第4話 かっこよくなりたかった

 月影の森を出てヌアル平原を越える。辺りは日も暮れ始めていた。雲と沈む太陽が混じり合い、白、茜、橙、桃といくつもの色を生み出している光景は優しく美しかった。

 幸いあの後は魔物に遭遇することもなく無事に月影の森を出ることができた。

 アルドに手を引かれるように歩くクルトの足取りは重い。とぼとぼ、という音がしそうだ。

 時々クルトの様子を確認しながら歩いていたが、その横顔は少しずつ血色を取り戻しているように見えた。

「――きれいだなぁ、クルト」

「……うん」

「この時間にしか見れないからな。初めてなんじゃないか、クルトは?」

「……うん」

「子供の頃はなかなかここまで連れてきてもらえないからさ」

「……うん」

「まあ、こっそり月影の森まで行くやつもいたけど」

「……うん」

「ははは……」

 元気はまだ取り戻せていないらしい。何を話しかけても同じ答えばかりだ。仕方ないとはいえ、段々アルドも虚しくなってきた。

 ふとクルトの母親の言葉を思い出した。

「クルトはさ、最近バルオキーに越してきたんだろう?」

「……うん」

「村には慣れたか?」

「……う、ん」

「俺が言うのもなんだけど、いい村だよ。メルみたいにお節介焼きも多いしな」

「う……ん……」

 なんだか頷きがぎこちない。心なしか顔が先程よりもうつむいてしまった気もする。

 話題を間違えたか、と内心焦ったが、そろそろいいだろうという気持ちもあった。うつむきがちなクルトの頭を見下ろしながら、できるだけ優しく聞こえるように口を開く。

「……なんで、こんなことしたんだ?」

「…………」

 沈黙が返ってくる。

「まあ、いいけどな。いや、よくはないけど……ほら」

 村の入り口が見えてきた。そこには遠目にもわかる、大小二つの人影が見える。

 クルトの手を少しだけ強く引くと、少年は顔を上げた。その顔がハッとする。後退りそうになった体を引き戻すように、もう一度今度は先程よりも強めに手を引いた。

「心配する人たちがいるのを、忘れちゃだめだぞ」

 二つの影もアルドたちに気付いたようだった。小さな影が駆け出す。

「――――クルトっ!!」

 メルだった。

 大きな目にいっぱいの涙を溜めて勢いよくクルトに飛び付いた。倒れ込みそうになるクルトの体に、手をつないでいたアルドもわずかに引っ張られる。

「わっ……メル……」

「クルトのばか! なんでこんなっ……もうっ……ばか……!!」

 目いっぱいクルトに抱き着きながら、ばか、と詰るメルの声は涙にぬれていた。普段のおしゃまで口達者な彼女からは考えられない拙い言葉ばかりが溢れ出ている。

「ばかばかばかばかっ……クルトのばかぁ……!」

「メル……あの……」

 泣きじゃくるメルにクルトが焦っているのがよく伝わってくる。抱き着かれて、耳のすぐそばで大声わめかれて……クルト自身は自分の手をどこにやればいいのかもわかっていないように見えた。

 その姿に思わず苦笑が零れる。アルドだって未だに妹のフィーネですら泣かれるとどうすればいいのかわからなくなることがあるのだ。まだ小さなクルトなんてもっと動揺するだろう。

「クルト……! ああ、クルト……!!」

 そうこうしている内にクルトの母親も追い付き、メルごと抱き締める。

「この子は心配ばかりかけて……! よかった、無事でっ……」

「かあさん……」

 メルと母親。二人の女性に抱き締められたクルトは居たたまれないような表情をしながら、さまよわせた視線をアルドに向けてきた。つり目がちの瞳からは、最初に出会った頃の気の強さの面影はない。ただただこの状況をどうにかしてほしいと救いを求めている。

