ほころぶ想いはどこへいく
omi
第1話 奇襲にはご用心
穏やかに澄んだ青空を仰ぎ、アルドは顔を緩ませた。いい天気だなぁ、と誰ともなくつぶやくと 傍らで体を丸めて目を閉じているヴァルヲの背を一撫ぜする。
(やっぱり落ち着くな……バルオキーは)
時空を超えていくつもの時代、いくつもの国を旅してきた。穏やかで居心地の良い土地もあったがやはりアルドにとって一番落ち着くのは故郷であるバルオキーなのである。
これまでも旅の途中で立ち寄る度にのんびりした時間を過ごしてきたが、今日は特に穏やかだ。一緒にバルオキーを訪れた仲間たちは皆、思い思いの場所で休息している。妹のフィーネもアルドをたたき起こした後は、セレナ海岸へ出かけると言っていた。
ふわ、とあくびを噛み殺しつつ釣り糸の先の様子をうかがう。
村はずれのなじみの池で釣りを楽しむようになったのは、旅を始めてからだ。最初は慣れなくて戸惑うことも多かったが、最近はこうして癒しの一つになっていた。釣り糸を垂らしてすでに小一時間ばかり経っているがそんなことも気にならない。全く釣れなかったとしても、それはそれでご愛敬。ゆっくり休めたと思うだけだ。
(まあ、釣れた方がいいんだけどな)
何も入っていない冷却箱に頬を膨らませる妹の姿が簡単に想像できてしまい、苦笑い。少しは頑張ってみるかと竿をぐっと強く握り直した。
それにしても穏やかだ。
慌ただしく時空を超えている時間が遠く感じる。このまま明日も明後日も明々後日もこんな時間を過ごしていきたいがそうもいかないだろう。明日にはまた旅立たなければならない。
旅は旅で決して悪いことばかりではない。多くの仲間と出会えたし、バルオキーで過ごしていただけでは知れなかったことも知れた。未知の世界にも触れた。アルドにとってはかけがえのない旅であり、かけがえのない時間だ。けれど、ふとこうした穏やかな時間を堪らなく愛しく思うのだ。
(とりあえず、今日は一日こうしていよう。ヴァルヲも寝てるし)
ヴァルヲの滑らかな毛をもう一撫ぜしようと手を伸ばし、ふと背後に気配を感じた。こちらを探っているような気配だ。
(なんだ?)
明らかにアルドをうかがっている。
しばらく気配がどう動くか探ってみたが、危険は感じなかった。まあいいか、と改めて釣りに集中し直そうとした時だ。
「ったあああっ!!」
「いてっ……! な、なんだ!?」
急な叫び声と左肩に落ちた痛みに思わず竿から手を放した。慌てて池に落ちていきそうだった釣竿をつかむと今度はそれを剣に見立てて振り返り様に一閃……しようとして止める。
「うわぁ!」
「へ……? なんだ?」
そこには尻餅をついた小さな男の子が居た。ふわふわした茶色の癖毛に、気の強そうなつり上がった目をしている。年の頃は10歳くらいだろうか。そばには木の枝が落ちている。これが痛みの正体なのだろうとすぐに察しはついた。
「ど、どうしたんだ? えっと……あー……大丈夫か?」
木の枝でたたかれたのはアルドの方だが、なんとなくその言葉が口をついて出た。すると男の子はアルドを睨み付けた。
「っくそう……! やったな!?」
「え、いや、俺は何も……してなくはないけど」
思い切り振りかぶろうとしていた釣竿を手に眉を下げる。
男の子は尻餅をついたままアルドを睨み上げていた。唇をぐっと噛み締め悔しそうなその顔には見覚えがない。
(この子は……? 最近引っ越してきたのか?)
