第2話


 人間は脆く弱い生き物だ。ちょっと鋭い金属の先っちょを突き刺しただけで血飛沫を上げて臓物を撒き散らし甲高い声で鳴き叫ぶ。


「うわあ、痛そうだな」


「副魔王様を勇者から守るためのトラップですからね。当然です」


 ソラリスの冷たい言葉が容赦なく副魔王の頭に突き刺さる。まさに即死トラップに引っかかったこの勇者たちのように。誇らしく大きな山羊の角もソラリスの言葉責めの前には防御力ゼロだ。


「まるで俺のせいだ、みたいに言わないでよ」


「まるで、じゃないです。魔王様は魔王職の執務で忙しいんです。まずは暇そうな副魔王様から倒そう。勇者どもの考えそうなことです」


 魔王職と違って副魔王職ってあるんだろうか。副魔王はつい自分の存在意義につっこんでしまった。


「暇じゃない。ないんじゃないかな。ないよね? こうして掃除してるんだし」


 それでも弱い人間ほど我こそは勇者であると勝手に思い込んで暗黒城を攻略しようと無謀な戦いを挑む。その結果がこれだ。動く壁に挟まれて、突き出たトゲに頭を貫かれて、ぐしゃり。


「ソラリスちゃんも副魔王さんも、おしゃべりもいいですけど手も動かしてください」


 死霊であるスレイニル班長が半透明の顔でじろりと睨む。紫色の仄暗いオーラを身に纏い、まるで作業着が紫に燃えているように見える。その圧倒的な目力に副魔王は思わず後ずさってしまう。どちらかと言えばスレイニルの方がヴィジュアル的によっぽど副魔王っぽい。


「はい。ほら、ソラリスちゃんも手を動かして」


「……チッ」


 迫り来る壁に挟まれて身動きも取れないまま金属のトゲに頭部を貫かれた勇者の亡骸。それにはもはや勇者たる力溢れる魂の輝きも、愛と勇気を背負った孤高の精神も感じられない。そこにあるのはやがて腐敗が始まる肉の塊だけだ。


 ソラリスは防臭マスクと保護眼鏡越しに勇者の死骸に一言お悔やみの言葉をつぶやき、バケツ一杯分のスライムを無造作にぶっかけた。動物性のタンパク質を好んで分解するように品種改良されたレッドビーンズスライムだ。バケツ一杯で普通サイズの人間2人分を30分で骨と装備品だけにしてしまえる強力な食欲の持ち主である。


「え、ええいっ」


 副魔王もソラリスに倣ってスライムバケツを振るった。ゆったりとした優雅なデザインの黒衣が細く頼りない腕に絡まり、思ったよりもレッドビーンズスライムは飛び出さず勇者の死骸の下半身にのしかかった程度だった。


「下手くそ。そんな魔王っぽいコスプレしてるからですよ」


「これはコスプレじゃないよ。ちゃんとした副魔王の正装だよ」


 スレイニル班長がデッキブラシで床石に撒き散らされた血糊やら肉片やらをゴシゴシやりながら静かに言う。


「副魔王さん。もしも清掃作業用ツナギ服が必要ならちゃんと漆黒色のを用意できますが、どうしますか?」


 実体を持たない半透明な幽体のくせにびしっと作業服を着こなしている死霊上司に言われては、さすがの副魔王でも強く拒否もできない。


「いえいえ、替えの副魔王の制服もありますので、多少汚れても問題ないのでまだこの服装でやらせてもらいますよ」


 もしも作業ツナギ服なんか着てしまっては、もはや副魔王らしさなど頭の大角くらいしか残らない。それは困る。副魔王という役職が泣いてしまう。


「あれ? スレイニル班長」


 ソラリスが勇者の死骸をスライムが処理しやすいようにと火バサミで弄りながらスレイニルを呼んだ。どうもスライムが避けたがる部位があるようだ。


「ソラリスちゃん、どうしました?」


「こいつ、勇者のシルシを持ってるっぽいです」


 勇者のシルシ。それは闇の眷属が触れると光属性の大ダメージを負ってしまうヒロイックアイテムである。闇の眷属を倒すため、光の神が与えし祝福の代表格。それさえあれば魔王討伐に一歩近付くとさえ言われるホーリーシンボル。


