第3話


 人は何故ダンジョンに潜るのだろうか。


 そこにダンジョンがあるからだ。


 人は何故魔王を討とうとするのだろうか。


 そこに魔王がいるからだ。


 じゃあ人は何故副魔王を倒そうとするのだろうか。そこに副魔王はいないというのに。


 副魔王なら庶務課施設係清掃班第三待機室にいる。清掃作業以外の時間はいつもってほど第三待機室に入り浸っている。


 難攻不落の暗黒城最上階に位置する魔王の執務室をラストダンジョンの最深部だとすれば、第三待機室はわりと表層にある。何だったらラストダンジョン入場後徒歩十五分で到着するくらいの位置だ。


 魔王よりも簡単に倒せそうな副魔王がすぐそこにいるというのに、人は副魔王をスルーして魔王へと挑む。人は何故副魔王を倒そうとしないのか。


「副魔王様にそこまで倒す価値がないからじゃないですか?」


 ソラリスは言ってはいけないパワーワードをあっさりと当の本人にぶつけた。くるくると器用にペンを回しながら禁句をつぶやく待機室の午後のひととき。


「たとえそうだとしてももう少しオブラートに包んだ方がいいんじゃないかな」


 副魔王は昨日の業務報告書を作成しながらがっくりとうな垂れた。ソラリスの言葉はイバラの鞭のようにぴしゃりと痛い。


「あなたには異世界転生にチャレンジする価値があると思います」


「うん。だいぶオブラートに包まれてるけど、端的に言うと『死ね』の二文字に集約されるね」


「業務報告書提出してからにしてくださいね」


 無様にもトラップに挟まれて大きなトゲに頭部を貫かれた勇者とゆかいな仲間たちの死骸はレッドビーンズスライムによって完全白骨化された。トラップ壁や床に付着した血糊や肉片も痕跡を残さず洗浄し、トラップのカラクリ仕掛けを元に戻す。その間にスケルトン状の元勇者をしっかり乾燥させて、後は人事課に任せるだけだ。


 人事課所属のネクロマンサーが警備プログラムを書き込み、スケルトンとしてラストダンジョンのルート巡回警備にあたってもらう。元の人間が強ければ強いほどスケルトンも強力になる。言わば一石二鳥の現地採用ってところか。


 こうしてワンダリングモンスターを補充していかないと暗黒城の警備が空っぽになってしまう。最近、自称勇者の不法侵入がやたら多い。


「ところで、副魔王様の副って何なんですか?」


「それを今更聞く?」


 ソラリスのかいしんのいちげき。副魔王は瀕死ダメージをうけた。


「サークルの副リーダーとか、暴走族の副ヘッドとか、副がつく役職ってイキってる若い子がエントリーシートに書いちゃう肩書きですけど、副魔王様は全然そんな雰囲気じゃないし」


「褒めてるのかな? ディスってるのかな?」


「役職の一部に魔王って付くくせに勇者のシルシ触れちゃうし、副魔王様が魔法使ったり勇者と戦ったりしてるの見たことないですよ」


「俺は平和主義なんだよ」


「ならいっそのこと魔王様に反旗を翻して平和の名の下に魔王軍を統治しちゃったら? 下克上副魔王なんてどうですか?」


「俺はただ魔王っぽい角が生えてるだけの普通の男だよ。周りが勝手に期待しちゃって組織の副リーダーとして担ぎ上げられただけだし」


 さらっと真相を告白しちゃった副魔王。しかし突然鳴り響いた電話のコール音が副魔王の言葉をかき消してしまった。


 副魔王いじりにも飽きてきたソラリスも、1ミリのズレもなく書類をファイリングするパンチ穴を開けていたスレイニル班長も、ぴたっと作業の手を止めて電話機を睨みつけた。


 表示されている内線番号からすぐにわかる。また勇者どもがラストダンジョンに不法侵入し、そして死に、その死骸処理と清掃業務依頼の電話だ。


「電話だよ」


 副魔王がさりげなく言った。そんなの知っている。しかし動かない新人ダークエルフ。まったく動じない死霊班長。そしてけたたましく鳴り続ける電話。


「出るよ。出ちゃうよ」


「はあーっ」


「……チッ」


 昨日の業務報告書もまだ提出していないというのに、さあ、仕事だ。




 ついに来たか。


 スレイニル班長は荒れ果てた清掃現場を見渡して思った。


 いつかこの日がやって来ると覚悟はしていたものの、いざ現場を目の当たりにすると死霊のオーラもバラバラに乱れてしまう。


 清掃現場に勇者の遺留品有り。注意されたし。そう連絡を受けていた。まさか、勇者の遺留品がアレだとは。


「オリハルコンの剣……!」


 黄銅色に鈍く輝く一振りの剣が暗黒城の壁を斬り裂き、天井の一部を砕き割り、ラストダンジョンの床板に突き刺さっていた。


「班長、何ですか、オリハルコンって」


「ソラリスちゃん、触ってはいけません。オリハルコンは波動エネルギーを発して空気に浮くように軽く、そのくせ波動によりどんな金属よりも硬いSクラスレアメタルです。闇の眷属が触れれば八つ裂きにされるとさえいわれています」


