第3話 空を恋い光翅広げて舞う君に僕は……

「星先生、今度は図書室の先生なんだね」

 図書カウンターに立つ僕に、君は驚きと喜びの笑顔で言った。


 小学3年生になった君は、少しだけ大人びて、更に美しくなった。


「ここは山の上だし、校舎の4階だから、君が見たがっていた広い空をいつでも見られるよ」

「初めて会った日に話したこと、星先生は覚えているんだね?」

「僕はとても記憶力がいいからね。レイラ、君もね」

「前の小学校の保健室で、星先生が話してくれたことも、わたし、覚えている。光の羽の話」


 神呂木家のある町の隣町に、小中高一貫教育の寄宿制学校がある。

 優秀な児童生徒達を集め、先進的な教育を行うことを目的とした小規模な学校で、県境に近い山の上にあり、交通は不便だが、全寮制だから支障はない。

 山頂にあり、全寮制であること、それは、つかさと僕の目的に適っていた。


 君の編入に合わせ、僕は図書室の司書として勤めている。司書としての知識も持っているから問題はない。


「でも、星先生。窓から見る空は狭い。遠くまで見渡せるけれど、わたしが見たいのは、360度ずっと広がる空なの」

「それなら、屋上に行かないとね」

「でも、屋上に出るのは禁止だし、ドアは鍵が掛かっている」

 僕はニッと笑い、銀色に鈍く光る鍵を見せた。

 君が瞳を輝かせる。


 児童生徒達は、屋上に出なくても、山頂を切り開いた校庭やグラウンドで伸び伸びと過ごすことができる。

 屋上は、緊急時のヘリポートになっているのだ。災害時や急病・怪我に備え、ドクターヘリが離発着できるように。


 屋上への重い扉を開けると、山頂の清々しい風が吹き抜けた。

 君は待ちきれずに飛び出す。

「気を付けて! フェンスが低いから、落ちたら大変」

 ヘリの離発着に支障が起きないように、屋上のフェンスは低いのだ。

「星先生ったら、わたしが落ちるはずないじゃない」


 君は、ヘリポートの真ん中に立ち、周囲の山並みを見渡した。それから、どこまでも広がる蒼天を見上げ、両手を空へと広げる。

「ああ、空の空気が私の中に入ってくる。わたし、羽を広げて、本当に飛んでいけそう」


 笑顔を輝かせる君。もしかしたら、レイラの心のどこかで、司もこの空を見ているだろうか。


「星先生、わたし、飛んでみてもいい?」

「え? 飛べるの?」

「だって、星先生が言ったじゃない。光の羽『光翅こうし』で飛べるって」


 君は、軽やかに助走し、フェンスを越えて空へと跳躍した。

「危ない!」

 慌てて止めようとした僕の目の前で、君は、淡く虹色に輝く光の羽を広げた。

「星先生の言った通りね。わたし、このまま、ずっと遠くまで飛んでいけそう」


 思っていた通り、いや、それ以上に君は美しい。光の羽が良く似合う。

 どうやら時が訪れたようだ。僕はポケットに手を入れ、通報機のボタンを押した。


 背後で争うような足音がしたかと思うと、屋上への扉が荒々しく開かれた。

 防護服姿の十数人が、雪崩れるように屋上に踏み込み、空中に舞う君を指さす。

「見ろ! 既に発病しているぞ! 監視カメラの映像を、もっと早く解析すべきだったんだ」

 防護服の一団の後ろに居たのは、君の担任だった。

「治療すれば、治るんですよね」

「もう既に手遅れかもしれない」

「そんな……。神呂木 たえ、馬鹿な真似は止めて降りてくるんだ。神呂木 妙!」

 担任が叫んだ。

 ダメだ。その名で呼んではいけない。君が妙になってしまったら……。


 空中の君の背中から、光の羽が消えた。君は、真っ逆さまに落ちていく。地面に激突してしまう!

 僕は、防護服の一団に取り押さえられながら、必死で叫んだ。

「レイラ! レイラ! 目を覚ませ! 光の羽を広げるんだ!」


 僕は、防護服の一団を振り払い、フェンス際から見下ろした。

 別の防護服の一団が、下でネットを広げて待ち構えていた。

「レイラー!」

 僕は絶叫した。


 ギリギリの位置で、君の背中に再び光の羽が出現し、君は急上昇した。

 良かった。

「星先生!」

 君が、僕に向かって手を広げた。


 ヘリの音がした。

「今から緊急着陸する。屋上ヘリポートに居る者は、直ちに安全位置まで下がれ!」


 君を抱き留め、僕は脇へと転がる。

 ほぼ同時に、ヘリが屋上ヘリポートに着陸した。

 制服姿の数名が降りてくる。

「星先生、星 渡 先生はどちらに?」

 僕は、右手に君を抱き留めたまま、左手を上げた。

「ここに」

 制服隊員が手を差し伸べた。

「通報を受けて急行しました。彼女は、我々が保護しますからご安心を」


「何だね、君達は。いきなりヘリで強行着陸なんかして」

 まだ回っているプロペラを避けながら、防護服の一団が抗議した。


「我々は、飛翔人の隣人として共存を目指す支援団体『国境なき隣翔隊』です。飛翔病は、人体に悪影響を及ぼすものではないと、こちらの星 渡 先生が証明されました。あなた方はお引き取りを」


 君は、不安そうに僕を振り返った。

「星先生、私はどうなるの? 空を飛んではいけなかったの?」

「心配ないよ。非公式だけど、アルプスに、飛翔人達が他の人達と一緒に幸せに暮らしている国がある。君はそこに行くのが良いと思うけれど、君が望むなら、今のまま、この町で学校に通うことも出来る。ただ、その場合は、空を飛ぶのは難しくなるけれど」

「空を飛ぶのは悪いこと?」

「違うよ。でも、殆どの人は飛べないからね」


 そして、僕は説明した。

 君が幼稚園の桜の木の下に埋めたメジロから、ウスバカゲロウの持つウイルスを検出したこと。

 メジロは、ふだんは花の蜜などを吸っているが、蜜が無い季節や繁殖期には、昆虫を餌にすることもある。繁殖期の6月頃は、ウスバカゲロウが羽化する季節とも重なる。君がメジロを介して感染したと思われること。

 ウイルスと言っても、危険なものばかりではない。例えば哺乳類の胎盤形成には、過去に感染した内在性レトロウイルス遺伝子ゲノムが関与している。

 君の感染したウイルスは、ウスバカゲロウの翅の記憶を光で再現し、飛翔させる。いつか、そのウイルスの遺伝子ゲノムが地球人類に定着すれば、地球人類にとって、飛翔は特別ではなくなるかもしれない。


「僕は、そのウイルスに、レイラウイルスと名付けたよ。レイラとは、風という意味らしいね」 

 君は頷いた。

「星先生は、一緒に来ないの?」

 君にもう嘘は言わないと決めたから、打ち明けるよ。

「別の星に行って、同じような事例が無いか調べたいとも思っていたが……。そう、僕は地球人ではないんだ。それでも良ければ、これからも君のそばに居よう」


 君は、にこやかに微笑んだ。

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恋するレイラは飛翔する 宵野暁未 Akimi Shouno @natuha

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