「あの……とりあえず、移動しないか? ここま魔物が出ないとは言えないし……みんなで村へ帰ろう」

 アルドの言葉にすぐ我に返ったのはクルトの母親だった。

 息子の肩に手を置いたままアルドを振り返り、勢いよくお辞儀をする。

「ああ、ごめんなさい……! クルトを連れ戻してくれたのにお礼も遅れてしまって……!」

「あ、いや、それはいいんです! 気にしないでください。警備隊ですし、俺」

「……本当に、強くて頼りになるんですね」

 顔を上げた女性の目線には、クルドと手をつないでいるアルドの手があった。まじまじとそれを見た後、

「メルちゃんの言った通り」

 そう言って女性は涙が滲んだ瞳を細めて優しく微笑んだ。その下ではクルトが複雑そうな、何とも言えない表情をしていたのをアルドも女性も知らない。見ていたのは目線が同じ、メルだけだった。

「クルト、メルちゃん。アルドさんの言う通りよ。帰りましょう」

 泣き続けるメルの頭を優しく撫で、女性が言う。メルが素直に頷いたのを見て、そしてクルトを見て、村へ歩みを進めた。

 村の入り口がすぐそばだったというのもあるが、誰も一言も話さなかった。

 時折、すんすん、とメルが鼻をすする音が聞こえるだけだ。

 アルドの手はもうクルトとはつながっていない。歩き出す前に、気恥ずかし気にクルトから離された。メルが何か言いたそうにクルトとアルドを交互に見ていたがなんとなく気付かないふりをした。

 村に着くと女性が改めてアルドに向き直り、深々と頭を下げた。

「なんと言っていいか……本当にありがとうございました。何かお礼を……」

「いえ、いいんです。本当に気にしないでください」

「ですが……」

「いいんですよ。もう遅いですし、クルトもメルも疲れているだろうし……家に帰りましょう」

 先程と似たようなやり取りを繰り返し、アルドは笑った。

 日も暮れ、小さなクルトとメルは疲れた表情をしている。女性もそれを確認し、申し訳なさそうにもう一度頭を下げた。

「すみません……では、また後日、お礼に伺いますね」

「いや、本当にいいんですって……!」

 慌てて首を振るアルドに女性は頑として譲らなかった。アルドがいつまで村にいるかを確認するまでこの場を離れようとしない姿勢を見せ、結局、次の日に家まで来てもらうことになってしまった。

 アルドとしてはそんなつもりは全くなかったのだが、最初の印象以上に強情で律儀な女性だったらしい。

「それでは、また明日お伺いします。本当に今日はありがとうございました。ほら、クルトも」

「…………」

「無事でよかったよ、本当に。またな、クルト」

 うつむいたまま何も言わない息子に、女性は焦れたように背中を押したが、息子の強情さをよくわかっているのか、申し訳なさそうにアルドに再度頭を下げながら帰って行った。

 途中途中息子を小突く母親の姿に苦笑いしつつも、微笑まし気に親子の後姿を見送る。

「――メル。俺たちも帰るか」

「うん……」

 メルとクルトの家は近いとはいえここからだと送っていくにはいささか遠回りになってしまう。そこでアルドがメルを送っていくことになったのだ。

 親子を見送る間もアルドの一方後ろに下がって黙っていたメルを振り返る。クルトとは別の意味で複雑そうなメルの表情に首を傾げながらも、アルドは手を差し出した。メルが今よりももっと小さい頃から当たり前のようにこうしてきた。一緒に歩くときは、いつも手をつないでいたのだ。メルはおずおずとアルドに手を伸ばすと弱い力で握ってきた。

(そういえば、これが癖でついクルトとも手をつないじゃったな)

 クルトが嫌がらなかったのは今思えば予想外だったが、あの時は普通の精神状態ではなかった。先程もまだいつも通りとは言えない状態だったのだろう。初めて会った時の威勢がまるで感じられなかった。

 明日にはあの威勢を取り戻しているだろうか。我に返ったとき、今日のことを思い出してどう感じるだろうか。きっと恥ずかしくてしばらくベッドから出てられないだろう。子供の頃の自分を思い出しながら、アルドは小さく笑った。子供というのは不思議なもので、妙なプライドを持っているものだから。

「アルド?」

「いや……なんでもないよ」

 急に笑ったアルドをメルがきょとんと見上げる。

 家々からは夕飯の香りが漂ってきていた。メルの家族も心配している。早く送り届けよう。そして自分も、大切な家族と仲間が待つ家へ帰ろう。

 つないだメルの手をきゅっと強く握ると、やわい子供の力で握り返された。無性にあたたかく感じた。

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