第2話 男の子、女の子

 バルオキーは広い村ではない。

 探そうと思えば、簡単に目当ての人物は見つかった。

 メルと、恐らくクルトと思われる男の子を、2万年前に作られたという銅像の前で見付けたのだ。

「勝手なことしないでよね!」

「な、なんだよ……! おれはべつに!」

 見付けたはいいが、二人は何やら言い争っている。周りにいる村人は止めるどころか微笑まし気に見守っているので、もしかしたらいつものことなのかもしれない。アルドもしばらく見守ってみることにした。

「彼に何かしたんでしょう!?」

「っ……でも! だってあいつ、昨日もちがう女の人を連れてたんだぞ!?」

「だからなによ!?」

「そ……そんな女たらし、やめとけって言ってるんだよ!!」

「はあ!? なんでクルトにそんなこと言われなくちゃいけないの? わたしの勝手でしょ!?」

「お、おれはメルが心配で……!」

「心配してもらわなくても結構よ!!」

「で、でもっ……」

「言っとくけど、わたしは5年越しなの! いまさらクルトに何を言われても変わらないんだから!!」

「め、メル……だけど……!」

 なんだか、10歳頃の少年少女がするような話だとは思えなくなってきた。

 思わぬ修羅場にアルドのこめかみがひきつる。だが、周りの村人は相も変わらず微笑まし気だ。やはりいつものことなのだろう。

 どうしたものかと考えあぐねていると、メルがクルトにつかみかかった。

「クルトのばか!! どうしてわたしの話を聞いてくれないの!?」

「う、わっ……」

 首根っこをつかまれて前に後ろにがくんがくんと揺さぶれるクルト。茶色の癖毛がふわふわどころかぶわんぶわんと大きく揺れる。

(話を聞かないのはどっちかというと……)

 メルだ、と思いながらも口を挟む機会を失ってしまっては、どうにもできない。

 小さな少年少女の言い争いに、大人はなす術もないのか。

「や、やめろよ……!」

 状況を変えたのはそれまでやられっ放しだったクルトだ。

 つかみかかっていたメルの手を振りほどく。

「メルがなんと言っても……おれは……!!」

 拳を握り締め、クルトはメルをまっすぐに見つめる。その強さにメルも言葉が引っ込んだのか、何も言わない。

 二人の小さな少年少女はしばらく見つめ合った。クルトが踵を返して走り去ってしまうまで、その時間は続いた。

「クルト……」

 小さくなっていく背中を見つめるメルの表情は切なげだ。先程まで同い年の少年に掴みかかっていた少女とは思えない。

 メルはクルトが走り去っていった方向とは反対方向へ踵を返し、とぼとぼと歩き始めた。

「メル」

「! ……あ、アルド……!」

 放っておいた方が良かったのかもしれない。ただ、アルドはなんとなくこのままにはしておけなかった。

 メルのことは小さい頃から知っている。母親のお腹にいる頃、生まればかりの頃、ようやくハイハイし始めた頃。妹のフィーネが成長して自分の手を離れていくにつれて感じていた寂しさを、幼いメルが埋めてくれたと言っても過言ではない。アルドにとってメルは妹のような存在だった。そんなメルの肩を落とした姿を見て、放っておけるわけがなかったのだ。

「どうしたんだ? さっきの子……クルト? あの子と喧嘩したのか?」

 声をかけたアルドを見上げ、メルの顔が強張ったのを感じた。メルの前に目線を合わせるようにしゃがみ、アルドはできるだけ怖がらせないように優しく声をかける。

 アルドを前にしたメルは先程までの勢いが嘘のように意気消沈していた。しばらくアルドの顔を見つめていたが、そっと顔を俯かせてしまう。もじもじと手のひらをこすり合わせながら「あのね……あの……」と繰り返している。

「うん?」

 メルが話しやすいようにとアルドは言葉の続きを促す。大丈夫、ちゃんと待っているよと示してあげると、メルは安心して話してくれることを知っているのだ。

「あのね……」

「うん」

「クルトとは……ケンカというか……ちょっと言い合っちゃっただけなの」

「そっか」

「いつもはちゃんと……仲良しなんだよ?」

 アルドの思惑通り、メルは顔を上げて今度は安心したように息を吐いた。

「うん。わかるよ」

 うかがうようにアルドを見るメルに、微笑み返す。メルが息を飲んだ。アルドから目を反らし、再びもじもじと手のひらをこすり合わせ始めた。

「あのね、クルトは……わたしのため、って……」

「メルのため?」

「うん……あの、さっきアルドに何かした、でしょう?」

 池の前で突然飛びかかられたのを思い出す。木の枝でたたかれた肩の痛みはすでに引いているから忘れていたが、一応攻撃されたのだった。恐らく跡にもなっていないだろうが、よく考えれば子供のいたずらにしておくには度が過ぎていたかもしれない。アルドだったからよかったものの、もしも他の人間に同じことをしていたら……怪我をさせていたかもしれないし、場合によってはクルト自身が痛い目に遭っていたかもしれないのだ。思わずアルドの表情も厳しくなる。それを察したのか、メルの肩が震えた。

「あ、ごめんな、メル。俺は怒ってないよ。でも、クルトのしたことは危険なことだ。俺やバルオキーの皆だったら許したかもしれないけど、もしも他の人だったらって思うと……ちょっとな」

「……うん。アルドは、怒らないって知ってるもの。だから、クルトも……」

「え?」

「ううん! なんでもない……」

 首を傾げるアルドにメルはもう一度俯いた。けれど、すぐに顔を上げる。

「あの、あのね、アルド! クルトを叱らないでね? クルトは本当は悪くないの! わたしが……わたしがいけないの……! さっきも……わたしが……」

「メル……」

「ごめんなさい、アルド……!」

 メルは走り去ってしまった。

 引き止める間もなく走って行ってしまったメルを見送り、アルドは息を吐く。要領を得ない言葉ばかりだったが、クルトがアルドに襲い掛かってきたのも先程の言い争いも、すべてはメルのため、ということなのだろうか。

