Log.03_報い
デニス・クラッジの家から数キロ歩いた先に、こじんまりとした宿舎がある。まばらに点在する軒が見眺める中、そこはまだ集落がぽつぽつと集まっているようで、行けば明かりが見えてくるという。ハッジ市の市民にとっての商店街だと、デニスの口から聞く。
星空は明るくも街灯のない土手の路はまさに闇の絨毯。いまどき古臭いカンテラを片手に、いただいたローブを羽織ったシードはそこへと向かった。玄関の外までデニスが見送ってくれたことに、どこか胸がじくじくする。
手当てしてもらった肩部はまだ鮮明に痛みを伴うものの、放っておけば勝手に腐るか、感染してじわじわと命を貪り食われていたかと思えば、なんてことない。
明かりが見えた。ふとした不安。いや、自分の顔がこんな田舎まで知られているわけがない。そう楽観視しながらも、念のためフードを被り、坂の町へと入る。
だいぶ時代は進んだはずなのに、踏み入れた町は一、二世紀前の石町を思わせる。ここだけ時空が切り取られて、時の流れから置いてけぼりにされたような場所だ。堆肥と草の青臭さが鼻につく。
夜だというのもあり、驚くほど人影が見当たらなかった。窓から生活の温もりが漏れていることに一種の安堵を覚えるが、それは外も安全だといえる証拠にはならない。周囲を警戒しつつ、目的の宿舎へと身を転がした。
フードを被っているのもあり、多少は怪しまれたもののチェックインはできた。今のご時世、利用する客はほとんどいない。ぼろいのもあるか、と軋む床と百足や蜘蛛が這う壁を横目に嫌悪感溢れる息を漏らす。
「いまどきガス灯はねーだろ」
今にも突き抜けそうな階段を上がってすぐ。ドアを手のひらで押し開けた先、そんな小言も一緒に漏らしながら、傍にあった調節螺子でトーチを照らす。
部屋自体は狭くも小ぎれいだ。天井の隅っこに小さな先客が一匹いたが、構わずその真下の机に腰のポーチや、体の一部のように密着していた小さなショルダーバッグをゴトンと置く。
甲冑をすべて脱ぎ捨てたような解放感と、脱力感。埃臭いベッドに身を委ね、黴の生えた天井を仰ぐ。
ここからどうするか。
そんな思考が頭の中を満たす。
自身の若さがあれば、引く手数多だろう。
自身の腕と知識・知恵の深さがあれば、町や国に貢献できる技術を提供できるだろう。
自身の"体質"と"能力"があれば……。
だが、それらの"特性"と、それを与える血が、すべてを拒絶する。
己の見る"夢"が、すべてを拒絶する。
最も、そうさせたのは"人間"だが。
「路上生活に逆戻りか」
そんなことを呟く。途端、がばっと起き上がり、毒気づいた感情を漏らす。
「……なってたまるかよ」
俺には夢がある。
こんなクソッタレな戦争に奪われる程度のちっぽけなもんじゃねぇ。
契約先もまだいる。交渉先もいる。まだ武器商人の仕事が終わったわけじゃない。もう一度立ち上げ直さねぇと金が入らない。
ずきん、と撃ち抜かれた肩の傷が痛む。いや、それだけじゃない。
痛む。痛む。
夢も、あいつに会うことも。
「ぜんぶ叶えてやる」
その意志に反し、体は疲労のピークを迎えていた。重い瞼に抗うことはできず、そのまま失神するように横たわる。
まずは休息が先決か。
薄暗い部屋は、微睡の海へと彼を誘う。彼の抗うような思考もとうに手放して、泥のように眠りについた。
*
荒々しい音は彼の目を覚まさせた。
すぐさま飛び上がるように起き上がった瞬間、顔面に鋭い衝撃が走る。まるで棒で殴られたような。
仰け反り、壁に後頭部をぶつける。だが、そのまま胸ぐらをつかまれては床に放り出される。
腕を後ろに回される。重い。誰かが乗っている。
金属音。手首の冷たい感覚。それが手錠だとすぐに気付いた。一人分の重さがなくなった代わりに、手足の自由が奪われる。ご丁寧に足枷もつけられたようだ。
視界がちかちかする。だが、ひとりじゃない。ふたり、いや三人か?
「なんだよおい、テメェら誰――ごはァ!」
腹部に重い衝撃。吐き出た胃液はぐちゃぐちゃにとけたシチューとパンを含んでいる。腹いっぱい食べた意味がないと呑気なことを一瞬だけ思い馳せた。
ローブ姿の男が三人。入り口付近で高みの見物をしている一人が目深のフードを外したとき、シードの目が皿のように開く。
「デニス……どうして」
さっきまで食卓を囲んで、軽口言い合った旧友にして商品の契約先の顧客。
最初は拒否していたものの、食事も治療も施してくれた上に、ここの宿も紹介してくれた親切な男が――まさか。
「あのときおまえは言ったよな。世の中食うか食われるかって」
ただでさえ自分よりがたいがよく背が高いというのに、足元から見上げれば当然、巨人のように見える。その見下す目はもう、かつての友の面影さえ残っていなかった。
顔に青あざが浮かび、腫れ始める。顔の感覚がわからない不安と焦燥感よりも、取り押さえられている恐怖よりも、裏切られた困惑と悲しみよりも、何よりもシードが抱いた感情は落胆と、そして怒りだった。
察した商人は鼻で笑う。
「ハッ、まんまとエサにかかっちまったってわけか。ご丁寧にお仲間さんまで連れてきちゃってよぉ、俺にも紹介してくれよ」
そんな軽口ごと、同行者の一人に顔面を一蹴される。鉄板が入った靴。人間の骨だったら顔面粉砕していたことだろう。
あのときはつられるように笑みを返していた友人の姿はない。恨み籠るその強面は、まるで鉄の仮面だ。
「テメェの作った武器がどこに渡ろうが関係ねーっつったな。じゃあよ、俺の妻を――サラを殺した武器がそれだとしても、同じことが言えるかよ……!」
装填音。薄暗くてもわかる、光沢。ハンドガン。だが
「俺の造った武器……!」
そこらのリボルバーよりも飛距離、威力、耐久性共に優れていることは
それ以前に、顔面を殴られただけではない痺れが全身にいきわたっている。呼吸すらままならない。
「うまく動かねぇだろ」
デニスの一言で、シードは気付く。
「テメ、まさか」
あの飯か!
