流星
卓上雨カレンダーを眺めていると、明音さんと中華そばを食べてから丁度二週が経つことに気が付く。
「そうだ、早く服を決めないと。」
昨日、明里さんとファミレスで話をして明里さんと会って話をすると決意したは良いが、明音さんがどこにいるのか分からないし、明音さんの家で待っているのも忍びないと思い、翌日に図書館で会おうと思ったは良いものの、改めて会うとなると服装やメイクが気になってしまい、朝からあーでもないこーでもないと着替えては脱いでを繰り返している。
結局、張り切りすぎてると思われるのも恥ずかしくて、いつも通りのラフな服装で、メイクはいつもよりも気合いを入れるというところに落ち着いた。
図書館に着く頃には、太陽が西の空に沈み始めていた。夕方とはいえ、まだまだ夏真っ盛りでもわっとした熱気にうんざりするが、館内は冷房が行き渡っていて快適だ。
夏休みということもあってか、学生の姿が多い。明音さんは、人通りの少ない勉強コーナーの端っこで本を読んでいることが多いが、学生にも人気な場所らしく席は別な人に埋められていた。館内を少し見回してみると、明音さんの後ろ姿が見えた。本に集中しているらしく、身動きを一切取らずに、時々ページを捲る手だけが動く。
「声かけずらいなぁ。」
館内は静かで、たまに小学生くらいの子供が我慢できずにおしゃべりを始めるくらいの騒音しかない。明音さんに動きがあるまで、もう少しだけ待ってみることにする。
明音さんが見える位置の席に腰をかけ、本を開く。しかし、明音さんが気になって、本の内容は全く頭に入ってこなかった。
明音さんはメイクは手抜きだし、奇行が多いせいで目立たないが、整った顔立ちをしている。メイクという仮面で誤魔化している私としては羨ましい限りだし、磨いたらどれだけ綺麗になるのだろうかと、好奇心がそそられる。
手元の本の同じページを8回ほど読み直したあたりで、明音さんが顔を上げたことに気がつく。咄嗟に本で顔を隠してしまう。パキパキと関節が鳴る音がして、びっくりして本から顔を出すと、明音さんの関節が鳴ったようで、明音さんもびっくりしていた。どれだけ同じ体制で本を読んでいたんだろうと呆れながらも、少し近況が解かれる。
ガラッと椅子を引いて席を立つ。
明音さんの背中が近づいてくる。
心臓がドキドキ鳴ってうるさい。
私は明音さんに声をかけた。
「もう帰っちゃうんですか。司書さん?」
明音さんが振り向いて、私と目が合う。口がぽかんと開いたまま固まってしまったので、思わず笑ってしまいそうになるが、何とか堪える。
「司書さんって嘘だったんですね」
もう少し
「い、いえ。嘘というか誤解というか。その、申し訳ございませんでした。」
世界の終わりを見たかのような表情に、堪えきれずに吹き出してしまう。
「ふふ、別に怒ってるわけじゃないんですけど、ここまで驚いてくれると揶揄いがいがありますね。」
「でも、その、なんでですか?」
「なんで分かったかってことですか?実は数日前から、日向さんを見かけるたびに少し観察していたんです。そしたら、昼頃にきてからずっと本を読むだけ読んで夕方には帰ってしまうんですもん。考えなくてもわかりますよ。」
明音さんの夕陽で赤く染まっていた顔が、さらに赤みを増していく。
「それに、こっちこそ何で司書のふりをしていたのか、まだ聞いていませんよ。」
明里さんが司書だと偽った仕返しに、明里さんが私のファンだったことには気が付いていないフリをする。
「それは、話しかけるのに緊張してしまい、つい。」
「ふふふ、日向さんって面白いですね。話しかけるのにそんなに緊張するのにご飯には誘えるんですね。」
「あ、あの、よかったら連絡先とか交換しても良いですか?」
思ったよりも、積極的な発言にビックリする。が、私としても願ったりな提案だ。
「いいですよ、アカネさん。」
「え、何で名前……??あれ、私言ってない。」
明音さんは壊れたロボットのように目を白黒させて、固まってしまった。嬉しくてつい、私が気が付いていないと思っている名前を言ってしまったからだろう。
「明音さん、連絡先の交換しましょうよ?」
「え、あ、私のことバレてる??今までのことも???あ”あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"」
奇声を上げ出す明音さんに、何と声をかけて良いか分からない。
「あの、明音さん?ここ図書館……。」
「死にたい。」
「え?待って、どこ行くの?」
明音さんは、スッと席を立つと、逃げ出した。
「ちょっ、明音さん!?」せめて本は返却して!と心の中で叫びながら、本を返却カウンタへ置いて、明音さんを追いかける。