 丁寧な口調で説明するスレイニル班長の顔色、というかオーラ色が悪い。死霊らしく青白く凍えているようにも見える。


「勇者のシルシの強化版みたいな?」


「もっと強力なモノです。我々では持ち運ぶことすら命の危険に晒されます。この場に魔力のこもった箱でも作って厳重に鍵をかけて封印するくらいしかできません」


「この場に? ここはラストダンジョンですよ? 勇者にむざむざ宝箱を用意してやるようなものです。そんなヤバイモノを魔王様の居住する暗黒城内で管理するなんて!」


「そこがオリハルコンの剣の恐ろしさです。まるで剣そのものに意思が宿っているかのごとくに勇者の手から手に渡り、じわりじわりと魔王様へと近付いていく。我々闇の眷属はこれに触れることもできず、なす術はありません」


 ソラリスはダンジョン天井部を見上げた。ここはラストダンジョン上層、暗黒城内への物資搬入口も近い階層だ。


 スレイニルも天を仰ぐようにオリハルコンの剣から目を背けた。いつか近いうちに、また別の勇者がオリハルコンの剣に呼ばれてここにやって来るだろう。そして最強のオリハルコンの剣を手にして、暗黒城へ突入する。我々にそれを止める手立ては残されているのだろうか。


「今回の勇者は低レベルでオリハルコンを使いこなせなかったようで、オークエリート正社員さんとの戦闘に破れてくれて助かりました」


「これは魔王様へ報告連絡相談した方が良さげですね」


 スレイニルとソラリスがオリハルコンの剣に視線を戻す。と、床石に深く突き刺さっていたはずの剣がない。


「これが噂のSレアアイテム、オリハルコンの剣か。すげえ軽いわ」


 副魔王がオリハルコンの剣を抜き放ち、楽しげにぶるんぶるん振るっていた。


 まだ死霊になる前の子供の頃、森に落ちていたどんぐりを拾っては美味しそうに頬張った友達におまえも食えとどんぐりを勧められた時の、顔の上半分で微笑んで下半分で泣いているような表情で副魔王を見つめるスレイニル班長。死霊のオーラもすっかり消え失せて、ただの半透明の人間に成り果てていた。


 生まれて初めて見る珍しい動物が突然流暢な共通語であなたは今幸せですかと話しかけてきたかのように、とても困惑して私は通りすがりのただのダークエルフですとばかりに目を背けてしまったソラリス。大きな黒目が小刻みに震えてまるで視線が定まらない。


 副魔王はオリハルコンの剣を軽々と無造作に振り回す。あは、あはは、と笑い出しそうな無邪気な顔で。


「スレイニル班長。これどこに持っていこうか? ソラリスちゃん、君も持ってみるかい? びっくりするくらい軽くて、なんか熱いエネルギーを感じるよ」


 ダメだ。無垢で純粋な思考は人の恐怖を凍らせ、最高に危険な領域でも軽く踏破させてしまう。スレイニルはこれを見なかったことにしようと心に決めた。


「なんか俺、すっごい強くなれたような気がする」


 バカとハサミは使いよう、とはよく言ったものだが、副魔王とオリハルコンの剣の組み合わせはどうしようもなく使いようがない。ソラリスはこれは夢だと思い込んだ。


 ふと、副魔王は真顔に戻り、ゆったりとした黒衣の胸ポケットに手を突っ込んだ。ポケットの中の物に触れると何か決意めいたように頷き、手を抜き出してスレイニルとソラリスへ差し出す。その手には小さな銀色のメダルが乗っていた。勇者のシルシだ。ほんのりと光を放っている。


「共鳴しているんですか?」


 スレイニルが絶望的に言った。対魔王戦の二つの必須アイテムがここに揃ってしまった。


「それ、まだ持ってたんですか」


 ソラリスは呆れた声をあげた。備品管理課に提出しろって言ったはずだろ、と大きな目をさらにまん丸くする。


 熱を帯びた勇者のシルシ。手のひらの中のそれをじいっと見つめる副魔王。呼応するかのようぬ明滅して黄銅色に輝くオリハルコンの剣。世界を照らすようにすうっと掲げる副魔王。


 その表情には寂しさと晴れやかさが同居していた。


「……下克上の準備、整っちゃったな」


 おまえの夢ってなんだっけ? 何もかもが楽しかった子供の頃を思い出してみな。その角、少年時代から重かったろ? いつからだったか。副魔王なんてあだ名で呼ばれたのは。すべて、この角のせいだろ?


 オリハルコンの刀身に映る副魔王が己自身に問いかけた。


「やっちゃおっかなー」


 どこか憂いげな副魔王の声を聞いて、ダークエルフの少女はかすれた声でつぶやく。


「もしも下克上が成功しちゃったら、副魔王様はもう第三待機室に来なくなっちゃうのかな……」


 副魔王はそっとソラリスへ振り返ったが、オリハルコンの剣に囚われているように映る副魔王は、振り返らなかった。




 私はソラリス・ダマスカス。魔王軍総務部庶務課施設係清掃班に新規採用されたまだ若いダークエルフです。


 自分を特別な勇者だと思い込んでる頭がちょっとアレな人間は未だに多くて、ラストダンジョンの掃除番の仕事は相変わらず忙しいです。清掃班の人手不足もちっとも解消されません。まともに仕事できるのは私と死霊班長の二人しかいないわけだし。


 結局、オリハルコンの剣と勇者のシルシは第三待機室の空きロッカーにしまいっぱなしです。もう、危なくってしかたありません。早く処分してもらいたいけど、あ、もう、どうせ勇者の死骸処理の依頼なんだから、電話に出るなって言ってるでしょ。……チッ。




 おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラストダンジョンの掃除番 鳥辺野九 @toribeno9

作家にギフトを贈る

カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?

ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