「毒で殺してもよかった。けどやっぱり俺の手でお前を殺さなきゃ気がすまねぇよ」
「いいのかよ、こんなこと……おまえの奥さんが喜ぶとでも思ってんのか」
ズドン、と重くも軽快な音が響き渡る。
それをかき消す、絶叫。
包帯の捲かれた左肩が鉛弾で穿たれる。
全身の骨が振動するような。押しつぶされ、引きちぎられるように裂かれた肉と神経細胞。共鳴する激痛を紛らわそうとも、もがく手足は動かず、体も悶えることができない。喉が裂けるまで叫ぶことしか許されなかった。
「バカか。そんなこと知ったことじゃねぇ。俺はお前がこの世でのうのうと生きていることが赦せねぇっつー話だ、わかるだろ」
もう一発。めきゃり、と床の木板が割く音。それは貫通を意味し、俯いたシードの右大腿に三八口径の穴が穿たれた。
再び湧き上がる悶絶の叫び。金切声。耳鳴り。熱い。血の気が引くような喪失感。ぼやける視界。そのまま闇に溺れてしまいそうだ。
痛みという膨大な情報によってはち切れそうな脳は頭蓋を圧迫させ、目を充血させる。そこから絞りでる涙。鼻水と涎で黴臭い床が湿る。
「テメェの造った武器に弄られる気持ちはどうだ。この弾丸もテメェが造ったそうじゃねェか。死ぬ前にしっかりと味わっておけ」
嗚咽。だが、次第に呼吸が沈まる。
静寂。だが銃声の残響は、未だ商人の頭蓋を響かせている。
まるで悟ったかのような。それに構わず、トリガーに指を当てたデニスが狙う先は、シードの頭部。
「おまえは信用できる奴だと……思ってた」
呟き落とした商人の一言。「あ?」と聞き取れなかったデニスが返したとき、パチンと。
肌に沁みる微弱な痛み。強い静電気が皮膚の上を走るような。
途端。
デニスの背後のドアが爆発する。
四人諸共壁際まで吹き飛び、脆い床に打ち付けられる。。ひとりの同行者は窓ガラスを打ち破っては首から落下する。
何が起きた。しかしすぐに察しはつく。
部屋に罠を仕掛けていた?
「――ッ!? こいつ正気じゃねぇ!」
瞬間、悲痛にも似たもうひとりの男の叫びが途絶える。
ドォン! と間近で響く、数グラムの硝酸エステルが生じる小さな爆轟。それが、尻餅をついていた男の喉に風穴を開けていた。
肩甲骨を寄せ、床に張ったまま首を垂れた金髪頭――の後頸部に位置する襟首から、一筋の白い硝煙が天井へ上る。隠れて見えるは
「この
あんなとこに武器を隠して仕込むやつがあるか。
そう考えるも一瞬。憎悪の形相を浮かべたデニスはなりふり構わず、床に転がっていたリボルバーを拾おうとしたとき。
バギン、と鼓膜を響かせるような音が鳴る。まるで金属を無理やりへし折ったような。
目を見開く。
「な、がァ……!?」
なんで。
眼下にはデニスの懐へもぐりこんでいた憎い金髪頭。撃たれていない左足にすべてを賭け、身軽な体を
どこに剣を仕込んでいた。いや、待て。
その一歩分の距離を、死に物狂いで奴は突進で詰めたのか。そんなはずはない。その手足は鉄の枷で――枷が壊れている。
なぜ。どんな怪力でも鉄枷を壊せるはずがない。これも奴の"特性"なのか?
天地がひっくり返るような感覚とともに訪れた鈍い音が傷口に響く。
全体重をかけた突進とともに、デニスとシードは重なるように倒れる。そのまま横に転がったシードの手から、鋭利状の鉄を離す。
「くそ、クソ……! すまねぇ、デニス……っ」
悔いる声は燃え盛る炎にかき消される。肌に触れる火の粉がちりつく。
「畜生……誰か――」
逃げ場はどこだ。ないのはわかってる。死にたくない。でももう俺は。
それでも、シードは血に濡れた床を這いずり、左腕を割れた窓ガラスの外へ――星空へと伸ばす。
低い天井もなければ、憎たらしい紅の光に呑まれることのない、虚空にして無限に広がる世界。それに憧れるように手を一杯に広げ、歯を食いしばっては上体を辛うじて起こし、黄金色の瞳に憧れを焼き付ける。
だが。
鉄枷がなくなっていた左手はなにも掴めないまま、ぷつりと糸が切れる。唯一触れることが許されたのは、転がっていた自身の鉄色の罪の権化のみ。
この場に動くものは誰もいない。ただ、恨みに焼かれ、血に染まっていくのみ。
戦場のダンデライオン 多部栄次(エージ) @Eiji_T
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