまま放って置いても問題なさそうなクルトとメルの様子に、アルドは二人の頭にぽんと手を置いた。
「仲良くしろよ。それじゃ、俺はもう行くから」
「アルド」
「またな、メル、クルト」
笑顔で手を振り踵を返す。
二人とも何か言いたげに見えたが、アルドは気にせずぐっと伸びをした。そして昼ご飯のことを考えながら家路についたのである。
※
満足げに去って行ったアルドの後姿を見送る二人の少年少女。
彼の背中が小さくなった頃、クルトは小さくつぶやいた。
「強くてかっこいいのはわかったけどさ……」
「なによ」
「あいつ、絶対わかってないと思うんだ」
ちらりとクルトが横目でメルを見ると、彼女の頬はほんのりと染まっていた。見惚れるようにぽうっとしている、と言ってもいいだろう。その視線の先には、先ほどまで自分たちを諭してくれていた青年の背中。そろそろ見えなくなる頃だ。
「いいの。そこもすてきなの」
両手を祈るように胸の前で組むメルの姿は、まさに乙女だった。
好きな女の子が違う男にぽんやりするのを隣で見せつけられたクルトは、
(――絶対あいつより強くなって、かっこよくなってやる)
握り拳に誓いを立てたのだった。
ほころぶ想いはどこへいく omi @omico88
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます