第3話 かっこよくなりたい
メルのことは幼い頃から知っている。
リィカのように行動パターンを分析して、とまではいかないが、なんとなく行きそうな場所はわかる。直感というやつだ。
思った通り、メルはヌアル平原に続く道にいた。なぜかは知らないが、メルは何かあるといつもこの場所でうずくまっているのだ。そしてアルドが見つけて家に送り届ける。それを繰り返してきた。
「メル」
声をかけるとうずくまっていたメルは顔を上げた。アルドの姿を見て安堵したように顔を緩ませ、その隣にいる女性を見てすぐに強張らせた。何かあると思うのは必然だ。
「メル。クルトがまだ家に帰っていないらしいんだ。何か知らないか?」
「あ……」
うつむきそうになるメルの前にしゃがみ、アルドは彼女の頭に優しく手を置く。
「もし知っているなら、教えてくれないか?」
「アルド……」
幼い頃から何度もしているようにメルの頭を撫でると、ふいにメルが泣き出しそうな顔をした。
「クルト……もしかしたら、月影の森へ行ったのかもっ……わたし……どうしよう……!」
「月影の森!?」
悲鳴じみた声を上げたのは女性……クルトの母親だった。びくりと肩を震わせるメルの頭を撫でて落ち着かせながら、女性を振り返る。女性は青ざめながら話し始めた。
「最近……月影の森は魔物が活性化しているって……戦えない者はもちろん、警備隊でも一部の人間しか近寄れないと聞いています……」
そんな危険なところにクルトが……?
最後の言葉は掠れていて聞き取りづらかったが、恐らくそう言っていたのだろう。ヌアル平原の先にある月影の森を呆然と見つめるように、女性は立ち尽くしていた。崩れ落ちそうなその肩を支えてあげたい気持ちもあったが、女性の話に震えるメルを落ち着かせる方が先決だ。
「メル、メル……大丈夫だ。今から俺が行ってくるから」
「アルド……でもっ……」
「クルトが月影の森へ行ったとは決まっていないだろう? 様子を見てくるから」
「わたしも一緒に行く!」
「だめだ。メルはクルトのお母さんと一緒にいてくれないか? もしかしたらクルトが先に帰ってくるかもしれない。その時は、警備隊の誰かに伝言を頼んでほしい」
それと……と言葉を継ぎながら、アルドはまっすぐメルを見つめる。
「クルトはどうして月影の森へ行ったんだ?」
魔物が活性化していなくても、月影の森は小さな子供が一人で行くには危険な場所だ。きっとクルト自身わかっていたはずだ。
メルの視線が宙をさまよう。
「そ、それは……」
「――まあ、後でいいか。とりあえず、俺は月影の森へ行くから……頼んだぞ!」
メルをクルトの母親へ押しやり、アルドは走り出す。
ヌアル平原を越えた先に月影の森はある。
アルド自身、子供の頃、大人に何も伝えず月影の森へ赴いたことが何度となくある。その頃にフィーネもアルテナと出会っている。 けれど、それは月影の森が安全な場所だという証明にはならない。事実、月影の森は昔から魔物がよく出没するのだ。
(クルト……月影の森にいなければいいけど)
つり目がちの瞳を思い出す。
まっすぐアルドを睨み付けた瞳は、強い意志が宿っているように感じられた。あの目がアルドの不安を掻き立てる。月影の森にいなければいいと願いながら、クルトはいる気がしてならなかった。
※
「――はあああああああっ!!!」
何体目になるかわからないアベストとコブリンを倒しながら、アルドはクルトを探し続けた。
月影の森は普段とても静かな森だ。燐光が舞う神秘の森。かつてアルドとフィーネが時空を超えてこの森に現れたのも納得がいくほど、不可思議な力に満たされている。だがその不可思議さは、魔物すらも惹き付け魅了する力だ。
ただ、魔物が出没すると言っても頻繁ではない。危険な場所であることに変わりないが、ここまで賑やかではないはずだ。
(クルト……ここにいるのか……?)
これほどの数の魔物が蔓延る中にクルトがいるかもしれない。そう思うだけで気が逸る。だが、焦ってはいけない。旅の中で何度も感じた焦燥感。その度に抑えてきた。焦ってばかりいては正しい道が見つからないことを、アルドはすでに学んでいる。
呼吸を深めに行い、さらに森の奥へと進んでいく。一つの見落としもないように周囲に目を配った。小さな影を救い上げられるように。
その時だった。
「わああああああああああああああ!」
悲鳴がアルドの耳に届いたのは。
人間の悲鳴。それも小さな子供の声だ。かすかな悲鳴だったがアルドは速度を上げる。間に合え、間に合え、念じながら駆け抜けた。途中木の枝が頬をかすめたがそんなことも気にならない。聞こえる悲鳴を頼りにアルドは走り続けた。
森の開けた場所を抜け、小径に入る。その先に、影を見つけた。ふわふわの茶色の髪。
(クルトっ……!)