おそらく、バイクに乗るために駐車場にいるだろうと思い、向かってみるとビンゴだった。明音さんはまだバイクまで到達していない。その背中を追いかけて全速力で追いかけると、あっさり追いつきそうになってびっくりする。
「明音さん、足遅すぎない?」
「ひっ。」
明音さんがバイクにたどり着くよりも早く追いつき、後ろから抱きつき動きを止める。すぐには止まれずに、転びそうになるが何とか持ち直すことができた。日々の体幹トレーニングの成果が出て少し嬉しくなる。
明音さんを抱き止めていると、当たり前だけど明音さんの匂いがする。バイクの後ろに乗せてもらった時にも思ったが、私の好きなフローラル系の香りだ。以前、アイドル時代にアカネさんから好きな香水を聞かれたことを思い出して嬉しくなる。
「明音さんつかまえたー!」
「ゼェ、ハァ、きら、りん、ゼェ、ハァ、わだ、ハァ、し、」
息切れしすぎで、何を言っているのか全く分からない。
「明音さん、落ち着いて。ちゃんと呼吸して。」
「あの、離してもらえますか?」
「やだ、逃げるでしょ?」
「逃げません。それに、私の汚い汗がついちゃいます。」
「明音さんの汗は汚くなんてないよ。」
耳元で囁いて、さっきよりも腕に力を込めて、身体を密着させる。すると、明音さんの体温がみるみる上がっていき、面白いくらいに汗が噴き出してくる。流石に明音さんの身体が心配になり、解放してあげる。
「まあ、夏にこれは暑すぎだよね。」
「あ、あの、手……。」
いつ逃げ出さないかと心配だったので、手だけはしっかりと握っておいたが、それさえも不満らしい。
「これは譲れません。向こうで少しお話ししましょう。」
図書館には公園も併設されていて、ベンチと自動販売機がある。汗もかいたことだし、少し落ち着きたかった。
手を繋いだまま、自動販売機で水を買って明音さんに渡す。
「あ、お金。」
「いいです。代わりに、連絡先を交換しましょう。」
「私は一体いくら払えば良いですか。」
話が噛みわないので放っておく。
二人でベンチに座り、手を繋いだままではペットボトルのキャップを外せないことに気がつく。
「キャップを外したら、また手を繋ぎますから。」と言って、手を離す。
キャップを開けて水を飲む。明音さんをみると、すごい勢いで水をガブガブと飲んでいた。一回でペットボトルの半分くらい消費した気がする。
いつまでも、ペットボトルから手を離さないので、手首を捕まえると大人しくペットボトルを反対の手に持ち替えたので、そのまま手を握る。
「明音さん。」
「はい。」
「私のこと、好きですか?」
「好きです!!」
「お、やっと調子が戻ってきた。」
「あう」
握手会の時と同じ反応に、やっぱりアカネさんなんだと安心する。
「きらりんは私のこと、分かるんですか?」
「もちろん。ライブにも毎回来てくれるし、地方のライブにまで来てくれた時はびっくりしたけど。明音さんも私のこと覚えてくれてて嬉しかったです。」
「そ、そんな、忘れるわけありません。」
「だよね、明里さんから色々聞いちゃいました。」
「え、お母さん!?何で?話したんですか?」
「あはは、たまたまね。」
明音さんのストーカーをしていたら、明里さんに見つかったとは言えない。「うわああああ」と奇声をあげる明音さんには悪いことをしたと思いながらも、私のことを好きでいてくれていることが分かっているというのは、何だかむず痒い。アイドルとして活動している時には意識しなかったことだけど、何だかとてもすごいことのように思う。いや、きっととても幸せなことなのだろう。
「明音さんは、私のどういうところが好きなんですか?」
「それは、秘密です。」
「えー、教えて。お・ね・が・い♡」
可愛い子ぶってお願いしてみる。外でやると結構恥ずかしい。
「えーと、あの、お顔がとても好みです。鼻の形も、目の大きさも、唇の厚さも。可愛いのにキリッとした眉も素敵です。えへ。あ、あと声も好きです。きらりんの声で私の名前を呼ばれると、なんか、何ですかね、とにかくやばいです。ふくらはぎも好きです。細くて白くて形が綺麗で、もう理想のふくらはぎって感じです。あ、でも、太腿も……」
「明音さんストップ!ちょっと待って、一つでいいから。あと、早口すぎて聞き取れないし、なんかちょっと卑猥だからやめて。」
「すいません。私みたいな矮小な人間がきらりんを好きになるなんて不快でしたよね。」
「そんなことない。明音さんだって素敵だし、好かれてるのはとっても嬉しい。あ、でも、あんまりじろじろ見ないで欲しいかも。」
好きな場所を言われながら見られるのは、視線を意識してしまって恥ずかしい。おかしいな、アイドルの時はそんなこと当たり前だったのに。
「ありがたきお言葉。」
明音さんは木に向かって、感謝の言葉を並べていた。
「普通に話すときは目を見て欲しいかな。」
「すいませんでした。」
「あと、タメ口でいいですよ。明里さんの方が年上ですよね。」