「本当ですか? 勇者のシルシだなんて久しぶりですね」


 スレイニル班長の死霊独特のオーラが少し怯んで見えた。


 スライムが避けて通る部位をソラリスが火バサミで慎重に弄ると、ポロリ、見た目安っぽい銀貨のようなメダルが落っこちた。チャリン、落下音までも安っぽい。


「わっ」


「気を付けなさい」


 飛び退くソラリス。オーラがさらに萎むスレイニル。


「これが勇者のシルシか。噂では異世界転生者が持って生まれてくるとか聞いてるけど、普通の銀貨みたいなもんだな」


 副魔王は勇者のシルシを何気なく拾い上げた。壁に備え付けられた魔力燭台で照らしてみる。見たこともない文字が刻まれた銀色のメダルだ。


 ふと、ソラリスとスレイニルが驚いた表情でこっちを見ているのに気付く副魔王。


「ん? 何?」


「副魔王様、勇者のシルシを素手で持って、平気なんですか?」


 勇者のシルシは魔王討伐必須アイテムの一つ。闇の眷属が触れれば即座に焼けただれて消し炭になるとさえ言われている。しかし、平然とそれを摘んでいる副魔王。


「うん。大丈夫だよ」


 ほら、と安っぽく銀色に光るメダルをソラリスに見せてあげようと差し出す副魔王。ソラリスは小さく悲鳴をあげてさらに後ずさった。


「無理無理無理っ」


「最近、自分は異世界から転生したチート級勇者だと思い込んでいる人間が多いんですよ。ある種の現実逃避だと思っていましたが、こいつは、本物だったかもしれませんね」


 スライムによる清掃処理も順調に進んでいるようで、かつて人間だったグチャッとしたモノを冷徹に眺めながらスレイニルは言った。


「トラップに引っかかってくれて助かりましたよ」


 レッドビーンズスライムの食欲は相変わらずのようで、元勇者の死骸は間もなくさらっと白骨化するだろう。スケルトンとしてアンデッドモンスター化させて地下迷宮の警備に当たらせるのは人事課の仕事だ。これで清掃業務もひと段落。


「もしもこの死骸が本物の異世界転生者で、勇者のシルシを正当な理由で所持していたのなら、暗黒城もかなり深いところまで攻略できたでしょうね」


「こんな初歩的トラップに引っかかる時点で偽物ですよ。たぶん」


 ソラリスが冷静に分析する。そして問題の勇者のシルシをちらっと見やる。副魔王は聖なる力に焼けただれたり、光属性に苦しんだりもせずのほほんとしてる。気楽なものだ。


「さすがに副魔王様レベルになると勇者のシルシの特殊効果も無効なんですね。それ、怖いからさっさとしまってください」


「わかったよ。これはいったん俺が預かっとく」


「勇者のシルシが無効だなんて、実は副魔王様も異世界転生者だったりして」


「さすがにそれはないかなー」


「何なら副魔王様も異世界転生しちゃいます?」


「それってつまり死ねってこと?」


「えへへ、わかります?」


 ダークエルフは無邪気に笑ってみせた。副魔王は黒衣の胸ポケットに勇者のシルシをしまい、ふと思い出したように頭の大角に触れた。表面がしっとりと少し柔らかく、ぬるま湯のように温かい。ちゃんと血が通っているんだろう。


 副魔王は遠慮がちに言う。


「薄々気付いてると思うけど、俺ってただ角が生えてるだけの男だからな。副魔王っぽい特殊能力とか全然ないぞ」


「じゃあ何の役に立つんですか?」


「角か? カッコつけるためとか?」


「いえ、あなたが」


「ソラリスちゃん、言い方ってものがあるだろ?」

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