(メルも……大きくなったんだな……)

 幼い頃のメルを思い返し、アルドは何だが寂しく感じた。

 フィーネもそうだったが、女の子の成長はあっという間だ。精神的に男よりも大人になるのが早いというが、本当にその通りだ。少し目を離した隙に、大人になってしまう。想像もしていなかった表情をして、こちらでは言い返せないことを言ってくるのだ。

(そんなの、フィーネだけだと思ってたんだけどな)

 女の子は皆、こんなにもすぐに成長してしまうのだろうか。

(……メイはもう少し、わかりやすかった気がするけど)

 幼馴染の少女を思い出して、アルドは頭をかいた。彼女の場合はもっとざっくばらんとしていた気がする。彼女の繊細さはすべて別のところに使用されていたのだろう。対人関係ではあっけらかんとして非常に付き合いやすい。

(まあ……あんまり大人が口出すことじゃないか)

 当時の自分たちのことを思い返し、アルドはそう結論付けた。

 心配ではあるが、子供は子供で意外と自分たちで解決してしまう力を持っている。大人の干渉を煩わしく感じる年頃でもあるし、深く踏み込まない方がいい時もあるだろう。

 メルの走り去った方向を見つめ、アルドは「よし」と頷いた。

 今日はもう帰ろう。そろそろ日も暮れる。フィーネも帰って来ている頃だろうし、冷却箱の中が0だとわかると、夕食のメニューも変わるはずだ。それに備えて、アルドは早めに帰宅することにした。


   ※


 家路についたアルドの目に、その女性が映ったのは偶然だった。

「もう……どこに行っちゃったのかしら」

 ふわふわの癖毛の茶色の髪。つり目がちな瞳。今のアルドには印象的に映り、ついつい目で追ってしまう。すると女性に気付かれたのか、目が合った。

 しまった、と焦るアルドをしり目に、女性は近付いてきた。

「あの……すみません。息子を見ませんでしたか?」

「え……? 息子さん?」

「はい……お使いを頼んだのですが、まだ帰ってこなくて。越してきたばかりだから、道に迷ったのかも……」

 女性の顔に見覚えはなかった。彼女が言う通り、アルドが知らない間にバルオキーに越してきたのだろう。女性もアルドのことを知らない風であった。そのことと、女性の髪質や瞳から、アルドには思い当たる人物が居た。

「息子さんって、もしかして、クルトくん、ですか?」

「! そうです! ご存じなんですか?」

「さっきそこで会って……」

「本当ですか!? クルトはそれからどこへ?」

「すみません、それはわからなくて……」

 銅像の前でクルトと遭遇してから彼の居所はわからない。

 そろそろ日も暮れかけている頃だし、あの年頃の子が帰宅していないのは心配だろう。

 恐らくクルトの母親であろう女性はアルドに身を乗り出した。

「あの……最近、クルトの様子がおかしくてっ……」

「様子がおかしい?」

「はい……ここに引っ越してきて以来、毎日のように遅くまで出かけては、傷だらけになって帰ってくるので……もしかしたら……村に馴染めていないのかも……って……危ないことをしていたらと思うとっ……」

「傷だらけ……?」

 確かに思い返すとクルトは小さな傷が多かった気がする。

 顔、腕、足……擦り傷のような切り傷のような、小さな傷が目立った。女性はもしかしたら、よそ者であることでクルトがいじめに遭っているのではないと心配しているのかもしれない。

 アルドは安心させるように女性に微笑みかけた。

「傷だらけなのは心配ですけど、大丈夫ですよ」

「あ……ごめんなさい、見ず知らずの方にこんなこと」

「いえ、俺もバルオキー警備隊の一員ですから」

「まあ、警備隊の……?」

 驚いた顔を見せる女性に、アルドは頷いた。

「最近は村を出ていることが多いんですけど……アルドっていいます」

 すると女性は目を輝かせた。

「ああ、アルドさん! メルちゃんから話は聞いています」

「え、メル……?」

「ええ。メルちゃんが、アルドさんっていうとっても強いお兄さんがいるって。今は村にいないことが多いけど、すごく強くてかっこいいって言ってたんですよ」

「は、はあ……」

 メル……なんてことを……思わず口に出しそうになったが、アルドは苦笑いで済ませた。

 クルトとメルが親しいことから予想はついたが、女性はメルのことを知っているらしい。アルドが村の警備隊の一人だと知って安心したのか、口が先程よりも滑らかになった。

「主人の仕事の都合でリンデからこちらに越してきて……のどかでとても素敵な村なんですけど、中途半端な時期の引っ越しだったからクルトのことが心配だったんです。でも、近くに住んでいたメルちゃんとすぐに仲良くなって……メルちゃんはとてもいい子だし、安心していたんですよ。でも最近……」

 傷だらけで帰って来るようになった、と。女性の顔が再び曇った。

 母親をここまで心配させるくらい、クルトは毎日傷だらけなのだろう。アルドにも思い当たることはある。昼間アルドにしたように、別の人間に襲い掛かっていたら……もしそれが気の短い人間だったり、村の人間ではない者だったりしたら……やはり、あの行為はやめさせる必要があるのだろう。

「クルトのことは、俺がなんとかします。とりあえず今は探しましょう」

「ありがとうございます。あの……私も一緒に行っても?」

「もちろんです」

 メルならクルトの行き先を知っているかもしれない。

 アルドはメルを探し始めた。

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