「それは、難しいです。」
「私のお願いが聞けないんですか?」
「ネガイキク、タメグチハナス。」
「何でカタコト」
「ナレテナイ。ムズカシイ。」
「はぁ、もう自由にしてください。」
明里さんってこんな感じだっけと思い、記憶を探るが、こんな感じだったかもしれないと納得した。何というか、まともに会話できたことがないかもしれない。
「あの、聞いてもいい?……ですか?」
「はい、体重と年齢以外なら」
「はい。きらりんは、どうしてアイドルを辞めてしまったんですか?」
何となく聞かれるかもしれないなと思っていたことを聞かれる。
「やっぱり気になりますか?」
「それは、もちろん。でも、話したくないことでしたら、無理しなくて大丈夫です。」
「全然、大したことじゃないですよ。親と約束していたんです。」
「約束」
「20歳になってもメジャーデビューできなかったら引退する。そういう約束です。」
「そんな、続けていればきっと……。」
「違うんです。確かに約束もありました。でも、諦めていたければ活動を続けることは出来たはずなんです。でも、私も心のどこかで諦めていたんです。そんな人間にアイドルを続ける資格なんてあるはずがありません。」
「……。」
「気にしないでください。私の中ではとっくに整理できていることです。」
「嘘だ。」
「え?」
「諦めたとか、整理できているなんて嘘だ!」
一瞬、明音さんが何を言っているのかが分からなかった。数秒遅れて理解が追いつくと、自然と言葉が出ていた。
「明音さんに何がわかるって言うんですか、知ったふうなこと言わないで下さい。」
しまったと思った。別に明音さんを責めたかった訳ではない。ただ、私の選択が間違いだったと言われたみたいで、カッとなってしまっただけだ。私だってアイドルを続けたかった。でも、色んなものに折り合いをつけて平静を保っているのに、そこに土足で踏み入られて、反論せざるを得なかった。子供の癇癪みたいなものだ。
「知ってます。きらりんのことなら。きらりんは、そんなことで諦めたりしない。キラキラしてて強くて可愛くてかっこよくて泣き虫で頑固でリーダーシップがあって歌が上手くてダンスも上手いしギターも練習中だけどちょっと弾けるし映画好きだけど最近の話題にはあんまりついていけてなくて、でもそれは人一倍練習してるからでそれを気取られないようにしてるけどバレバレで不器用だし、嘘をつく時に髪をいじる癖があるからさっきのも嘘って丸わかりです。それに、私が大好きなきらりんはそんなこと言わない。」
「勝手なこと言わないで下さい。あれはきらりんというキャラで本当の私じゃない。私は雨夜きらりです。あんなものは、偽物でもうこの世に居ません。」
視界が滲む。声が裏返る。
「明音さんが好きだったきらりんはもういないんです。そんな奴の話しないで下さい。私を見て。」
「あなたはきらりんです。私の最推しで生きる希望です。」
私はもうきらりんじゃない。そうしたら、もう愛してもらえないのかな。それは、なんか嫌だ。
「それは明音さんの中の話でしょう。」
「そうです。私がきらりんを忘れるわけありませんから。」
「もう、意味わかんない。うぅ。」
私はアイドルを諦めて田舎に戻って、夢を無くして何となく生きていた。そんな中突然現れて心を揺さぶってくる。本当にこの人は、
「何がしたいの。うっ、ひっく。」
「あ、う、泣かないで下さい。私はきらりんを押したいだけです。」
私は泣いてないし、さっきから「きらりん」、「きらりん」ってきらりんばっかりでムカつく。
「私は雨谷きらりだ。」
「知ってます。だから、」
「だから、私が明音さんのアイドルになる。」
「!?……え?」
「だから、私のことをきらりんよりも推しにさせてやるって言ってんの。」
「意味がわかりません。」
私だって意味が分からない。でも気づいてしまったから、私は私が好きな人に好きでいてほしいだけなんだって。思えば、アイドルを始めたきったけは、私の大好きな家族や友人に喜んで欲しいからだった。可愛く歌って踊るとみんな喜んでくれた。それがただただ楽しかった。そして今、明音さんを私の間にはきらりんという大きな壁があって私の言葉が届かない。私は私のことを好きだと言ってくれる明音さんを幸せにしたい。だから、それがきらりん相手だろうが負けてなんていられない。
「日向明音、覚悟してなさい。あなたの最推しは私のものだから。」
夜空には流れ星が瞬いていた。一瞬の煌めきに囚われて、忘れることが出来ないほどに綺麗だと思った。次の瞬間、私は走り出していた。流れ星に負けないくらいの速さで煌めきを撒き散らしながら。
-END-
星(きらり) 海星 @hitode120
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