やはりここにいた。
小さな男の子。クルトは日中アルドの肩をたたき付けた木の枝を振り回して、アベストを牽制している。遠くからでもその姿が震えているのがわかった。
アベストの棍棒が大きく振り上げられる。
「クルトーーーーーー!!」
クルトに襲い掛かろうとしたその寸前、間に滑り込み剣で受け止めた。重い。ぎりぎりとアルドを押す力。横目で背後をうかがうと、尻餅をついたクルトの姿が目に入った。昼間の出来事が思い返されて、ふとアルドは笑う。
「怪我はないか、クルト?」
できるだけ優しく、余裕を持って。言い聞かせながら声をかけたが、クルトからの返答はない。それでも構わない。
「動くなよっ」
最後にもう一声クルトにかけ、アルドはふ、と力を抜いた。押し返す力がなくなったアベストの棍棒は前のめりに地面へめり込む。その隙をついて懐に入り、右上から左下へ剣を振り下ろした。
――ぎゃああああああああああっ
断末魔を残し、アベストは地に伏した。
それを見届け剣を振って血を払い、クルトを振り返る。小さな男の子は呆然とアベストが先程まで立っていた場所を見つめていた。
「クルト……大丈夫か?」
「あ……」
アルドがしゃがんで声をかけると、ようやく顔を向ける。
恐怖で染まっていた瞳に力が戻り、昼間のようにアルドを睨み付けた。
「おれ……おれひとりだって倒せたんだ! よけいなことするなっ!!」
「あ、おいっ! クルト……!」
手を差し伸べようとする前にクルトは立ち上がり、アルドの前から走り去ってしまった。
「ちょっ……待て、クルト!」
まさかこの期に及んで逃げられるとは思っていなかった。自分の甘さを詰りながら、アルドはクルトの後を追った。
子供の足だ。
すぐに追いかけたのもあり、追いつくのは簡単だった。だが、クルトの前には先程とは違うアベストが立ち塞がっていた。クルトは手に持った木の枝を不格好に構えている。興奮状態なのだろう、震えながらも眼前の敵に飛びかかろうとしているように、アルドの目には見えた。
(くそっ……)
焦りを隠すように心の中で舌打ちをする。
ぐっと踏み込んだ足に力を込めた。
(まにあえ……!)
剣を持たない方の手を伸ばす。本来の長さよりももっと伸びろと念じるように、まっすぐクルトを見据えながら。その視界の端で、アベストが手に持つ棍棒を大きく振りかざしたのが見えた。さらに強く足を踏み込む。
「っクルト!」
――手が届いた!
ほんのわずかに掠った指の感覚に、夢中で手を伸ばす。
気付けば小さな子供の首根っこを引っ掴み、乱暴に引き寄せていた。
「――っ」
先程までクルトが居た場所に入れ替わるように自分の体を滑り込ませて、アベストの棍棒を受け止める。ぎん、と剣が鳴った。鈍い音だ。弾かれたようにアベストが後退し、同様にアルドも二歩三歩と後退した。
右腕に走った痺れがいささか気になったが、それ以上に左腕に抱え込んだぬくもりへの安堵の方が強かった。子供特有の小さく柔らかい体。ぬくもりと、そこから伝わってくる震えが、姿を確認するまでもなくクルトの無事を教えてくれる。
「っクルト、動けるか?」
「…………っ」
震えながらも小さく頷くのがわかった。
安心して前方への集中を切らさないまま言葉を続ける。
「よしっ、俺の合図で後ろにさがるんだ。いいか? 遠くへは行くなよ。あくまでほんの少し、下がるだけだ」
もう一度頷くのがわかった。今度は先程よりも力強いように感じられる。
よし、と吐息と共にアルドも頷く。
アルドの前方、棍棒を構えたアベストからは退く様子は全く見受けられない。むしろ今すぐにでもこちらへ踏み込んできそうな気迫が伝わってくる。アルドは先程の右腕の痺れを思い出した。
(魔物の活性化か)
旅を続ける中で腕を上げていったアルドにとって、本来月影の森に棲む魔物は最早敵ではない。容易く、とまではいかないが、倒すのに時間はかからないだろうと考えていた。
だが今目の前で構えているアベストはどうだろうか。通常時の気迫ではない、どこか興奮しているようにも見えた。人間であればその眼は血走っているようにも見えただろう。
だからといって後れを取るつもりはない。
アルドは右手に持った剣に力を込め、吼えた。
「下がれ!」
クルトが下がるのと同時にアルドも駆け出す。
時間をかけてはいられない。 月影の森にはまだこのアベストと同じように、活性化した魔物が存在している。そんな場所にいつまでもクルトを置いておくわけにはいかない。
突然駆け出したアルドにわずかに動揺したアベストに素早く迫り、右上から左下へと剣を振り下ろした。耳を劈く咆哮が響く。
「っだあああああああっ!」
とどめと言わんばかりに、間髪入れずに今度は下から振り上げる。
最後の咆哮を上げ、アベストは背中から倒れて行った。
それを見届け、アルドは右腕を大きく振り、血糊を払う。鞘に納めて振り返れば、少し離れたところで小さな少年が尻餅をついて呆然としているのが見えた。
呼吸を整え、自分を落ち着かせる。できるだけゆっくりと近付きながら、クルトの前に屈んで目線を合わせた。顔は青ざめ、その目は焦点が合っていない。
「クルト? もう大丈夫だ。終わったよ」
「……っあ……」
震える睫毛。しばらく見守ると、次第にその目がアルドを映していくのがわかった。その様子を確認して、アルドは努めて優しく微笑む。
「怪我はないか?」
「……う、ん」
「よし。じゃあ早いとこ森を出よう。立てるか?」
立ち上がり手を差し伸べるとクルトは素直にその手を取った。最初の頃の威勢はどこかへいってしまったらしい。アルドへの敵対心よりも魔物への恐怖の方が勝っているのだろう。正気を失っているわけではないがまだどこか意識が覚束ない。クルトの呆然とした様子を見下ろしながらアルドは溜息を吐いた。
(これじゃ、お説教はまた今度だな)
立ち上がったクルトはまだアルドの手を離さない。震える小さな手は安心を求めてアルドの手を強く握っていた。その姿に、なんとなく幼い頃の自分の姿が重なった。
(……俺もこんな感じだったのかな)
妹のフィーネの手を引きながら、自分がお兄ちゃんだと強がっていた時期がふと思い出された。
「……帰ろう」
ふと浮かんだ苦笑は、果たして誰へ向けたものだっただろう。
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