バルオキーは小さな村だ。村人のほぼ全員が顔見知りと言っても過言ではない。ただ、最近はアルドが村を空けがちなため、その間に引っ越してきている人間が居たら知らないのも当たり前なのだが。
「大丈夫か? 俺に用だった?」
釣竿を未だに眠っているヴァルヲとは反対側に置き、尻餅をついたままの男の子の前にしゃがんだ。手を差し伸べようとすると、男の子に届く前にたたき落される。
「たっ……」
「敵の情けなんか受けるもんか!!」
「て、敵……?」
男の子はアルドをさらに強く睨み付けると自力で立ち上がり、村の方へと走り去っていった。
「な、なんだったんだ……?」
その後姿を呆然と見送る。
思わずヴァルヲに目をやると、応えるように片目を開いた黒猫は煩わしそうにニャァと鳴いた。うるさい、と言われているようで、釈然としないながらもアルドはもう一度釣竿を握り直す。とりあえず、釣ろう。そんな決意を胸に池に向き直った。
※
「ねえ、アルド。ここにクルトは来なかった?」
のんびりと釣りを再開したアルドの元に再び来訪者が現れた。向き直ると、今度は小さな女の子が背後に立っていた。先程の男の子と同じくらいの年頃で、やわらかい髪をツインテールに結んだ彼女には見覚えがある。旅に出る前はよく一緒に遊んでいた。その頃のことを思い出し、アルドの目元が自然と緩む。
「ああ、メルか。クルトって?」
「そっか、アルドは知らないのね? クルトはね、ひと月前にリンデから引っ越してきたの。髪がくるくるってくせっ毛なのよ」
アルドが振り返ると、女の子……メルはくすくすと笑った。アルドよりもくせっ毛よ、と。
「俺、くせっ毛かぁ……? そうでもないと思うけど……クルトって髪は茶色?」
「うん、そう。髪は茶色でつり目なの」
猫みたいなのよ、とまたメルは笑った。
「じゃあ、さっきの子がクルトかな?」
「やっぱり……何か言ってた?」
先程突然飛びかかってきた男の子のことを思い出しながらアルドが答えると、メルの表情がきゅっと厳しくなる。
「いや、特には……」
「何かされなかった?」
「いや……うーん……」
何もされていないと言えば噓になるが、ここでそれを言うのはなぜだか憚られた。
ただ、元来アルドは嘘が苦手だ。上手い誤魔化し方というのも咄嗟には出てこない。ついつい苦笑いが浮かんだ。
そんなアルドの曖昧な反応に、メルの表情がさらに厳しくなる。
「されたのね!?」
「いやっ……そんな大したことは」
「でもされたんでしょう!?」
「うん、いや……本当に大したことじゃないんだ」
「大したことじゃなくても……! アルドに変なことするなんて! もう! クルトってば……!!」
どんどん表情が厳しくなるメルに、アルドは苦笑いが濃くなる。
メルは基本的におとなしい少女だが感情が高ぶってくると途端に人の話を聞かなくなるところがあった。もっと言えば、突拍子もない行動に出る。過去、村の男の子にお気に入りの髪飾りにいたずらをされた時は、謝るまで追いかけ回し、捕まえた暁には納得のいくまで謝罪の言葉を述べさせたという逸話も持っている。それ以来メルにいたずらをする子はいなくなった。
その時のメルと今のメルが重なる。
(これはもう……釣りどころじゃないな)
さすがにヴァルヲも寝ていられないと思ったのか、気付けば姿が消えている。裏切り者……恨み言が出そうになるが猫に言っても仕方ない。
どうしたものかと困っていると、メルが勢いよく踵を返した。
「ごめんね、アルド! クルトにはわたしがよく言って聞かせるから……!」
「あ、メル……! ……行っちゃったか」
引き止める間もなく走り去っていったメルに、ため息が出た。
とはいえ、このままにはしていられない。
「あの様子だと、クルトって子がなんか心配だな……ちょっと様子でも見てみるか」
さかな冷却箱は0のまま。頬を膨らませ肩を怒らせる可愛い妹の姿を想像して「ごめんな」と心の中で謝りつつ、アルドはメルの後を追った。
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